スリープテックの今。
睡眠問題は個人だけの問題なのか──ニューロスペース小林氏に聞く
日本人の睡眠時間は短い──。そうした話は誰しも一度は聞いたことがあるだろう。
実際、経済協力開発機構(OECD)の調査によると、日本人の平均睡眠時間は7時間22分で、加盟国30カ国のうち最下位という結果が出ている。更には睡眠障害における経済損失額が年間15兆円もあると推計されているのだ。
睡眠不足が経済損失に影響を及ぼすという事実に違和感を覚える人もいるかもしれない。睡眠の問題は、個人だけの問題ではないのか、と。
しかし最近の研究では、睡眠不足によって多くの疾患リスクが上がるだけでなく、ヒューマンエラーが多発したり、精神状態が不安定になるということが明らかになってきている。
では、そうした日本における睡眠問題のボトルネックはどこにあるのだろうか。また、解決のためにはどうすればいいのだろうか。
今回は、日本を代表するスリープテックベンチャーである株式会社ニューロスペースの代表取締役・小林孝徳氏にインタビューを実施し、睡眠問題について話を聞いてきた。また、記事後半では、いま注目されている睡眠ガジェットについても紹介する。
「寝てる暇があれば働け」と思っている人にこそ、ぜひ読んでいただきたい。
- TEXT BY TEPPEI EITO
睡眠問題は他人事ではない
私たち人間にとって、睡眠は生命を維持するために欠かせないものだ。脳と体に休息を与えるだけでなく、記憶の整理・定着、免疫力の向上、脳の老廃物除去、さらには自律神経やホルモンバランスを整えるといった役割もある。
かつては「アブセンティズム」といって、心身の不調によって欠勤することが問題視されていた。だが最近のビジネスシーンでは「プレゼンティズム」という言葉がよくみられる。これは、出勤していても健康上の問題で労働に支障をきたすことを問題視するような考えかただ。つまり、「病気になっていないから問題ない」という話ではなくなってきているのだ。
睡眠がそれほど重要な役割を持つにもかかわらず、日本人の睡眠時間が短いのは一体なぜなのだろうか。
小林氏は2つの原因があると指摘する。ひとつは「個人の睡眠リテラシーの低さ」だ。
そもそも、睡眠時間が短いという問題を「問題」と捉えていない人が多い。平日の睡眠時間が短くなってしまうのは仕方のないことだ、と。
実際、例えば徹夜をして働いても脳や体は“一応は”機能する。しかし、小林氏曰くそれは「身体の補助機能や恒常性が働くことでなんとかやりくりしているだけ」なのだ。もちろん、あくまで補助機能なので、それを続けていると支障が出てきてしまう。
他にも、寝付きが悪かったり、早朝に起きるのが苦手だったり、“問題”と考えるほどではないようなことも多い。しかし自身の睡眠パーソナリティを知り、最適な睡眠をとるための正しい知識を身につけることで解決できることもある。
小林最適な睡眠時間や就寝と起床のタイミングは人によって全然違います。朝型の人もいれば夜型の人もいる。人より多くの睡眠時間を必要とする人もいます。例えば私は「やや夜型」なので、早く寝ようと思って21時に布団に入ったとしてもなかなか寝られません。
また、最適な深部体温や室温管理などの知識を身につけたり、就寝前にやらないほうがいいことを知ったりするだけでも、睡眠の質を高めることができます。重要なのは、自分の睡眠問題をきちんと認識し、対処するための正しい知識を身につけることです。
ニューロスペースでは「眠りは技術」という考え方を提唱している。技術を習得することで睡眠の問題は解決することができるのだ。
個人だけの問題から企業の問題に
小林氏が指摘するもうひとつの原因は、「睡眠問題が個人だけの問題になってしまっていること」だ。
自身の睡眠問題を認識し、正しい知識を身につけたとしても、それを実行できる環境が整っていなければ意味がない。毎日終電まで働くような状況では、いくら個人の睡眠リテラシーを高めても睡眠問題は解決しないのだ。
小林睡眠問題は個人だけの問題ではなく、会社の問題としても考えるべきです。
高度経済成長期には、寝ないで働くことが是とされる風潮がありました。長く働くことで成果を上げるというやり方が当たり前のように行われていたんです。そして、その頃に醸成されてしまった「長く働けば成果が出る」という価値観や文化が、未だに残っているんだと思います。
しかし実際には、睡眠時間を削って働いても、逆に会社にとって不利益になることがわかってきています。これからは人口もどんどん減少していくので、いかに生産性を高めていくかが企業戦略の鍵になるわけです。
2022年5月慶應義塾大学商学部の山本勲教授の最新研究では、上場企業700社を対象に行った調査で、睡眠時間と質をしっかり確保している会社ほど統計的に利益率が有意に向上しているという結果が発表された。「長く働けば成果が出る」というのは、間違った考えなのだ。
企業を変えるためには国を変える必要がある
個人のリテラシー不足、そして労働環境。そうした睡眠問題におけるボトルネックに対して、ニューロスペースはどのような打ち手を講じているのか。
同社では企業向けにいくつかの健康経営睡眠サービスを提供している。
パーソナライズ睡眠レポート『My Sleep』では、たったの5分で回答できるアンケートで、従業員一人ひとりにパーソナライズされた快眠アドバイスレポートを提供。睡眠を客観的にチェックし、就寝時間や起床時間などの具体的な対策を示してくれる。
また、より本格的な『睡眠改善プログラム』も用意されている。このプログラムでは睡眠計測デバイスを活用し、客観的なデータを計測。その結果を元に同社の専門スタッフが6週間にわたって伴走支援してくれるというものだ。
さらには従業員の睡眠リテラシーを高めるために、『睡眠セミナー』も行っている。1時間ほどのセミナーで、睡眠の役割から睡眠パーソナリティの診断、睡眠に関する諸問題の具体的な解決策まで知ることができる。
しかし、小林氏は「それだけでは足りない」と話す。
小林企業側の考え方や労働環境を変えていくためには、国の仕組みや法律を変えていく必要があります。そのための政策提言も進めており、「勤務間インターバル制度」の義務化をひとつの目標にしています。これは、勤務終了から翌日の出社までに一定時間以上の休息時間を設けることで、従業員の睡眠時間を確保するというものです。今年の5月に岸田政権が発表した「新しい資本主義実行計画」において、政府の文章としてはじめて同制度が明記されました。
「リテラシー」という観点でも、民間だけでなく、国として学校教育で睡眠に関する知識を学べる眠育を普及させていくことが理想ですね。
また、企業側に対しても産業医を巻き込んで予算を取りに行くためには、より多くのエビデンスが必要になります。睡眠と経営がまだまだ結びついていないのが現状ですから。ニューロスペースではどこよりも多くの就労者の睡眠データを持っている自負があるので、研究機関などと連携しながら企業側に納得してもらえるエビデンスを増やしていくという取り組みも続けていきたいと思っています。
日本における睡眠問題の解決は一朝一夕にはいかない。法律が変わり、企業経営の考え方が変わり、個人のリテラシーが上がる。それらすべてが前進していくことで、良い循環が生まれてくるということなのだろう。
注目の睡眠ガジェット
良い睡眠のためには自分の睡眠について知ることと、リテラシーを高めることが重要だとわかった。最近では、その先の“よい良い睡眠”のためのテクノロジーを活用したガジェットが数多く提供されている。
例えば、睡眠計測デバイス。睡眠計測のためにスマートウォッチを利用している人は少なくないだろう。しかし、最近ではそれよりもスマートでハイクオリティなデバイスとして、スマートリングが注目を集めている。
中でも、フィンランドのメーカー「Oura」が販売しているスマートリング「Oura Ring」はガジェット好きの間でも人気の商品だ。昨年末には第三世代モデルとなる『Oura Ring Generation 3』が登場した。
同製品では、リングの内側に搭載されたセンサーによってユーザーの睡眠をトラッキング。睡眠時間はもちろん、レム睡眠、ノンレム睡眠の時間やタイミング、心拍数や体温変化まで計測する。そうして集めてきたデータを活用し、最高の睡眠のためのパーソナライズされたガイダンスを提示してくれるのだ。
指輪を装着して寝ることに抵抗があるという人は、マット型の計測デバイスという選択肢もある。
フランスのメーカー「Withings」が販売しているスマート睡眠パッド『Withings Sleep』は、マットレスの下に設置してセットアップを行うことで、ユーザーの睡眠データを取得することができる。
同製品では睡眠サイクルや心拍数だけでなく、いびきまで検出して記録。また、IFTTTと連携することで、ベッドに入ったら自動で消灯したり、起床時に室温をコントロールしたりといったスマートホーム化までできてしまう。
“計測”ではなく“深い睡眠の実現”に特化しているのが、フィリップスのヘッドバンド型ウェアラブルデバイス『SmartSleep』。同製品は、ノンレム睡眠のなかでもより深い睡眠である「深睡眠」に着目し、その持続時間を伸ばすことを目的に開発されている。
センサーによって深睡眠が検知されると、装着しているヘッドバンドから“オーディオトーン”という音が流れる仕組み。このオーディオトーンは睡眠状態によって自動で音量や音域が調整されるようになっているという。
このようにテクノロジーを活用した睡眠のためのガジェットは日々進化している。とはいえ、睡眠の分野はまだ基礎研究の領域でも解明されていないことが多い。
“スリープテック”というワードもよく聞くようにはなってきたが、地道な研究と社会実装を継続しながらゆっくりと進んでいくことになるだろう。
こちらの記事は2022年12月05日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
栄藤 徹平
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