3.11以降東北を感動で支援する写真家・石井麻木 アーティストの災害支援のあり方
災害を完全に防ぐのが難しいことと同様、災害からの完全な復興もまた困難だ。しかも、インフラや建物の整備に加えてそこに人間の感情も加わるのだから、「元通りになる」ことは不可能である。しかしそれでも人生は続く。時に進むべき方向を見失うような出来事が起ころうとも、人は再び前を向いて歩いていかねばならないのだ。そのためにアーティストができることは何か?3.11以降、東北を撮り続けている写真家・石井麻木さんに伺った。
- TEXT BY REIKO MATSUMOTO
- PHOTO BY TAKUMI YANO
なぜ被災地に通うようになったのですか?
初めて現地に足を運んだのは東日本大震災が起きた直後です。居ても立っても居られなくなり、必要な物資を届けに現地に向かいました。
私は写真家なのでそのときもカメラと一緒でしたが、とてもじゃないけどシャッターは押すことができず、隠すように持っていました。
ですがそのカメラを見付けた避難所の方から、「この地獄のような様子を写して全国に伝えてほしい」と言われて、そうか写真にはそういう役目もあるのかと思って写させていただくようになりました。写してほしいという声をいただかなければ写すことはなかったと思います。
初めて写せた写真は、避難所に設置された段ボールの中で男の子が本を読んでいる姿です。誰が挿したのかわからないけれど、段ボールのつなぎ目に挿された一輪の花が、絶望の中に咲いた希望のように思えてならなかった。
どんなに悲しい状況にもどこかに希望があることを教えてもらった気がします。悲しみや苦しみの中にも、いつだって小さくても光があることを、見つけていきたい。そうした想いから、月命日には仮設住宅に通い続けています。
東北に足を運ぶ時は自分で運転していくんですが、この時間がわたしにとってはすごく大切なんです。春夏秋冬と景色を変える東北道を走っていると、巡る季節の中で聴いたみんなの声や表情が走馬灯のように駆け巡っていく。
この時間をちゃんと感じ考えるために、ひとつひとつを忘れないように、できるだけひとりで赴くようにしています。
「写真で伝える」ことに関して、フォトジャーナリストと写真家に違いはありますか?
わたしには涙は撮れないし、ご遺体安置所のような悲しい光景も写すことができませんでした。だけどそうした光景を切り取って伝えることもすごく大切なことだし、そういう現状を伝えてくれる人たちがいるから、私自身も世界の現状を知ることができています。
ではわたしの写真が伝えられるものはというと、6年と7ケ月通い続けているからこそ写せる現地の方々の表情かもしれません。数年に1回来てバーっとカメラを回してバーっと帰るような撮影隊には写すことはできないかもしれない表情だと思います。
カメラは武器にもなってしまうと思っていて、着の身着のまま避難所で過ごされてる方に声も掛けずにいきなりレンズを向けるのはただの暴力でしかない。
実際、震災直後に「はい、ここから撮るよー」と言っていきなり避難されてる方々にカメラを向け、とある女優さんがお菓子を配る姿を撮り始めたTV局がいて、それは誰のためのなんなのか、そんな暴力ってあるんだ、彼らは見せ物ではない、そんな撮り方は絶対にしてはいけない。と、とても悲しくなってしまって、今も訪れるたびに細心の注意をはらいながらカメラを抱えそこに居させてもらっています。
もともとはそんなに知らない土地でしたが、通い続けてきたことで今は「会いたい人に会いに帰る」感覚になっています。
仮設住宅のお母さんがいつもおにぎりを作って待ってくれている。その地には喜びだけじゃなくもちろん悲しみもあるけれど、それでもみんな一生懸命生きている。いろんな感情を抱えながら生きている姿を、一緒に笑いながら過ごせている時間を、写させていただいています。
写してきた写真たちは、この5年半各地で開催している写真展や写真集を通して多くの人が見てくださっています。
たとえば九州に住んでいる人は、東北に行きたいという思いはあっても時間的にも距離的にも実現が難しいことがあると思う。でももし写したものを向こうまで持って行くことで現状を知ってもらえば、それぞれがその地でできることを見つけてくれる。
「こんな状況なんですね、何も知らなかった、できること探します」「東北に行って自分の目でも見てこようと思いました」。そんな声をたくさんいただいていて、動くこと考えることのきっかけになれることがうれしいです。
写真展開催は自費だそうですね。
東北の写真に関してだけは「作品」にしたくないんです。他の写真たちとは違って、現状をそのまま写してそのまま伝えることを大切にしていて、アートとして写したくない。
被災された地のことで1円ももらいたくないんです。もちろん、自腹だからやればやるほど赤字になるから、仕事の撮影でいただいたお金も作品のほうの写真を売ったお金もすべてそこにつぎ込んでいます。
それでもやり続けているのは、それくらい大きなエネルギーをもらえるし、毎回学ばされること、気付かされることが多いからです。いつも人の美しさや強さややさしさを見せてもらっている。
それと、被災された地でおこなわれる音楽イベントを撮影させていただくことも多いんですが、「音楽の持つ力の大きさ」を本当に強く感じています。
避難所で「もう生きていたくないと思ってたけど、ラジオから流れてきたあの曲を聴いたときに生きようと思えた」という女の子の言葉、仮設住宅でのライブでスタンディングオベーション、誰だかわかっていないのにTOSHI-LOW(BRAHMAN)さんの歌に涙を流すおばあちゃん……。いろんなシーンを目の当たりにして、音楽って本当にすごいと思わされました。
「写真が果たせる役目」について気付いたことはありますか?
震災が起きた年の4月に宮城県亘理町を訪れた際、避難所が満員で入れず、軽トラックに一か月以上寝泊まりしている夫婦に出会いました。家は流されてしまい、洋服は着ているもののみ。
そのおふたりが「何もかも流されて写真も一枚もない。今日から新しい一歩を踏み出すためにはじめの一枚を撮ってくれませんか?」と声をかけてくださったとき、写真ってそんな役目も果たせるんだ!と嬉しくなり喜んで写させてもらいました。
同じくらいの時期、お財布ひとつ握りしめて避難所にいらしたおばあちゃんがいました。家は流され家族は亡くなった方もいて、お子さんたちもみんなばらばらになってしまった。
「でもみんなここにいる」。そう言って見せてくれたのは、お財布からたいせつそうに取り出した一枚のしわしわの家族写真でした。写真って言ってしまえば紙切れ一枚なのに、その一枚の尊さ、重みを思い知らされた出来事でした。
最近でいうと、熊本や朝倉の被災した地で写した写真をいつも通っている福島の仮設住宅の方たちに見ていただいたら、東北から九州に支援してくれたことがありました。そういう心のつながり、本当の意味での絆が生まれるためのきっかけ作りができたことも嬉しいです。
石井さんはNPO団体「Nature Saves Cambodia JAPAN」の代表も務めていらっしゃいましたね。
2009年にカンボジアの地雷原を訪れたときに初めて、手や足がない地雷被害者の方々にお会いして、なにか彼らのためにできることはないだろうかと考えたんです。
そこで、仲間たちと地雷原だった場所に綿を植え、収穫したオーガニックコットンでストールのような衣料品をつくって日本で売り、収益を彼らに届ける活動をスタートしました。
ただ寄付をもらうだけではなく、肢が欠けていてもできることに出合ったことで自信を取り戻した彼らの言葉や表情を目の当たりにして、人間のたくましさを思わされました。
そこから7年間、1年に1、2回カンボジアに通い続けました。でもわたしたちの媒介がなくても現地と日本の企業さんが直接やりとりできるようになったので、今後はカンボジアにはNPO活動として行くのではなく、様子を見に顔を見に遊びに行けたらいいなと思っています。
悲しい思いをしている人になにかしてあげたいと思うのは、石井さんご自身が心を痛めた経験があるからなのでしょう。
子どものころには、たいせつな人の死や親の離婚などいろんなことを経験しました。そのとき感じた寂しさや痛み、傷があるからか、高校生くらいのときには人の痛みにとても敏感になっていました。
考えるより先に身体が動いちゃう。それが長所なのか短所なのかはわからないのですが…。「地雷原で何があっても文句言いません」という書類にも迷うことなくサインしたし、東北にもすっ飛んで行った。この性格はもう直らないのでしょうがないんです。
人の悲しみに共鳴することが、石井さんの原動力となっているのですね。
わたしはいつも「共感はしてくれなくていい、それぞれの感じ方をしてもらえたら」と思っているのですが、共鳴といわれると確かにそうかもしれません。
痛みばかりはどんなにわかりたくてもわかりきることができないので…お母さんを亡くしてしまった5歳の子どもの心を完全にわかることはできないけど…、ちょっとでも一緒に笑えたら、やさしい写真をその子に届けられたら、と思っています。
連載THE STARTUPS SAVE THE WORLD
6記事 | 最終更新 2017.12.17おすすめの関連記事
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