前人未踏の「アート×ブロックチェーン」に挑む。
累計4.7億調達のスタートバーン、市場開拓の軌跡と勝算
約7.5兆円の市場規模を誇るも、まだまだIT化が進んでいないアート業界に、ブロックチェーンを活用して一石を投じようとしているスタートアップがある。「新時代のアート流通・評価のインフラ」を構築し、アーティストが報われる社会の実現を目指す、スタートバーン株式会社だ。
2018年7月にシードステージでUTEC(株式会社東京大学エッジキャピタル)から約1.1億円を調達した同社は、2019年5月までに、UTEC、SXキャピタル、電通、SBIインベストメント、片山龍太郎氏らから総額約3.6億円の資金調達を行った。これから次のステージに突入するスタートバーンは、「アート×ブロックチェーン」という前例のない領域をいかに見つけ出し、どのように事業をスケールさせてきたのか。
代表取締役CEO・施井泰平氏にインタビューし、約7.5兆円のアート市場を倍加させる展望から、投資家も手を出しづらい「ブロックチェーン×アート」領域ゆえの資金調達の苦悩、「一人勝ちではなく、クレジットカード会社のように競合企業との共存を目指す」理由まで語ってもらった。
- TEXT BY TAKUMI OKAJIMA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY MASAKI KOIKE
アート市場の実態は「倍以上」。ブロックチェーンで潜在市場を照射する
スタートバーンは2018年9月、アート作品の証明書を発行する「アートブロックチェーンネットワーク(以下、ABN)」を公開した。
ブロックチェーン技術を用いた証明書(以下、ABN証明書)によって、作品証明書の改ざんや紛失を防ぐ。ABN証明書は作者が簡単にカスタマイズでき、著作権を部分的に開放したり、作品を販売できる地域を限定したりすることも可能だ。また作品が売買されるたび、作者へのリターンが還元されるようにも設定できる。
ABNは、Eコマースやオークションハウス、ギャラリー、美術館、真贋鑑定所など、営利・非営利を問わずあらゆるアート関連サービスで共通して利用できるインフラを目指している。あるサービス上で取得した証明書は、世界中の他のサービスで共有され、作品の辿ってきた来歴が自動的に記録される。施井氏の予測では、ABNの普及によって「アートの潜在市場が顕在化する」という。
施井現在、アート市場の規模は約7.5兆円ですが、潜在市場はこの倍はあると僕は読んでいます。というのも、現在のアート市場は業界におけるトップ層の数パーセントの作品しか取引が計上されておらず、10万円未満で取引される安い作品は、市場に存在しないものとして扱われているんです。
ニッチな商品の販売量を積み重ねることで売上を大きく伸ばしたAmazonのロングテールモデルのように、一つひとつは少額かもしれないけれど、数多くの作品が眠っているはず。ABNの証明書が普及し、若手アーティスト作品の流通が管理されれば、アート市場全体が盛り上がると思います。
アート市場に未だテクノロジーの変革が起こらず、発展途上なままであることには、それなりの理由がある。「ミイラ取りがミイラになる様をたくさん見てきた。市場開拓には、相当の難しさがある」と施井氏は話す。
施井13年ほど日本のアート業界を観察してきましたが、テクノロジーを用いてアート業界の変革に挑戦する取り組みを、毎年2〜3件は目にします。しかし、成功を収めた人はほとんどいません。実際、過去に挑戦した人たちと話したこともありますが、業界全体を巻き込む取り組みだけに、小さなスタートアップが挑むには、相当にハードルが高いと感じています。
ただし僕たちは、ブロックチェーンを活用した公共性のあるインフラを開発することで、一社の力だけでなく業界全体の力を借りてアプローチしようとしていますし、過去に挑戦した人たちも僕たちのやり方に可能性を見出してくれています。
アート業界では門前払い、エンジニアも見つからず。リリースまでにぶつかった苦悩の数々
ABNの開発をスタートする以前から、アート作品の登録・売買ができるプラットフォーム「Startbahn.org」を運営してきたスタートバーン。2015年にローンチされた同サービスでは、アーティストが作品を売るのみならず、購入者が二次販売することもでき、作品が売買されるたびにアーティストに還元金が支払われる。
しかし当たり前だが、他のプラットフォームで作品の売買取引をされると追跡できず、作品の来歴も分からなくなり、アーティストにお金も支払われない点で不完全だった。
その課題を解決すべく構想したのが、プラットフォーム外においても来歴を追跡できるブロックチェーンの活用だ。Startbahn.orgがローンチされてから数ヶ月経った当時、同じくブロックチェーンを用いた証明書を発行する海外サービス「Verisart」が登場。ブロックチェーンが現実的に活用できる風潮は、彼らの開発を後押しした。
施井若手アーティストの作品は売れづらい。しかしアート作品は初期費用が高く、キャンパス代だけでも数万円かかるため、値段を安くするのも難しい。
そこでブロックチェーンを活用し、「最初に安く売ったとしても、二次販売以降に作者へお金が支払われる」仕組みを構築すれば、作品の流動性を高めつつ、アーティストに還元できると考えたんです。
リリースまでの道のりは、順風満帆とはいかなかった。ブロックチェーン専門のエンジニアは数が少なく、知人のつてを辿ったり、エンジニアを探すために施井氏が入学した東京大学院のすべての研究室を探しても、事業に巻き込める人間は見つからなかった。
当時は仮想通貨ブームで、エンジニアは引く手あまた。お金を積んでも勧誘は難しい。施井氏は自力でブロックチェーンについて学ぶことを決心し、リサーチを始めた。
また、「ブロックチェーンの証明書を使う」新しいカルチャーを業界に根付かせていくことも難点だった。アート業界の人たちにサービスを説明しても、「よく分からない」と門前払いされてしまうことも常だ。しかし、約1年活動を続けてきたなかで「業界の風向きは変わってきている」と施井氏は話す。
施井ブロックチェーン自体が面白いトピックとして扱われ、さまざまなところで話題になっていくと同時に、僕たちの活動を理解してもらうハードルも下がっているなと感じます。
とはいえ、まだまだ浸透していませんし、サービスを横断してブロックチェーン証明書が多くの人に利用されるには、機が熟していないと思っています。2019年秋くらいから、アーティストや作品購入者の方が発行した証明書を活用できるフェーズに移行していく予定です。
「難解なビジネスモデル×未知の市場」ゆえ、困難を極めた資金調達
2019年5月までにスタートバーンが約3.6億円の資金を調達できたのは、ビジョンに共感してもらえた結果だという。施井氏は、「公共性の高いブロックチェーン事業は、短期的な利益が得られるビジネスモデルを成立させづらく、資金調達が難しかった」と話す。
そもそもブロックチェーンは仕組みの難解さゆえに、説明には時間がかかる。加えてアート業界の内実もあまり知られていないため、前提となる背景を投資家に話すだけで、毎回多くの時間を要したという。
施井前例のない僕たちの事業は成功モデルがなく、資金調達は困難を極めました。ビジネスモデルが難解だし、事業にまつわる法律も整備されていないため、投資家も手を出しづらい。加えて、この先1〜2年は目先の利益もさることながら、何よりABNを普及させることに集中しなければいけなくなる。
資金面で優遇してくれるというよりは、シナジーがある事業を共同開発できたり、証明書を普及させる力を持っていたりする方たちから、調達しようと決めていました。
ブロックチェーンに関連する受託開発はたくさんお金がもらえるので、短期的な収益性にとらわれてビジョンを見失っている会社も散見されますが、勿体無いと感じます。世界的なサービスがまだ出てきていないこの機を逃さないよう、短期的な利益に惑わされず、プロダクトの開発に注力しつつ、長期的に大きな利益と資産を生み出す事業を創出しようと考えています。今回はそうした方針に共感いただいた方たちから資金調達でき、とても良い形になったと思います。
今回の資金調達と同じタイミングで、取締役COOに元AnyPay株式会社の大野紗和子氏が、社外取締役に元Christie's(クリスティーズ)の片山龍太郎氏が就任した。公共性の高い事業をビジネスとして成立させる力を持つメンバーを探していたタイミングだけに、施井氏は「幸運だ」と話す。
施井期待していた以上のビッグネームに関わってもらえることになり、とても嬉しいですね。大野さんは多くのオファーがあったようですが、ブロックチェーン事業の成功モデルが少ないなか、僕たちの事業に可能性を見出してくれました。ニュースによる資金調達への相乗効果も見据えていたので、このタイミングでのジョインを強くお願いしました。
片山さんも同じ時期にお会いして、彼も偶然、僕たちに興味を持ってくださっていた。今のアート業界を支える富裕層が納得できるインフラをつくるにあたって、Sotheby's(サザビーズ)とともに約250年に渡ってアート業界のトップに君臨するクリスティーズを率いた片山さんの協力は、とても心強い。また、アート領域に限らず、あらゆる会社の再建をして来られた経営者でもある片山さんの手腕を借りたく、コミットを真剣にお願いしたところ、協力してもらえる運びとなったんです。
「プロ野球選手のように、好きなアーティストについて語られる」世界をつくりたい
施井氏に今後の展望を問うと、「クレジットカードを使い分けるように、複数のABNのようなアート関連サービスを繋ぐプロダクトが並行して使われる世界をつくりたい」と話す。ABNと同じようなインフラをつくる競合が登場することも予想されるが、他のサービスと競り合うよりも、つながりを大切にし、アート業界全体を活発化させたいという。
施井VISA、マスターカード、JCBといった複数のクレジットカードを保有する人が、「VISAをつくったから、他のカードはつくらなければよかった」とは思いませんよね。同じように、ABNを基盤に、Startbahn.orgを含む数々のプラットフォームも、同時に利用される世界を目指しています。
そもそもブロックチェーンは、非中央集権的な思想です。だからこそ、自分たちだけで勝つのではなく、他のサービスと共存したい。もちろん、ABNやStartbahn.orgを積極的に利用してもらいたいですけどね(笑)。
施井氏がインターネットを活動の場にし始めたのは、2001年に多摩美術大学を卒業してからだ。アーティストを目指していた施井氏は、さまざまなアーティストの遍歴を調べるうちに、大きな技術革新が起こった節目に優れた人物が登場していることに気づく。
当時、盛り上がりはじめていたインターネットを活動の中心にして作品をつくっていけば、自らの活動にも価値が生まれるはずだと感じた。現在も現代美術家としての活動を続けており、「事業はあくまで自らのアーティスト活動の延長線上」と話す施井氏は、アート市場が他の先進国と比較して小さい日本を「20年以内にアート大国にする」と目標を語る。
施井これからの10年で市場を拡大させ、その後の10年で国民がアートに対して抱く価値観を変えたいです。アートがあまり鑑賞されていない現状は、その良さを理解するのが難しいわけではなく、文化がないために情報が共有されてないだけだと思っています。
海外へ行って、現地で人気のスポーツをテレビで見ても、何が行われているのかよく分かりませんよね。日本のプロ野球のように、小さい頃に自分もプレーしたことがある競技で、どういう選手が活躍しているのかを知っていれば、細かいルールに詳しくなくても自然と楽しめるようになるはず。
「どういうアーティストがいて、どんな作品が登場しているのか」に小さい頃から親しんでいれば、誰でもアートを楽しめるようになるのではないでしょうか。アートが国民の一人ひとりにとって身近になり、人びとがプロ野球選手のように好きなアーティストについて語っている世界をつくれれば本望です。
施井氏が「アート×ブロックチェーン」という未開拓の市場を見つけ出せたのは、確度の高い事業領域を戦略的に探って選定したわけではなく、15年以上、自身がアーティストとして業界内で活動してきたからだった。
短期的に利益を得にくい事業に根気強く臨めるのも、施井氏がアーティストとしての強い信念を持っているからこそだろう。彼のような強い信念と、専門外だったブロックチェーン領域の設計を自力で学ぶほどのタフネスを持った人に、道は拓かれるのではないだろうか。
こちらの記事は2019年06月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
岡島 たくみ
株式会社モメンタム・ホース所属のライター・編集者。1995年生まれ、福井県出身。神戸大学経済学部経済学科→新卒で現職。スタートアップを中心としたビジネス・テクノロジー全般に関心があります。
写真
藤田 慎一郎
編集
小池 真幸
編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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