【経営人材の思考に迫る】『コト』に向き合えないなら、キャリアのスタートラインにすら立てていない。
新卒から執行役員に上り詰めた二人が語る、働く上で、成果を出すことより重要な事
「新卒から数年で役員になった」そんな成功ストーリーを聞けば「自分も若いうちから責任感のある立場に駆け上がって活躍できるんだ!」と思う学生も多いだろう。未来のビジネスリーダーとなるハイポテンシャルな学生に、成長機会や、キャリア構築に関する情報提供をおこなうGoodfindの卒業生の中にももちろん、30歳前後で取締役や執行役員、子会社社長になった人たちがいる。
その中からこのたび、2人を招いた。一人は、9年連続“働きがいのある会社”ベストカンパニーに選出されたウィルゲートを人事部門から支え、9年目で執行役員に就任した北林賢太氏。もう一人は、新卒から4年で事業部長に就任して以来、事業拡大を推進し、上場以来10年以上連続で増収増益を達成したじげんで2021年に執行役員に就任し、同時にグループ会社にじげんの代表取締役社長となった今井良祐氏だ。
そんな彼らも参加していたGoodfindは15周年の節目を記念し、講演イベント「All Star Live」を開催。イベント内では「成功だけでは語れないビジネスで、成果を上げること以上に大事なこと」をテーマに、Goodfind経由で入った会社で見事新卒から執行役員となった2人の特別対談を実施したのだ。
新卒から執行役員にまで上り詰めた彼らは、一見スムーズに出世を遂げた成功者かもしれない。しかし、その裏には多大なる苦悩や挑戦があったはずだ。今回はそんな2人に、「若くして執行役員を任されるような人材に必要な価値観や経験」を語ってもらった。
- TEXT BY MISAKI ITO
意識低い系大学生から部門責任者を経て執行役員へ
北林氏と今井氏にはそれぞれ事前に学生から現在までのキャリアを振り返り、モチベーショングラフを作成してもらった。そのグラフを元に、二人がどのような紆余曲折を経て執行役員にまで上り詰めたのかを紐解いていく。
北林大学時代はいわゆる「意識の低い学生」で、仕事のための勉強などはあまりしていませんでした。というのもあり、入社してからも仕事ができなくて、なかなか結果が出なかったんです。「悔しい、こんなはずじゃない。」という気持ちはありつつも、「できない自分がダサい」と思っていました。今振り返っても、失敗・成功含め、目の前で起きている事ときちんと向き合えていませんでしたね。
でも途中で「できない=ダサい」ではなく、「成功・失敗含め目の前のことをしっかりと理解できないことがそもそもダサい」と感じるようになってからは、少し変われた気がします。ビジネスパーソンとして必要な努力を、少しずつ効率的にできるようになっていきました。
とはいっても、2〜4年目でモチベーショングラフは上げていますが、責任範囲が広がって自分で決めることが多くなったという意味で上げているだけで、失敗もかなり多かった時期です。正直、成果が出始めたというわけではないんです。
でもその失敗を元にフィードバックやできないことに向き合うと、だんだん周りからの信頼が増えるし、できる領域が広がっていくんですよ。成功・失敗問わず何からしら学びにしてやると思って仕事に向き合っていたので、成長実感が大きい期間でしたね。
新卒入社からの数年間は、仕事に向き合う姿勢によってその成長角度が大きく変わる。北林氏はそのことを、身をもって実感し、反省したからこそ、大きな加速を実現できたようだ。ところで、具体的にはどのような仕事の成功や失敗があったのだろうか。
北林新卒採用担当の頃は、最終面接で見送り判断をされた学生について代表の小島に「その理由でお見送りするのであれば、ヒアリングが不足していると思うのでもう一度面接を実施してください。」と進言して、その後採用されることがありました。実際にそのかたは今も活躍しているので成功事例ですね。
一方で、メンタリングしていた社員をつなぎとめられず、辞めてしまったこともあります。これは悔しかったですね。そういった成功も失敗もある中で、「自分はこの経験から何を学ぶか」にフォーカスしていましたね。
もちろん反対や批判を受けたら辛いですが、失敗したからといってモチベーションが下がるのではなく、それだけ大きなことをしているのだという意識がありました。よく「成功は部下のおかげ、失敗は上司の責任」というように言うことがある思いますが、当時の個人的な気持ちとしては「成功も失敗も全部自分が左右する!」と思ってやっていました。経営陣や上司も、自分に責任を預けて協力者側に回ってくれたからこそ、結果に目を背けずに向き合うことができたのだと思います。
新卒入社以来、人事部門でさまざまな経験を積んだ北林氏。5年目から所属した事業開発部門では、担当業務が大きく変わった中で、大きな失敗を経験するのだが、結果的にそれが執行役員への道となっているのだという。
北林5〜7年目はメディアの立ち上げという新規事業の責任者に任命していただいたんですど、なかなか上手くいきませんでした。他の企業さんと一緒の取り組みだったということもあり、社内でも注目されていました。しかし成果を出しきれず、事業を売却することになってしまいました。売却と言うとかっこいいですけど、実際には撤退ですね。
でもこの経験で得た学びは大きく、社からも僕に対して落胆があったわけではなく、直後に人事部門を管掌するという責任ある立場にチャレンジさせてもらう事になったんです。力もそれなりについて、重要な経営や会社判断をする立場になり、モチベーションもそこからは右肩上がりになっているように思います。
自分のできていないことに対してきちんと向き合い、挑戦を続けることで信頼やできる領域を獲得してきた北林氏。入社後は様々な挑戦をし続けたというが、学生時代から強くビジネスを志していたわけではない。
北林学生時代はサッカーとポケモンしかやっていませんでした(笑)。成し遂げたことを誇れるような学生生活ではなかったので就活時は少し焦りましたが「何をしたか」は焦っても変わらないので「どのようにやったか」について内省して就活時には、そのこだわりを伝えるようにしていました。
ポケモンばかりやっていたと聞くと面接で何も活かせないと思うかもしれませんが、実はとても戦略性のあるゲームなので「レアなポケモンをゲットするためにこれやってました」とか、「最短ルートでクリアするために、かなり戦略練ってました」って言ったら、「この学生おもしろいな」ってなる可能性もあるんですよ。(受ける会社にもよりますし、ポケモンの話は半分ギャグなので全部を真に受けないでほしいですが笑)
よく学生の方からも、「インターンをやっていないと駄目なのか」「周りと比べてしまうと自分の学生時代の頑張りが分からない」といった相談を受けるのですが、「周りとの比較や何をしたか」では無く、「コトにどう向き合ったか」が一番大事だと思っています。
また、執行役員として、より多くの後輩を指導したりメンタリングしたりするようになった今、「デキるビジネスパーソンの人物像」についても以下のように語った。
北林先ほどのお話と被る部分もありますが、「失敗したか、成功したか」はあまり関係がありません、特にキャリアの初期ではそうですね。もちろん成果を出すことは重要なのですが、それよりも成果を出すために一生懸命考え試行錯誤したプロセスの方が大事。たまたま1年目に成功した人より、失敗したけどきちんと反省して学びを深めた人の方が、中長期に見て成功角度はずっと高いことの方が多いと思います。
その意味では、事実をちゃんと受け止める人がいいなと思ってます。マネジャーから指導を受けるときも、「いや、そんなつもりじゃないですけど」と不貞腐れる人は少なくないし、私もそうだったかもしれません。でもやっぱり、指摘をしっかりと受け止めて自己改善に向けられる人は、その後の成長角度が違います。
最後通告、マネージャー失格からの執行役員就任
「意識の低い学生時代」から「仕事のできない新卒社員時代」を経て、新規事業責任者、そして執行役員にまで成長した北林氏。一方、今井氏は学生時代からじげんの新規事業立ち上げに携わり、敢えて対照的に言うなら「意識の高い学生」だろう。しかし、入社後ずっと順風満帆だったわけではないと語る。モチベーショングラフはかなり浮き沈みのある線を描いているが、この8年間で何があったのだろうか。
今井学生時代はずっとテニスをしている体育会系で、じげんに内定をいただいてからは同期と新規事業の立ち上げをさせてもらっていました。いわゆる意識高い系で、自分のことを「デキる学生」だと思っていました。、ただ、いざ社会人になってみると全然上手くいかなくて。勤怠は荒れまくるしプロジェクトも解散して、社内で「仕事への向き合い方を改めたほうがいい」とまで指摘されて。自分がダメな社会人であることを痛感しましたね。
今思うと本当に恥ずかしい話ですが、人生で初めて泣いてしまったんですよね。それでこの働き方では本当に駄目だと思い、周りの人の意見をまずは聞いてみようと思うようになりました。
2年目あたりからはとにかく周りの人たちの言うことを素直に受け入れて、すぐに改善を試みるようにしました。すると成果が少しずつ出るようになったんですけど、それがうれしくて今度は逆に天狗になっちゃって(笑)。
マネージャーに昇進したら、メンバーのマネジメントが全くできず、9人くらいのチームなのに3人辞めてしまって。ここでまた謙虚な姿勢をなんとか取り戻し、這い上がって事業部長になり、グループ会社の社長を経て今は執行役員に就かせていただいているという、山あり谷ありなキャリアですね。
成果に向き合いながらも様々な失敗を繰り返してきた今井氏。「今振り返ると、これまでの失敗するときにはいくつかのパターンがありますね」と語る。
今井私の場合、失敗する時って本当に似ていて、一つは盲目的になって周りが見えていない時、もう一つが失敗が起きている原因を自分のせいでは無いと他責にしてしまう時なんですよね。
自分で、「このやり方はいける、これが正しいはずだ」って思っていても失敗するときは失敗しますし、変に自信がある分失敗しているはずなのに、そのやり方を続けてしまう。
マネジメント経験の失敗でいうと、営業で成果が出ていたこともあり「数字を追うのが絶対に正しい」という思考を疑わずに、そのやり方を盲目的にメンバーにも押し付けていた時期がありましたし、実際に辞めてしまう人が出ても最初のうちは自分が絶対に正しいと思い続けてしまい、マネジメントスタイルを変える事ができませんでした。
ただ私の場合は幸運なことに、周りからご指摘を頂ける事も多く、「自分のスタイルが今求められている環境には適していない」と気付き、改める事ができました。そういった意味では、北林さんも仰っていましたが、「成功・失敗関係なく起きていることをきちんと理解する能力」は、継続的に成長し続けるために大事だと思います。
何度失敗を経験しても、そこから意識を変え這い上がってきた今井氏。そんな彼が最も影響を受けた社内の人物は誰なのか?と聞くと、社長の平尾丈氏だと即答する。
今井これまでで一番影響を受けたのは、やっぱり社長ですね。最終面接で「お前の競合は誰だ」と聞かれたとき、とりあえず同期の名前を挙げたら「小さい。競合は社会人全員だ」って言われて。その考えはなかったなと思ったのは今でも印象に残っていますね。
何かをやるにおいても視座を高く持つ事や視座を上げるメンターやロールモデルを持つことはベンチャーや大企業問わず、働くうえでは重要です。先輩方とできる限り関わるようにすることが、若いうちにもっとも意識すべきことだといえるかもしれませんね。
結果を出すなら意識するだけではダメ。
行動を変えないと改善されない
入社時はダメな社会人だったと語りつつも、落ち込み過ぎずに立ち向かい、執行役員となった二人。それぞれがどん底から這い上がれた理由はなんだったのか?そう聞くと二人とも「できない=ダサい」という感覚からの脱却、と答えた。
北林序盤で「できない=ダサい」という感覚からの脱却と言いましたが、僕は自分自身で変わったというより、「成果を出すことに向き合う上で変わらざるを得なかった」というのが近い気がします。
私が入社時に担当していた学生のグループワークの立案や会社説明のスライド作成は、元々得意だと思ってたんです。でも実際に会社に入ってみたら上司のアイデアの方が良かったり、登壇したときのアンケート結果もよくなかったりして。当初は学生からの評判がいまいちでも、「今回は学生との相性が悪かったのかな」と他責にして自分ができないことから目を背けてたんです。
でも人事の業務を行う上で同期の昇進も近くで見るようになる中で「あれ?自分このままだと本当にまずいのかも」と思うようになりました。
今井北林さんは同期に負けたくないという思いがやる気になったんですか?
北林同期との比較はあくまでひとつのきっかけにすぎなくて、それよりも学生からのいまいちなリアクションや、採用に繋がらないといった事実を突きつけられて、自分がイケてないなと痛感しましたね。
でもあるとき、登壇したイベントでもらった評価がすごく良くて。「自分が積み上げてきたものが評価されるときもあるんだ」と感じて、結果から常に学んで変わっていかなきゃいけないと素直に思えるようになったんです。
ここは非常に自分の中でも大きなブレイクスルーポイントで、多くの方が「同期や周りの方と比べた上で、成果が出せたか出せていないか」を気になる中、「20代のうちにどう自分と向き合うか」、「向き合った上で考えうる手段を全て使って成果をどう出すか」が一番重要だと考えています。
最初は良くないアンケート結果を上司に見せたくないと思ってて、「こういう学生だったので、このメッセージは刺さらなかったんですよね」って言い訳してたんです。めっちゃダサいですよね。でもそこからどうやったら学生に刺さるか、どうやったら上手くいくかを考えたときに、やっぱり先人の知恵を借りるべきだという考えに至りました。
今井僕も同じように成果を出すために恥を捨てて、いろんな人に話を聞きに行くことで変われたのかなと思います。僕は「できない=ダサい」の考えのままだったので、自分自身への反骨心が大きかったです。
北林最初は怒られることにかなりビビってて全然フィードバックをもらいに行けなかったんですよね。自分ができていると思ってしまっているのを剥がすのに、10カ月くらいかかってしまった記憶がありますね。今井さんはマネジャー失格のときはどうやって這い上がったんですか?
今井当時は数字しか見ていなくて、売り上げや利益を出さない人はいらないというスタンスのマネジメントをしていたんです。それだと数字はちゃんとついて来るけど、疲弊してしまうんですよね。
でも疲弊を和らげるのは、さすがに意識だけではどうにもならないので、自分の右腕になる人を見つけたんです。右腕となったパートナーとお互いをフォローし合うようになって、徐々に数字としてしか見れていなかったメンバーとちゃんと人として接することができるようになりましたね。
北林意識だけだと難しいから、実際の行動や習慣から変えていかないとうまくいかないですよね。
今井完璧でありたいわけではないけど、できないことを認められない部分はあって。社長がCEOのことをチーフ・エブリシング・オフィサーと言って、全部できてこそ社長という考えを持っているので、影響を受けていたのかもしれないですね。
経営者が求めているのは、会社全体に目を向けた上での発言
成功も失敗も経験しつつ成長を遂げ、事業部長、そして執行役員になった北林氏と今井氏。両氏が若くして執行役員に抜擢されたのはなぜなのか?要因となった行動やマインドを振り返る。
今井社内でも最大規模の事業の事業部長になれたのは、圧倒的に挑戦していた方からだと思います。ずっと挑戦し続けてたからこそ、成功も失敗もあって。むしろ失敗が多かったけど、ずっと何かしらやっていることはみんな見ていたので、その行動力が評価されたんじゃないかなと。
北林自分は自部門だけじゃなく、会社全体や社会に目を向けていたのも評価されたと思っています。人事はお金を使う部門なので、能動的に事業コンディションなどを見て、削れるところと絶対に削れないところを主張していました。
「うちの会社で今のフェーズでは、新卒採用は意味がないんじゃないか」という風潮になったときも、会社のために絶対に必要だと思ったので「お金はいらないので続けさせてください」と反論していましたし。自分の領域だけではなく、他の領域や世の中に目を向けた上で発言したり決断したりするのは、経営者が求めていることだと思いますね。
今井それで言うと、僕も全体最適目線で動いていた気がします。他の事業部との繋がりも大事にして、情報交換できる仲間の数は圧倒的に多かったですね。
北林氏と今井氏の話を聞いていると、やはり結果を出すには、自分のできないことにも真摯に向き合い挑戦し続けることが不可欠であると実感する。しかし、きっと読者の中には「自分も同じように挑戦していたら成長できるのだろうか?執行役員に早くなれる人とそうでない人との違いはどこにあるのだろうか?」と疑問を抱く人もいるだろう。最後に我々は執行役員を務める上で成果以上に重要なことを率直に聞いた。
今井前提として、「起業家」を目指すのと「社内で大きな役割になっていくのは」求められる能力が違うと考えています。「今井ならここまで任せられる」といった風に、責任が大きいポジションになればなるほど自分で掴むというより、任せてもらうといった意識は非常に大事なのかなと。
そういった意味では、執行役員や事業部長など責任が大きいポジションを目指すなら、いかにして時代に合ったマネジメントができるか、という能力が大事ですね。多様性が求められる時代ですから。単一的な人材を数多く効率的に管理・教育するような、ひと昔前のマネジメントではなく、多様な人材をうまく融合させて新たな価値を出す、そんな新時代のマネジメントが重要です。
あとはもちろん、どれだけ会社経営を知っているかどうか。賢太(北林)も人事だけど、事業部にいた経験もあったからこそ、執行役員になれたのではないかと思います。
北林それはあると思います。執行役員は単なるマネジャーではありません。あらゆることをカバーできるジェネラリスト的な能力が求められるので、しっかり勉強してアウトプットできる、という自分なりの力を身に付けておくのは不可欠ですね。
ウィルゲートでは新卒で執行役員になったのは自分が初なんですけど、取締役や創業者に自分の目線から見て正しいと思ったことを伝えていたから、抜擢しようと思ってもらえたのではと感じています。上司と仲良しこよしでいたわけじゃないけど、経営に近い人に対してこそ「へつらわずに主張する」という指針でやっていましたね。
執行役員や責任が大きいポジションを目指すなら、様々なことで「○○なら任せる」と言って貰えないといけないと語る二人。目指すところは高くとも、我々も成功か失敗かでは無く、今起きている「コト」に向き合うことから始めれるのでは無いだろうか。
【2023年新卒】ウィルゲート エントリーフォームはこちら
こちらの記事は2021年11月26日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
伊藤 美咲
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