勘で値付けする慣習に終止符を打つ。PriceTechの普及に邁進する空は、どのような未来を描いているのか
売上を左右するにも関わらず、なぜか最適化されていない領域がある。「値付け」だ。特に、需要によって価格が変動するホテルであっても、スタッフの「勘」で決められているケースが多い。
値付けの属人化問題に取り組むのが、データやテクノロジーで値付けを最適化する「PriceTech」を武器に事業を展開する「空」だ。
ホテル向けのダイナミックプライシングサービス「MagicPrice」は大手チェーンでも導入。9月にはグロービス・キャピタル・パートナーズ(以下、GCP)を新規引受先として計3億円の資金調達を実施。GCPの渡邉佑規氏が社外取締役に就任した。
空代表の松村大貴氏は「PriceTechが普及すれば、コスパで悩む人はいなくなる」と断言する。創業の背景に始まり、PriceTech市場の可能性について、松村氏と渡邉氏に話を伺った。
- TEXT BY YUKO TAKANO
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY INO MASAHIRO
学生時代から志していた「レガシー業界の変革」
「目指すは、PriceTech界のインテルです」
将来の目標について意欲的に語る松村氏は、学生時代から起業家になろうと、複数の事業立ち上げに挑戦してきた。そのきっかけは、大学時代に出会った一本の映画だという。
松村もともとギークな人間だったのですが、大学3年生の頃に『ソーシャル・ネットワーク』を観てから、テクノロジー業界への憧れが一層強くなりました。マーク・ザッカーバーグやスティーブ・ジョブズなど、テクノロジー業界の起業家は、僕にとってロックスター的な存在でしたね。
大学4年時に参加した2ヶ月間の学生向け起業プログラムは、現在手掛ける事業への道を拓いた。
松村『長期間変化がなく、現状維持をしている』。それが、市場の選定基準でした。今までほとんどテクノロジーが入り込んでいなかった領域に切り込めば、社会に大きな変革が起こせると考えたんです。
作ったのは、政治家と有権者が気軽にコミュニケーションを取れるSNSアプリだ。しかし、ユーザー数は伸びず、クローズを余儀なくされる。資金力も伴わず、松村氏は就職の道を選ぶ。就職先のヤフーではアドテクノロジーの部署に配属され、企画職を担当。この経験が、後の事業作りのヒントとなる。
松村アメリカのアドテクノロジー分野のトレンドを分析し、日本市場ではどんな広告サービスを出せばいいのかを企画していました。アメリカの現状を把握するために、シリコンバレーへ視察に行くことも。難易度の高い仕事ではありましたが、自分の実力をどんどん伸ばせる良い環境でした。
事業内容も決めずに起業。自分の「好き」を突破口に
責任ある仕事を任せられ、外資系企業出身の優秀なメンバーと、やりがいを感じながら働く日々が続いた。しかし、起業への想いが捨てきれなかった松村氏は、3年でヤフーを退職。事業内容を決めるより先に、「空」を設立する。
松村早く事業を立ち上げないと、借金だけ残して終わってしまう。日々、焦りとの戦いでした。様々な事業を模索するなかで、ふと「自分が好きなもの」を思い返しててみたんです。マーケットインだけでなく、プロダクトアウトからも発想してみようと。その時に浮かんだのが、航空業界でした。小さい頃から飛行機が好きで、社名の「空」も、純粋に空が好きだからつけたんです。
自分の好きな業界であれば、課題も自分ごと化しやすいのではないか。そう考えた松村氏は、航空会社の経営者や旅行代理店、ホテル関係者など、業界に携わる数十人を対象にヒアリングを実施。知り合いの紹介やLinkedInを使い、接点を作っていった。
関係者から課題を聞くなかで、松村氏は「航空券の値付け」領域に着目する。
松村航空券の価格は、時間帯や繁忙期・閑散期などの時期で変動するので、都度値付けを更新しなければいけません。ところが、値付けの作業は手動だったんです。テクノロジーで、値付けの属人化問題が解決できないか、と。
考えを深めるなかで、ヤフー時代に経験したRTB(リアルタイム入札)の応用をひらめく。そこから、航空券のダイナミックプライシングサービスを構想する。
構想を実現するため、松村氏は航空業界の関係者へヒアリングを重ねた。ところが、聞き続けるうち、別業界へ視点が徐々にスライドしていく。航空業界よりも、ホテル業界の値付け問題がより深刻だと気づいたのだ。
ホテルの場合、シーズンごとの需要を見極め、競合の状況も把握したうえで値付けする必要がある。本来、統計学などの高度な専門知識を用いる仕事だが、それを有するスタッフは稀であり、ほとんどのホテルが現場の経験に任せていた。
松村値付けは収益に直結します。高すぎると利用されないし、安すぎると利益率が低くなる。これこそ、ダイナミックプライシングを活用するべき場だと気づきました。
ホテルの予約や市場データを元に、日々の料金設定業務を最適化する「MagicPrice」をリリース。東急ホテルやワシントンホテルプラザなど、大手チェーンの導入が続々と決まっている。
だが、松村氏はダイナミックプライシングだけを見据えているわけではなかった。
VCでも算出できない、PriceTech市場の計り知れない規模感
松村氏が提唱するPriceTechとは、「Price」(価格)と「Technology」(技術)を組み合わせた造語だ。AIやビッグデータを活用し、利益率の向上につながる値付けを、自動で実現する技術やサービスを指す。
PriceTech市場は、多く3つに分類できるという。「ダイナミックプライシング」「プレプライシング」「ポストプライシング」だ。
「ダイナミックプライシング」は需給に応じて最適な価格を算出し、航空券やホテルの値付けに活用される。「プレプライシング」はユーザーが購入前から価格決定に参画する手法で、オークションやフリマサービスなどが該当する。「ポストプライシング」はユーザーが購入後に価格決定に参画するもので、シェアリングエコノミーやエンタメ領域に導入され始めている。
2019年に空は計3億円の資金調達を実施し、それと共にGCPの渡邉氏が社外取締役へ就任。PriceTech市場の将来性は「良い意味で推測できない」という。
渡邉PriceTechには、あらゆる業界の利益率を底上げする可能性があります。1,000億円の利益率が1%改善したなら、利益は10億円も増える。そのうちの手数料をいただくとしても、それなりの金額になる。業界単位の導入になれば桁が変わり、複数の業界にまたがれば、その規模は計り知れません。
渡邉氏が空に投資を決めた要因は、PriceTech市場の将来性だけではない。松村氏やメンバーの人間性も投資の決め手になったという。
渡邉私が投資を判断するときに最も重視するのは、CEOやメンバーが素直で誠実であるかどうか。松村さんの人柄はぴったりと当てはまっていました。こちらの指摘に対して、間違っている部分は否定するし、その通りだと判断すれば、意見を柔軟に変える。ボードメンバーの面々は個性が強く、得意分野もバラバラですが、松村氏と同じぐらい素直で誠実な方ばかり。このメンバーであれば伸びるだろうなと確信しました。
PriceTechが普及した先にあるのは、「コスパ」に悩まない世界
今後、PriceTechが浸透する市場として、どのようなものが考えられるのか。
松村たとえば、CtoC領域の個人による値付けのサポートがありえます。フリマサービスで最適な価格設定が自動で行われると、売り上げの向上に貢献するはずです。
渡邉飲食店や美容院などの実店舗でも役立ちます。時間帯や周辺状況によって価格を自動最適化すれば、人の流れさえコントロールできるかもしれない。一部の飲食店が、特定の時間帯だけ割安になる「ハッピーアワー」を実施していますよね。あのシステムを需給に合わせて柔軟に変動させるイメージです。
ビジネスの形態を問わず、あらゆる事業者にメリットをもたらすPriceTech。一方で、購買者にはどのような恩恵がもたらされるのだろうか。松村氏は「価格で悩む必要がなくなるだろう」と推測する。
松村PriceTechが普及し、需給バランスに応じた価格が常に設定されるようになれば「高いか安いか」で悩むことはなくなるでしょう。PriceTechが普及すれば、「コスパが良いか悪いか」を考えることがなくなる。純粋に「その商品を購入することで、どのような体験が得られるか」だけを考えられる世の中になるはずです。
統計に明るく、多数の事業をデューデリジェンスしてきたGCP渡邉氏ですら「市場規模を算出できない」と断言したPriceTech。空は2017年にTechCrunch Tokyoのスタートアップバトルで優勝、2018年7月に約1.7億円を調達し、2019年の5月と9月に再度調達。2019年8月24日号の東洋経済「すごいベンチャー100」にも選出されている同社は、新規市場をどう根付かせていくのか。浸透度を判断する目安は、人々が「コスパが悪い」という感覚自体を持たなくなったときだろう。
こちらの記事は2019年11月28日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
高野 優子
フリーの編集、ライター。Web制作会社、Webマーケティングツール開発会社でディレクターを担当後、フリーランスとして独立。
写真
藤田 慎一郎
ライター/編集者。1991年生まれ。早稲田大学卒業後、ロンドンへ留学。フリーライターを経て、ウォンテッドリー株式会社へ入社。採用/採用広報、カスタマーサクセスに関わる。2019年より編集デザインファーム「inquire」へジョイン。編集を軸に企画から組織づくりまで幅広く関わる。個人ではコピーライティングやUXライティングなども担当。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
おすすめの関連記事
「スタートアップ=ハードワーク」はもう古い──「家事代行手当」に「コミット選択制」。成長戦略としての“働きやすさ”とは?
- ハルモニア株式会社 執行役員 Chief Strategy Officer
サステナブルに収益を生む7事業、一挙紹介!これが真のベンチャースピリットだ【Conferenceピッチセッションレポート】
- ハルモニア株式会社 代表取締役 CEO
機会の「バリエーション」と「場数」こそが価値の源泉──リクルート新規事業開発PdMに訊く、個の経験値を左右する組織構造の真実
- 株式会社リクルート 事業開発領域プロダクトデザイン部 部長
事業家人材が望むのは「アクセルをベタ踏みできる環境」「地に足の着いた経営」の両立──入社半年で、10倍成長の事業責任者を務めるX Mile安藤が明かす、“コンパウンド化”の過程のリアル
- X Mile株式会社 物流プラットフォーム事業本部マネージャー
大企業の課題を「ワクワク」感を持って共に解決する。──“そのパワフルな動き方は、小さなアクセンチュアや電通”と形容するpineal。大手企業の基幹戦略を内側から変革するマーケティング術とは
- 株式会社pineal 代表取締役社長
そんな事業計画、宇宙レベルで無駄では!?プロ経営者と投資家が教える3つの秘訣──ラクスル福島・XTech Ventures手嶋対談
- ラクスル株式会社 ストラテジックアドバイザー
隠れテック企業「出前館」。第2の柱は32歳執行役員から──LINEヤフーとの新機軸「クイックコマース」に続く、第3の新規事業は誰の手に?
- 株式会社出前館 執行役員 戦略事業開発本部 本部長