連載私がやめた3カ条
理想の経営者像なんて捨ててしまえ──47ホールディングス阿久根聡の「やめ3」
起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。
今回のゲストは、働く場所や環境など「ワークプレイス」の総合コンサルティングを行う47ホールディングス株式会社の代表取締役社長、阿久根聡氏だ。
- TEXT BY TEPPEI EITO
阿久根氏とは?
謙虚でロジカルで、ときどき気合
九州大学を卒業後、富士銀行(現 みずほ銀行)で働いていた阿久根氏は、入社3年目の年に、ビジネスキャリアにおける大きな転換点を迎える。大学時代の友人である諸藤周平氏が立ち上げたエス・エム・エスへの転職だ。
エス・エム・エスへの入社後すぐに、彼はCFOに就任。大手銀行のいち平社員が、スタートアップのCFOになったのだ。
企業はIPOを目指して成長していき、見事2008年にマザーズ上場。がむしゃらに走り続けてきた同氏は、このときふと冷静になって考えた。会社の成長スピードに自分の成長スピードが追いついていないな、と。
会社の成長にとって自分の存在が足かせになるのではないか──。そう感じた彼は、エス・エム・エスを退職。新天地を探し始めた。
そんなときに出会ったのが、47創業者である宇垣充浩氏だ。宇垣氏の魅力と47の事業領域の魅力に引き込まれた阿久根氏は、入社を決意。2013年、副社長のポジションでジョインすることになった。
その後、2019年に創業者であり代表であった宇垣氏が47を離れることになり、阿久根氏が社長に。事業子会社3社をまとめる47ホールディングスの代表として、組織を牽引している。
未経験の業務やポジションを任され続けてきたビジネスキャリア。そこで順応していくために彼は、何を“やめて”きたのだろうか。
行動を指示するのをやめた
いち銀行マンとして働いていた彼にとって、エス・エム・エスでのCFOの仕事は、すべてが未経験だった。
しかし、阿久根氏にとって、業務自体はさほど大変ではなかったのだという。やったことのない仕事ばかりだったが、ゴールは決まっている。管理部門の立ち上げ、早期のIPO実現。それさえ決まっていれば、そこに向かって前進あるのみ。
本当に大変だったのは、コミュニケーションの部分だった。当時のエス・エム・エスは個性豊かなメンバーが多く、「まるで全員が起業家のようだった」と話す。そんな中で、メンバーに「こうしてほしい」と指示を出しても、「なんで?」と言い返される始末。
阿久根命令口調で指示を出しても聞き入れてくれるようなメンバーじゃなかったので、行動を指示するのをやめて、その先にある目的を共有するというコミュニケーションに変えました。
例えば……労働環境整備の一環として就業時間の短縮を試みた時期がありました。だけど一方で、まだエス・エム・エスがスタートアップの頃だったから、仕組みも整っておらず、やることも山積み。そんな時、IPOを目指していることや持続性のある体制を作らなければいけないことを伝えることで、「どうすれば生産性を上げられるか」をメンバー自身が考えてくれるようになりました。
自分自身もこのやり方に変えたことで、短期目線で「今を切り抜ける」のではなく、長期目線で「将来のために」という考え方ができるようになった気がします。
ベンチャー企業において、「気合でなんとかする」という進め方はよくある。しかし、長期的なゴールを目指して組織を動かそうとするときには、それだけでは前進しない。少し先の未来を見せるコミュニケーションを取ることによって初めて、どうすれば前進できるかという思考が生まれてくるのだ。
経験から向き・不向きを決めるのをやめた
エス・エム・エスから47への転職の際、彼は「CFO」としてではなく「副社長」としてジョインした。この違いは阿久根氏にとって非常に大きかったという。管轄領域が、これまで見ていた管理部門だけではなく事業部門にまで広がったのだ。
阿久根管理部門って、“起こったこと”に対してアクションすることが多いんですよね。課題を抽出して整理して、円滑に回るように整備していくっていう。一方で事業サイドの営業とかって、「どうやって切り開いていくか」というのが大事だと思うんです。未知なことが多すぎるというか。そこの違いに最初は戸惑いましたね。
でもふと考えてみると、別に自分が管理部門に向いているってわけでもないなって思ったんです。CFOになったのも「銀行で働いていたから」というだけの理由ですし(笑)。経験が長いものが「向いているもの」とは限らないなって。
CFOとしてストーリーを作り戦略を練ることを得意としてきた阿久根氏にとって、不確定要素が多く戦略を作りづらい営業の業務は“不得意領域”だった。しかし、彼はそれを不得意領域と捉えるのをやめ、ただ経験したことがないだけだと考えるようにしたのだ。
阿久根例えば、元々しゃべりが上手くないなという苦手意識はあったんです。今もそうですけど(笑)。でも営業をやってみて、ストーリーを分かりやすく伝えたり、ロジカルに会話したりと、自分の強みを活かせる営業スタイルを見つけることができました。実際にやらないまま遠ざけてきただけだったんだな、と思いましたね。
このように考え方を変えたことで、「まずやってみる」ということの怖さが薄れた。その結果、経験が蓄積され、得意領域である「ストーリー作り」に繋がるという好循環を生み出すことができるようになったという。
優秀な経営者になるのをやめた
「優秀な社長」と聞いて、どのような経営者をイメージするだろうか。阿久根氏にとってのそれは、「考えて、決定して、実行できる人」だった。
2019年に創業者である宇垣氏が47を離れ、阿久根氏が社長に。これまでは戦略立案を得意としていた彼が、その後の「決定して、実行」しなければいけない立場になった。
この変化は最初、阿久根氏を苦しめた。自分が考えた戦略を否定してくれる人がいなくなったことで、逆に萎縮してしまうようになったのだ。日々大きな決断をしている周りの経営者を見て、焦りを感じることもあったという。
阿久根当時は「早く優秀な経営者にならなければ」と思っていました。でも自分が優秀な経営者になるのを会社が待つのはおかしいなって思ったんです。というか会社の成長にとって、1人の優秀な経営者が必要不可欠ってわけでもないな、と。
自分が得意なのはやはり戦略を立てる部分。なのでそれ以外の「決定」「実行」の部分を他の人に補ってもらうことにしたんです。例えば、会社の戦略についてはCOOの佐々木さんに見てもらっていますし、事業のことについてはほとんどすべての権限を各事業責任者に移譲しています。
自分の成長を会社が待つ必要はない──。この考え方はエス・エム・エスを退職したときも同じだった。彼の発言や行動からは、常に「会社のために」という思いが感じられるのだ。
先日入社した新入社員に向けて、彼は「早く社長の座を奪いに来てください」と話したという。おそらくこれはリップサービスではない。自分の古い考え方がいつか会社の足かせになることが分かっているからこそ、会社の成長のために、新しい考え方を持つ新しい人に社長という役割を任せたいと考えているのだ。
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