連載私がやめた3カ条
東京暮らし、やめました──オーディオストック西尾周一郎の「やめ3」
起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」、略して「やめ3」。
今回のゲストは世界最大級のロイヤリティフリーのストックミュージックサービス『Audiostock』を運営する、株式会社オーディオストックの代表取締役社長、西尾周一郎氏だ。
西尾氏とは?:利益より大切なものがある!?
音楽を愛す起業家
「むしろ音楽家になりたいと思っていました」。岡山県に生まれ幼少期にエレクトーンに夢中になった西尾氏は、物心ついた時から音楽を仕事にしたいと考えていたと話す。
大学でプログラミングを学びビジネスの道に進んだきっかけは、在学中に音楽投稿コミュニティを立ち上げた経験だった。「音楽を作る以上に、音楽家向けサービスを提供する方が面白かった」。そんな思いを形にしようと、2007年に前身となる株式会社クレオフーガを創業した。
創業当初から音楽投稿コミュニティ「CREOFUGA」の運営を始めたのち、主力事業をクリエイターが創作した音楽作品を利用できるサービス「Audiostock」にシフトした。TikTokやYouTubeを使えば誰もが音楽コンテンツの作り手となり得る今、効果音やBGMの素材は爆発的にニーズが拡大。「Audiostock」はユーザーがロイヤリティフリーで本格的な音源を利用でき、利用実績に応じて音源を投稿したクリエイターに印税が支払われる仕組みだ。利用者数が右肩上がりの中、2020年に社名をこのサービス名に改めた。
主力事業も社名も変えた過程で、西尾氏は数々の決断に迫られた。何かを始めることと同等に、辞めることも多大なエネルギーを伴う。その選択の裏側にはどんな葛藤があったのか。見えてきたのは、西尾氏の“ブレない軸”だった。
受託をやめた
創業の動機は十人十色だろう。受託か自社サービスかの違いでいえば、受託の方が売り上げを作りやすいと考えるのが普通かもしれない。もちろん受託であれ、コンスタントに受注し、クライアントに質の高いサービスを提供し続けることは容易ではない。ただ、自社サービスをヒットさせ、軌道に乗せるのはさらにリスクや困難が付きまとうものだ。
西尾氏も創業から数年間は、システム開発やHP制作などの下請けを担ってきた。一方で、こんなフラストレーションがあったという。
西尾創業して最初は全然食えない状況でした。受託を始めて、安定して仕事を頂ける会社も増えてきました。もちろん仕事をいただけているのはありがたかったです。でも、これ(受託)をやりたくて創業してるんじゃないよな、という葛藤がずっとあったんです。音楽に関する自社サービスをやりたくて創業して、それをやるために社員も採用していたので、受託事業を続けるのは、僕自身もモチベーションが続かないだろうなというのがありました。
2013年、腹を括って受託を辞めようとした。だが一度目は資金繰りが上手くいかず、続けざるを得なかった。最終的に自社サービスのみに切り替えられたのは2018年だった。
やめられた理由は二つある。資金調達のしやすさが変わった。2013年当時は1億円規模でも滅多に調達できなかったが、2018年ごろにはシード〜シリーズAのスタートアップでも、数億〜数十億円単位の調達を行う企業が出てきていた。もう一つは、新規事業として開始した「Audiostock」が育ってきたことが背景にある。同じ頃から動画コンテンツの需要の高まりを肌で感じたという。
調達環境の改善に加え、温めてきたサービスが社会のニーズとともに花開いてきたことが、西尾氏の背中を押したようだ。
創業事業をやめた
生き残るのは強い者ではなく、変化に対応できる者だ—。かの生物学者の言葉が現代にも浸透しているのは、ビジネスでも同じことが言えるからではないだろうか。とはいえ、それを行動に移すのは誰もができることではない。思い入れのある事業であれば猶更、撤退には迷いがあるはずだ。
創業事業だった音楽コンテストを辞めたのは2020年6月。西尾氏が苦渋の決断の末に撤退したのはなぜなのか。運営していた「CREOFUGA」は、ユーザーから創作した楽曲を募集し、コンテスト形式で企業の楽曲利用ニーズとマッチングするサービスだ。レシピ投稿サービスの代表サービスである「クックパッド」のビジネスモデルを、音楽でも再現できないかと考えたのがきっかけだ。だが、音楽領域ではそう簡単に同じようにはいかなかった。
とは言っても、ユーザーは1~2万人まで伸びた。今でも終了を惜しむ声が寄せられるという。それでも苦渋の決断に踏み切ったのは、上場を見据えた経営判断が背景にあった。「Audiostock」の成長を加速させるための“選択と集中”だ。
西尾『Audiostock』を成長させるためにリソースを使いたいと考えるようになりました。責任感というか経営判断というか、出資を受けた以上は投資家をはじめとした株主の皆様にリターンを返さなきゃいけないし、『Audiostock』という事業をなんとしてでも成功させなきゃいけない。それ以外はたとえ僕個人やメンバーの思い入れがあったとしても、捨てていかなきゃいけないこともあるよな、と気持ちを切り替えるようになった気はしますね。
僕らは音楽業界を代表する企業になって、音楽家が安心して楽曲を預けてくれるような企業になりたいというのは正直あって。その想いを実現するための一つの選択肢として、上場があります。それが音楽家にとってのハッピーに繋がると考えているので、うちの理念にも通ずるところはあります。
創業時から同社が掲げているビジョンは、“音楽を生み出す人をハッピーにする”。目先の利益ではなく、ビジョンを実現するための手段に創業事業の撤退があったのだ。
東京暮らしをやめた
ベンチャー、スタートアップ企業のひしめく東京。渋谷か、五反田か、それとも東京・大手町か…。頭を抱える起業家も少なくない。立ち上げ段階なら投資家と直接コンタクトの取れる場所に足場があったほうがいいだろう。ただ、フェーズによって本拠地に求める利点は様々だ。
もともとオーディオストック社(旧クレオフーガ社)は、登記上の本社は岡山だったが、実質的な拠点は西尾氏自身も居住する東京だった。だが新型コロナウイルス感染拡大の影響で緊急事態宣言が発出されて間もなく、2020年6月に岡山に移った。株主総会や業務がリモートに移行し、株主やメンバーと直接対面する機会が減ったことから思い至ったという。
「これからどうなるか分からないですが」と前置きする同氏だが、移住後も資金調達は順調だ。むしろ監査法人がすぐ決まったのは思いがけないメリットだった。
西尾周りの経営者でも、監査法人難民がいました。東京だとスタートアップが多くてなかなか受けてくれませんが、地方だからすんなり決まったというのもあります。監査法人としても地方拠点ベンチャーへの支援体制を拡充しているので、環境は整っていますね。
地方だからこそ受けられる恩恵もありそうだ。テレワークの波が加速し、働く場所・住む場所を選択できる時代だ。企業誘致を進める地方自治体も少なくない。ゆかりのある地域のある起業家や経営者は、拠点選びに新しい可能性を探ってみても良いかもしれない。
「音楽が好き」「音楽サービスが楽しい」。これが西尾氏のブレない“軸”だ。資金ショートのピンチすら乗り越え、なぜ前進し続けられるのか。
西尾僕らは音楽が大好きなので、もし失敗して辞めてもきっとまた音楽サービスの会社を立ち上げると思うんです。ならたとえキャッシュが尽きるリスクを背負ったとしても、今の会社で踏ん張って頑張り続けたほうがいいよね、という話は、創業メンバーとよくしますね。
揺るぎない軸があるからこそ、変化に柔軟に適応していけるのだろう。それが進化し続けるスタートアップであるための秘訣なのかもしれない。
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