連載私がやめた3カ条

チームを牽引するのは自分ではない。ミッションである──コドモン小池義則の「やめ3」

インタビュイー
小池 義則

2002年横浜国立大学経済学部を卒業し、株式会社ベンチャー・リンクに入社。FC開発における新規リード獲得部門を担当する傍ら、社内でWeb推進室を立ち上げ2009年に起業。独学でWebマーケティングを学び、クライアントのWebサイトの企画・設計・デザイン・運用の側面から事業成長を支援顧客企業のWebマーケティング支援を行う中で、2015年に自社プロダクト「コドモン」をリリース。プロダクトの初期開発フェーズでは、自ら全体仕様の設計、UI、フロントエンジニアリングに携わる。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは、保育・教育施設向けICTサービス『CoDMON(コドモン)』などを展開する、株式会社コドモン代表取締役、小池義則氏だ。

  • TEXT BY SHO HIGUCHI
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小池氏とは?
冷静さと野心を秘めた“執念”の起業家

保育・教育ITの分野で独自の存在感を放っているスタートアップが、小池義則氏率いる株式会社コドモンだ。保育・教育施設向けICTサービス『CoDMON』の運営を筆頭に、求職者・保護者向け園探しプラットフォーム『Hoicil(ホイシル)』、写真プリントサービス『コドモンプリント』など、子育てとITを掛け合わせた各種サービスを展開している。保育や教育を取り巻く課題をITで解決したいテック人材の中では、知らない者はいないだろう。

従業員数も2022年4月時点で191名と、2018年11月の創業から一気に拡大してきた。教育、福祉はなかなか利益が出にくいと言われる分野ながらも、ここまでコドモンを成長させてきた小池氏。その経営手腕に、どういった哲学の裏付けがあるのだろうか。

小池氏については、自身のことを冷静に見ているというのが印象的だ。新卒で就職したばかりの頃を振り返り、「社会に出てから自分の仕事のできなさに愕然としました」と語った。それから十数年経っているとはいえ、今の小池氏からは想像もできない。着々と積み上げてきた結果が、今の小池氏だというのだろうか。

今回は、その積み上げについて深掘りさせてもらった。今に至るまでどんなハードルや苦悩があったのか。今回のやめ3は、そんな同氏の成長のストーリーである。

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「起業できるかな」と悩むのをやめた

「起業したい」という思いを秘め、小池氏が最初に入社したのはベンチャー・リンク。当時、まだベンチャーを起業することが今よりも一般的ではなかった時代で、ベンチャー・リンクは「起業家輩出機関」を標榜し、数少ない起業家志望の若者たちを次々と採用していた。小池氏もまた、その一人であった。

同期のうち3分の1は将来起業予定、3分の1は親の会社を継ぐ。そんな会社でした。高校や大学の私の同級生たちは商社・金融・弁護士などといったキャリアを選んでいた時代です。

実際、ベンチャー・リンクは数多くの上場起業家を輩出しており、いわゆる「起業家輩出企業」としてベンチャー界隈では有名となった。最終的には民事再生の道を歩むことになった同社だが、当時標榜していた「起業家輩出機関」としての役割は、華々しいまでのものがある。

その一翼を担っている小池氏は、社会に出てから「自分のできなさ」を知ったというのだ。今聞くと謙遜にしか聞こえないが、同氏にもやはり下積み時代があったということらしい。

サラリーマンになってからしばらくは成果をずっと出せずにいました。だから「自分に起業なんて本当にできるのだろうか」「もう少しサラリーマンをやってスキルを磨かないと」などと思いながら、起業までの目標期間としていた決めていた3年を過ぎてもなかなか踏ん切りがつかずにサラリーマンを続けていました。

そんな中で会社の業績が悪化し、このまま今の会社に居続けて、成長できるだろうか──。悶々としていたのは、小池氏だけではなかった。一念発起した小池氏は、同じく起業を志す同期3人と一緒に「とりあえず起業」することに決めた。

目指したいミッションやビジョンなどがあったわけではありませんが、共同経営という形でようやく起業できました。

毎月食べていくのがやっとでしたが、自分で商品を作って、販路を開拓して、値付けして、という起業の流れが勉強できたことが、後にコドモンの前身となる会社を起業したときにも役立ちました。

人材紹介の事業に着手し、トライとエラーを繰り返す。限られたリソースの使い方を最適化する思考から、自らリソースの量を決める思考へと転換した。サラリーマン時代では得られない思考法だろう。「とりあえず」の動機だったのが、経営者としてのキャリアの決定的なターニングポイントとなっていた。

のちに共同経営していたこの小さな会社は、方向性の違いから解散することになったが、いずれの企業での経験も小池氏の血や肉となっているのだ。

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受託と新規プロダクトを分けるのをやめた

一度目に起業した会社を解散したのは、小池氏に大きな野心があったからであった。「事業拡大し、社会的価値の高い会社を作りたい。」と考えていた同氏と、他のメンバーとの意見の相違のためだ。

磨いたWeb制作スキルを活かし、スパインラボという会社を立ち上げ、二度目の起業に至る。

最初は、Web制作からチラシの制作まで「何でもやります」というスタンスで受託制作をしていました。社員が4〜5人になるところまではいきましたが、そこからどうにも売上が伸び悩んでしまったんです。

営業・ディレクション・納品・サポートすべて1人でやっていて、分業体制ができていなかったため、他の社員に仕事を任せることができなかったのが原因です。

「今の受託スタイルではどうしても大きなビジョンを描けない」と考えていた小池氏。自社の存在する社会的意義についても自信を持てず、「一体何のために仕事をしているんだ」と繰り返し自問自答していた。そうした中で、受託事業だけではなく、自社プロダクトの開発を模索するようになる。

一般論として、受託事業から始まった会社が、自社サービス事業に重心を移すのは容易なことではなく、ほとんどの会社は失敗する。では小池氏が当時率いていたスパインラボは、どのように切り抜けたのか。

当時、受託事業の一つで中学・高校向けの保護者向け連絡システムのご相談をいただいた事がありました。一般的なメール配信システムをWebアプリ化したようなシンプルなものなのですが、そこで準備したシステム企画案が、クライアントからも評価をいただき、手応えを感じるものにできました。

ふと、「もしかすると、これをプロダクト化したら、他の教育機関にも横展開で売れるのではないか」と思ったんです。

小池氏はこのシステムを持って、いくつかの教育機関へと足を運び、実際に営業して回った。やはりそう簡単にはいかず、多くの教育機関で断られた。やっとの思いで形になったのは、湘南ベルマーレフットボールアカデミーでの保護者連絡システム。実はこれが、その先の保育園向けのシステム受注に繋がることになったのだ。

自社プロダクト開発に向けた手応えは大きくなった。この受注をきっかけに、ただの受託ではなく、システムを提案し、開発し、販売する形を模索し始めた。

徐々にシンプルな受託を減らすことができるようになっていきました。そして、ある大きな保育園の案件で作ったシステムが、非常に良い手ごたえを感じるものとなり、今のコドモンのプロダクトにつながったんです。このタイミングで、「保育園を対象としたプロダクトを作ろう」と決めました。

受託案件をただこなすのではなく、プロダクト化を視野に入れたシステム開発として進めていく。もちろん、口で言うほど簡単ではない。それを愚直に繰り返した小池氏。

小池氏はシンプルな受託事業を昼間に、新規事業につながる開発を夜中に一人でやっていたという裏話もあるという。冷静な判断と、夜中までハードワークしてまで作ろうとする自社プロダクトへの執念が、コドモンを生み出した。

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ミッションなしのトップダウンをやめた

そうして自社プロダクトを順調に成長させられるようになってきた同社。15名程度の規模にまで拡大していた。

ここで新たな課題にぶつかる。小池氏の意思決定で動くトップダウン型の組織を抜けられずにいたのだ。「それまでは、『小池さんの言うこと』を実現する会社でした」と述懐する。

権限移譲の必要性は感じつつも、「サボるんじゃないか」という懸念から組織体制をなかなか変更できずにいた。だがそんな小池氏に、突然転機が訪れた。

2018年7月に、突然の激痛に襲われ、入院することになりました。重度の肺炎でした。しばらく入院することになったため、どうしてもトップダウンで私の指示を伝えるわけにはいかず、権限移譲せざるを得なくなったんです。

そこで一気に権限移譲し、逆に時間ができた小池氏。「ミッションを作ったほうがいい」という社内メンバーからの声に従い、ミッション作りに取りかかる。

小池「なぜこの事業をやっているのか?」「この事業の先にどういう世界を作りたいのか?」などを時間をかけて自問自答して自社の事業の目的を見直していきました。ただシステムを開発して販売するだけのITベンダーではなく、どういう目的やビジョンを持った組織なのか定義していくことが、その後の会社の将来価値を左右していくとなんとなく考えていました。。

目線を高くしてビジョナリーにしすぎるとどこの会社でも言っているような特徴のない曖昧なものになるし、逆に具体度が高すぎると「先生たちの負担を解決する」など手段によったものになりすぎてミッションとしては不適切になりますし、そのバランスは難しかったですね。

今も掲げている「子どもを取り巻く環境をテクノロジーの力でよりよいものに」というミッション。小池氏の意思決定すべてが、ミッションに準じるものにすべく、自らを厳しく律するようになった。

そして、ミッションができたことによって特に大きく変わったのが、「採用」だという。

ミッションを語ることによって、「ミッションを実現するための会社であり、そのための事業である」という共通認識が当たり前のものになりました。候補者の方々にとって非常にわかりやすくなったんでしょう。子どもに対して想いのある方や、コミット力の高い方が次々ジョインしてくれるようになりました。

採用市場においても、「保育・教育ICTならコドモン」という認知が広がっていったことを感じました。

コドモンというプロダクトの成長だけを見ていると順風満帆に見えるが、起業家の例に漏れず、裏にはこれだけの苦労があるのだ。

「自分には起業なんてできない」と思っていた時代からコツコツと積み上げ、ようやく辿り着いたコドモンという会社は、可愛くて仕方ないだろう。野心を抱いた一人の青年の執念が、保育・教育ITの広大な地平を切り拓いたのだ。

こちらの記事は2022年08月18日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

樋口 正

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