連載私がやめた3カ条

近くが見えなければ、遠くを見ろ──nat劉栄駿の「やめ3」

インタビュイー
劉 栄駿
  • nat株式会社 代表取締役社長 

大学卒業後、⼤手外資系企業2社にて、ファイナンス関連業務、会社統合に伴う業務改⾰、戦略経営財務関連コンサルティング、データモデリング等業務を経験。2019年にnat株式会社を設立し代表取締役に就任。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、建築業界向けの3D計測アプリ『Scanat(スキャナット)』を提供するnat株式会社の代表取締役、劉栄駿氏だ。

  • TEXT BY TEPPEI EITO
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劉氏とは?
修行期間を経て進化したアントレプレナー

「自分にとってのビジネスキャリアの転換点…。思い当たらないですね。起業するために必要な場所に、必要なタイミングで進んでいたので」。これまで本連載で聞いてきた起業家は、衝撃的な経験が引き金となり、行動や思考が変化した事例が多々ある。ところが劉氏は意外にも、そうしたターニングポイントは“自覚が無い”のだという。

「いつかもう一度起業しようと思っていた」と語る劉氏。学生時代に一度起業をして失敗した経験を持つ劉氏には、力をつけて再度起業に挑戦したいという野望があった。その野望をかなえるために、戦略的にキャリアを築いていたというのだ。

学生時代には、Webマーケ企業や投資銀行、不動産会社、VCなどでインターンとして経験を積み、大学を卒業してからは外資系保険会社に就職してM&Aに伴うPMIやファイナンスの業務に従事。その後、外資系コンサルティングファームへと転職し、戦略コンサルから経営コンサルまで幅広い業務を担当した。

そうしてスキルと経験を積んだ劉氏は、2019年にnat株式会社を立ち上げる。

しかし、そうして万全の準備を整えて挑んだ念願の起業であったが、経営をする上でさまざまな障壁が立ちはだかった。そのとき彼は何をやめ、どのように会社を成長させてきたのか。

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“両極端なカルチャー”を捨てた

大学卒業後、新卒で彼が入社したのは外資系の保険会社。大手企業を選んだのは、世の中に存在する会社組織の実態を知ろうと考えたからだ。「一般的に大企業は意思決定が遅いと言われることが多い。本当かどうか確かめたかった」と劉氏は語る。それがわかれば、将来的に自分の会社が大きくなった時に、意思決定スピードが成長のボトルネックとなったとしても、冷静に対処できると考えたのだ。

劉氏が担当していたのはポスト・マージャー・インテグレーション(PMI)という、合併後の統合プロセスを担う仕事だった。

担当したのは外資系企業と日系企業の合併案件。彼はそこで、外資系と日系それぞれの特徴を知ることになる。

外資系企業はスピードやクリエイティブ性を重視する傾向にあり、業務フローを見ても、いかにシンプルに簡素化するかということを徹底的に考えています。一方、日系企業では何事も慎重に進めようとする傾向にあり、対人関係を重視するという特徴もありました。

お互い良さはあるのですが、統合の過程で双方から不満を聞くようになったんです。外資組から日系組に対しては、「スピードが遅い」。逆も然りで「仕事が雑だ」というように、お互いに不満が生まれるようになったんですね。

お互いの長所と短所はもちろんある。1つの組織に統合するために最善の方法は何か──。劉氏が提案したのは、ベースとなるカルチャーを決めた上で、他方の文化の良い部分を取り入れることだった。親会社となるのが外資系だったため、外資の文化に合わせ、最新の社内ツールにしたり、ペーパーレス化を図ったり、業務効率化を進めた。

一方で日系の良さも取り入れた。それは密なコミュニケーションだ。「“冷たい”というイメージを払拭するために、親会社の外国人CEOを全支店に連れて行き、現場のメンバーと対話する機会を作りました」と言うほどの徹底ぶりだ。

こうした異文化を融合させた経験はnatの経営にも活きている。「スピード感を大切にしたいので、natでは外資のカルチャーをベースにしている」と前置きしたうえで、日本で経営する以上はコミュニケーションの取り方を重要視しているのだ。

日本において、外資系のドライなコミュニケーション文化を取り入れてしまうと、うまくいかないだろうと思ったんです。実際、そうした密なコミュニケーションがクリエイティブに対して良い影響を与える場合も多いですからね。

また、当時の経験から、異なる文化を持つ人間が一緒に働くためには「お互いについて知ること」が重要だということを学びました。natではオープンコミュニケーションによって、互いを知り合うための対話を促す機会を増やすようにしています。

このフェーズのスタートアップでは組織づくりを後回しにして、事業の推進に注力しがちだが、natでは社内のコミュニケーションのあり方まで意識的に設計しようとしている。創業時から個別のチャットは原則的に推奨せず、オープンな場所で対話することを徹底しているという。

合併時のように、組織が成熟していない時期にこそ、そうした密なコミュニケーションでお互いを“知り合う”ことが重要だと経験から学んでいたのだ。

外資の効率主義は残しつつ、日系特有の密なコミュニケーションを取り入れるのが、クリエイティブで且つ健全な組織であり続ける秘訣ということだろう。

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友人を特別扱いすることをやめた

起業にあたり、気の合う友人を誘うというケースは少なくない。劉氏もその一人。 当時の彼が持っていた「一緒に働くメンバーに求める条件」は、コミュニケーションが取りやすく理想のビジョンを共有できること、だった。そういう点では、とある友人は条件にぴったりだったのだ。

最初の頃はメンバーとのコミュニケーションも円滑で、何も問題はありませんでした。しかし会社が成長してくると、メンバーから彼に対する不満が増えてきたんです。物の言い方がきつかったり、メンバーを傷つけてしまう言動があったり。そうした不満は私を介して何度か伝えてはいましたが、友人ゆえに強く言えず、彼が改善することはありませんでした。

最終的には会社のために強く言うようになりましたが、彼からすると急に私の態度が変わったので反発されてしまったんですね。

劉氏は何度も迷ったという。だが、会社をより大きく成長させるためにはメンバーがパフォーマンスを発揮できる環境を整えることが必要だと考え、最終的には友人とは別の道を歩むことになった。

劉氏はこの経験から、友人同士の「優しさ」だけでは経営はうまくいかないということを身をもって学んだ。そして、「一緒に働くメンバーに求める条件」も変わったのだという。

スタートアップではスピード感を持って成長していかなければならないと考えています。そのうえで大切なのが、中にいる人間も会社の成長に適応していくこと。メンバーには、会社の成長についていってもらうことが必要だと実感しましたね。

オープンマインドで自分を変えていける人物かどうか。こうした考えは今のnatのバリューに、そして採用基準になっているという。急成長を遂げるスタートアップで働くならば、自分もその急成長についていくことが必要なのだ。

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“近く”を見るのをやめた

数々の“起業修行”を経て、やりたいことが見つかった。引っ越した時、部屋の採寸に頭を悩まされた。多忙な生活を送っていた劉氏は部屋の整備に時間をかけることができず、家具量販店に行っても置きたい場所に合うサイズの家具がわからないもどかしさがあったのだ。

引っ越しの出来事以前に、もともと住まいにはこだわりがありました。人は自宅で長い時間を過ごしたりくつろいだりするのに、一度住む場所を決めた後は、アップデートする機会があっても方法と手段を知らないため、結果的にアップデートしないことが多く起こっていると思います。

みんなそれぞれ自分の個性があって、家具などを含め自分好みの空間を手軽に確認でき、手に入れられたら、もっと生活は豊かになると思うんです。そこで、手軽にリフォームしたり、部屋全体の雰囲気や間取りに合う家具を見つけられるようなサービスを創りたいと考えました。

ついに念願の起業へとたどり着いた劉氏。だが、そうして立ち上げたnatは創業後すぐに迷走することになる。

車載LiDARを活用したソリューションを開発しましたが、普及させていくのが難しく、事業が低迷していました。資金が尽きてしまわないようにコンサルティングの案件を受けることもしていましたし、事業ピボットが頭をよぎることもありました。約1年間くらいは迷走していましたね。

結果的には、Appleデバイスに距離を計測できる『LiDARセンサー』が搭載されたことをきっかけに、事業を軌道に乗せることができた。しかし、「あの1年をもっと有効活用できていれば、今よりもっと良いプロダクトを作れていたかもしれない」と劉氏は話す。

言葉にすると当たり前ですけど、会社経営において迷走は禁物ですね。著名な経営者もよく言っていますが、「迷った時ほど遠くを見よ。近くを見れば見るほど船酔いする。あらが見えてくる。遠くまで見てみると、実はそんなものは誤差だとわかる。」という言葉です。

当時は「今」のことしか考えられなくて迷走してしまいましたが、大事なことは将来的に成し遂げたい「ビジョン」を見ること。その最終地点だけを見て経営をするべきだと学びました。その過程にノイズがあっても無視して突き進む意思が大事なんだと思います。

同社が提供する3D計測アプリ『Scanat』は汎用性が高いプロダクトだ。ゆえに、お客さんから「こんな場面でも使いたい」といった要望が多く寄せられる。しかし、全ての要望に対して応えるわけではないのだという。

住環境という切り口から「人々の便利で豊かな暮らしを実現する」というビジョンにまっすぐな会社でありたいと考えています。

natは住環境をより便利に変えられるように立ち上げた会社だ。そのビジョンを見失ってしまえばたちまちに迷走してしまう。最終地点だけを見る。それこそがブレずに経営をしていくための秘訣なのだ。

こちらの記事は2022年09月27日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

栄藤 徹平

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