“SaaSの王者”に学ぶ、攻めのM&A戦略
──売上高1兆円超え、Salesforceの買収戦略を徹底解剖
2019年6月、BtoB SaaS業界を大きく揺るがすニュースが発表された──CRMツールベンダー最大手の Salesforce.com(セールスフォース・ドットコム)による、BIツールベンダーのリーディングカンパニー Tableau(タブロー)の買収だ。1兆円超えの、超大型買収となった。
1999年の創業以来、破竹の勢いで成長し続け、今やSaaSの「王者」とも呼ばれるSalesforce.com。事業をドライブさせているのは、徹底した顧客ファースト戦略によるスピーディなサービス開発と、攻めのM&Aだ。
2006年にワイヤレス技術を提供するSendiaを買収したのを皮切りに、大小さまざまな企業を傘下に収めており、直近5年間だけでもM&A企業数は30社にのぼる。
特に直近は勢いを増しており、2018年1月から2019年8月までに11社を買収。数百億、数千億円規模のM&Aを立て続けに実施している。
Salesforce.comは、なぜこれほどまでにM&Aを繰り返すのか。過去5年間の買収傾向から、世界最大のSaaS企業の戦略を探る。
- TEXT BY YUKO TAKANO
- EDIT BY MASAKI KOIKE
「Salesforce」は、Amazonから着想を得て生み出された
1986年から1998年の13年間、Oracleに在籍していたマーク・ベニオフ氏は不満を持っていた。顧客管理システム(CRM)の主流だったオンプレミスモデルは、コストや機能面で、顧客ニーズに沿っていないと感じていたのだ。
「ハードウェアを購入することなく、必要な機能を選び取り、使った分だけ支払えるシステムを作ろう」
そう考えたベニオフ氏は、1999年にクラウド型のCRM「Salesforce」を生み出した。
Salesforceはリリース直後から飛躍的に契約数を伸ばし続ける。ただし新規契約数だけ伸ばし続けても、既存顧客の解約を防がなければ、事業成長は果たせない。
どうすれば解約率を下げられるのか。ベニオフ氏は考え抜いた末に、「顧客を成功させる」という答えにたどり着く──「カスタマーサクセス」の重要性に気づいた瞬間だ。
その後は顧客に寄り添い、彼らの要望を聞くことに徹した。ユーザーコミュニティから挙がった意見をもとに機能開発、サービス改善に取り組んだ。
現在、全世界における同社のCRMシェアは約16.8%。2位のオラクル(5.7%)を大きく引き離している。2019年1月期の決算では、売上高が前年同期比26%増の132億8,200万ドル(約1兆4,900億円)に達するなど、さらなる好調ぶりが窺える。
過去5年間で集中投資した、3つの分野
Salesforce.comの躍進を支えるのは、徹底されたカスタマーサクセス戦略だけではない。積極的なM&Aも、成功要因といえるだろう。
過去5年間の買収傾向を見ていると、同社が「機械学習」「データ統合・分析」「コミュニケーション」の3分野を強化しているようだ。
以下、M&Aした企業の一覧だ。金額の記載が無いものは買収額非公表。日本円の表記は全て、執筆時点のレートを元に1ドル=108円で換算している。
機械学習
- Tempo AI:2015年5月に買収。人工知能型カレンダーアプリ事業を手がける。
- MinHash:2015年12月に買収。AIマーケティング支援を手がける。
- PredictionIO:2016年2月に買収。データサイエンス(機械学習)事業を手がける。
- MetaMind:2016年4月、$32.8M(約35億円)にて買収。AI(画像認識技術)テクノロジーの開発を手がける。
データ統合・分析
- Implisit:2016年5月に買収。データオートメーション(予測解析)開発を手がける。
- BeyondCore:2016年8月、$110M(約119億円)にて買収。BIツールやデータ・アナリティクスの開発を手がける。
- Krux:2016年10月、$800M(約864億円)にて買収。顧客データ管理ツールの開発を手がける。
- Attic Labs:2018年1月に買収。分散データベース開発を手がける。
- MuleSoft:2018年3月、$6.5B(約7,000億円)にて買収。データ統合プラットフォームの開発を手がける。
- Datorama:2018年7月、$800M(約864億円)にて買収。MI(Marketing Intelligence)ツール開発を手がける。
- Griddable:2019年1月買収。データ統合クラウド開発を手がける。
- Tableau:2019年6月、$15.7B(約1兆7,000億円)にて買収。BIツール開発を手がける。
コミュニケーション強化
- Quip:2016年8月、$750M(約810億円)にて買収。コンテンツコラボレーションプラットフォーム開発を手がける。
- HeyWire:2016年9月買収。メッセージングアプリの開発を手がける。
- Rebel:2018年10月買収。インタラクティブEmailサービス開発を手がける。
- Bonobo AI:2019年5月買収。会話インテリジェンスツール開発を手がける。
その他
- Toopher:2015年4月買収。2要素認証技術の開発を手がける。
- Kerensen Consulting:2015年6月買収。クラウドコンサルティング事業を手がける。
- AKTA:2015年9月買収。ユーザーエクスペリエンス(UX)デザイン事業を手がける。
- SteelBrick:2015年12月、$360M (約389億円)にて買収。見積・請求アプリ開発を手がける。
- YOUR SL:2016年1月買収。ITコンサルティング事業を手がける。
- Demandware:2016年6月、$2.8B(約3,000億円)にて買収。ECソリューション事業を手がける。
- Coolan:2016年7月買収。データセンターのパフォーマンス分析ツール開発を手がける。
- gravitytank:2016年9月買収。デザインコンサルティング事業を手がける。
- Twin Prime:2016年12月買収。モバイルアプリのパフォーマンス最適化ソリューションを手がける。
- Sequence:2017年1月買収。UXデザインサービス事業を手がける。
- CloudCraze:2018年3月買収。BtoBコマースプラットフォーム事業を手がける。
- Salesforce Foundation:2019年4月、$300M(約324億円)にて買収。Salesforceの慈善事業組織を統合。
- MapAnything:2019年4月、$213M(約230億円)にて買収。ロケーションインテリジェンスプラットフォーム開発を手がける。
- ClickSoftware:2019年8月、$1.4B(約1,500億円)にて買収。フィールドサービス管理ソフト開発を手がける。
2016年中頃まで機械学習関連の技術を積極的に取り込んでいるのは、2016年9月にリリースしたSalesforceの独自AI「Einstein」への布石だろう。
2016年中旬以降は特にデータ分析ツールや統合プラットフォームに注力。メッセージングアプリやEmailサービス、会話インテリジェンスツールなど、顧客とのコミュニケーションをレベルアップさせるためのツールもたびたび買収している。その他、ECソリューションやITインフラ監視など、買収対象は多岐に渡る。
年間2兆円を「データ統合・分析」分野に投資。
狙うのは「データ分析の民主化」
Salesforce.comが最も攻めの投資をしているのが、データ統合・分析分野だ。
2018年にはデータ統合プラットフォームMuleSoftを約7,000億円で、先日はBIツールのTableauを約1兆7,000億円と、わずか1年足らずの期間で計2兆4,000億円もの大型買収を実施した。
MuleSoftは、各プラットフォームに分散しているデータをつなげるためのツールだ。データをつなぎこむにはAPIが必要なため、発行されていない場合は統合できなかった。
だが、MuleSoftであればAPIの設計、開発からデータ統合までを行える。古くから使っているようなAPIなど存在しないレガシーな情報基盤でも、導入によりDMP(データマネジメントプラットフォーム)にデータを蓄積したり、他ツールと連携させたりできる。
Salesforce.comがMuleSoftを買収した狙いも、まさしく「データ分析・統合」に集約されている。レガシーなシステムを使っているばかりにデータがロックインされ、活用できない──そんな顧客の課題を解決するための手段として、選択した買収だったのだ。
そこからほとんど間を置かずにTableauを買収したのは、アナリティクス機能を強化することにより、MuleSoftの機能を補完するためだと推測できる。
MuleSoftにより膨大な量のデータを取り込み、統合できる環境を構築したら、次はそれらのデータを活用しなければいけない。だが、膨大なデータを自力で分析し、戦略に活かせるアナリストはそう多くはない。
そうしたデータ分析に関する課題の解決に最適だと判断されたのが、マルチプラットフォームに対応するBIツール、Tableauだったわけだ。MuleSoftは「Integration Cloud」へ、Tableauは「Customer 360」と「Einstein Analytics」に吸収され、Salesforceのプラットフォーム強化に活かされる。
また、昨年MIツールのDatoramaを買収した意図も、同様の文脈で理解できる。
Datoramaは、SNSや広告、メールシステム、気象データなど、マーケティングに活用できるあらゆるデータプラットフォームのAPIを揃え、各プラットフォームを選択するだけで自動統合、ダッシュボードに反映する。ダッシュボードはほぼリアルタイムで更新されるため、スピーディなPDCA運用が可能だ。同サービスは「Marketing Cloud」に取り込まれ、抽出できるデータをSalesforceに集約。マーケターはより深くユーザーを理解した上で戦略設計に取り組めるようになる。
Salesforce.comが目指しているのは、誰でも一定レベル以上のデータドリブンマーケティングが実践できる世界だ。データ活用の重要性が叫ばれて随分経つが、完全に実践できている企業は多くはない。Salesforce.comは、多くの企業を悩ませる課題を本気で解決しようとしているわけだ。
「カスタマーサクセスをわれわれ以上に重視している会社はない」
買収の意図を一つずつ紐解いていくと、全てに「顧客の課題解決」と「カスタマーサクセス」が通底していることがわかる。
たとえば、2011年に有償でアナリティクス機能をリリースしようとした際、ユーザーコミュニティから猛反発を受けた。意見を重く受け止めた同社は、コミュニティの代表者と話し合った末、「自分たちが間違っていた」と判断。結果、有償サービスが無償に変更されたのだ。
当時、Salesforce.comは既に世界有数の規模を誇る企業に成長していた。総導入企業数は15万社超、年間売上130億ドルを突破する超大手企業が、ユーザーの意見を聞き入れ、サービス提供の形式そのものを変更するのは、そう簡単ではなかっただろう。それでも顧客ファーストを貫き、断行できたところに、同社の強さがある。
「カスタマーサクセスをわれわれ以上に重視している会社はない」
2019年4月、Salesforce.com20周年特別イベントに登壇したベニオフ氏はそう語った。
Salesforce.comのビジネスモデルには、SaaS、サブスクリプションの成功に必要なもの全てが盛り込まれている。彼らの姿勢からは「顧客の成功にただただ向き合うことが唯一の勝ち筋」というメッセージが、強く伝わってくる。M&Aもあくまで、カスタマーサクセスを追求するための手段にすぎない。
SaaSビジネスの先駆者かつ、最大の成功者でもある同社の動向は、常に把握しておきたい。
こちらの記事は2019年10月03日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
高野 優子
フリーの編集、ライター。Web制作会社、Webマーケティングツール開発会社でディレクターを担当後、フリーランスとして独立。
編集
小池 真幸
編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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