これからのSaaSの勝ち筋は、コミュニケーションとデータの循環にあり──PKSHA Technologyとマネーフォワードが描くコンパウンド戦略のキーワード

インタビュイー
山田 一也

2006年に公認会計士試験に合格し監査法人トーマツに入所。その後、株式会社パンカクにて執行役員CFO、株式会社Bridgeにて執行役員ベンチャーサポート事業担当を経て、2014年に当社入社。社長室長、『マネーフォワード クラウド』開発本部長を経て、現在はビジネスカンパニーCSOとして戦略全体を統括。

池上 英俊
  • 株式会社PKSHA Communication 執行役員 

トランスコスモスにて、M&AやDXのプロジェクトマネージャーを歴任、その後RPAホールディングスでRPAやAIの導入を支援する中で、機械学習・自然言語処理の可能性を感じ株式会社BEDORE(現 株式会社PKSHA Workplace)に入社。セールス・事業開発の等に従事。2022年4月より、執行役員として株式会社 PKSHA Communicationのビジネス本部を統括する。

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SaaSはいまや日本のビジネスシーンに浸透し、数多くのバーティカル/ホリゾンタルSaaSスタートアップが存在してきた。だが、今、SaaSビジネスの再評価・再定義の流れが来ている。BPaaS(Business Process as a Service)やプロフェッショナルサービスの付帯など、新たな形態も生まれている。そんな中で浮かび上がってきたのが、「ユーザー企業内のコミュニケーション」の価値と重要性。ここに注目している2つの企業がある。マネーフォワードとPKSHA Technologyだ。

マネーフォワードはご存知の通り、SaaSが日本のビジネスシーンに浸透する以前から、プロダクト開発に取り組み、SaaSの概念を広めてきた先駆的企業の一つ。バックオフィス業務のDXを推進し、現在では30以上のプロダクトを展開するまでに至っている。引き続きプロダクト横断活用によるクロスセルでの事業拡大を目指す中で、「企業内コミュニケーション」に着目しているという。

一方、PKSHA Technologyは、AIソリューションを提供する企業としての認知が先行してきた。しかし近年、同社のSaaS事業は大きく成長を遂げている。特にコミュニケーション領域において、企業内のデータ連携と循環を加速させるAIならではの強みを確立し、コンパウンド的なプロダクト展開を実現している。

複数のSaaS事業を展開し、コミュニケーションを新たな可能性として注目する両社のキーパーソンに、現在のSaaSを取り巻く環境と、プロダクト間の連携を含めたコンパウンド戦略、そしてこれからの変革について語ってもらった。対談に臨んだのは、マネーフォワードのビジネスカンパニーでCSOを務める執行役員の山田一也氏と、PKSHA Technologyでコミュニケーション領域のSaaS事業全体を管掌するPKSHA Communication執行役員の池上英俊氏。

両社の挑戦や戦略の対比から見出される共通点と相違点、そして現場の生々しい言葉から、SaaSビジネスの現在地と未来像が見えてくるだろう。

  • TEXT BY MAAYA OCHIAI
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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増え続けるプロダクト、データ起点の戦略が今後の肝に

「永遠のβ版」。それがSaaSの本質を表す言葉だ。クラウド型サービスだからこそ、顧客にとっては価値が高まり続け、提供企業にとっては売上の将来予測が立てやすいなど、双方にメリットがある。多くの企業がSaaSビジネスに参入してきた背景には、こうした特徴がある。

しかし、その展開方法は企業によって大きく異なる。PKSHA Technology(以下、PKSHA)は、卓越した技術力によるR&Dをベースに、提供企業別ににAIのモジュールを組み合わせて提供するソリューションビジネスと、それを型化したSaaSを展開する。

取材内容等を基にFastGrowにて作成

同社はPKSHA Technologyの傘のもと、SaaSプロダクト群を提供する主体としてPKSHA CommunicationとPKSHA Workplaceという二つのグループ会社を置いている。「PKSHA Chatbot」「PKSHA FAQ」など主にBtoC企業と顧客とのコミュニケーション(カスタマーサクセスやカスタマーサポートの支援)を担うのがPKSHA Communication、「PKSHA AIヘルプデスク」「PKSHA Knowledge Maker」など企業と従業員のコミュニケーション(エンプロイーサクセスの支援)を重視するのがPKSHA Workplaceだ。

SaaS事業を、二つのグループ会社に分けて推進している(提供:株式会社PKSHA Technology)

この2社のうちPKSHA Communicationは、複数のSaaSプロダクトでシェアNo.1を獲得し、着実に地歩を築いている。事業責任者を務める池上氏は、「これまで人が行っていた業務を一つずつSaaS化し、結果としてプロダクトが増えていく形だったが、最近では各SaaSが共通したデータを扱うケースが増えてきた」と話す。

つまり、シンプルな機能としてのSaaS提供から、中心にあるデータを各SaaSに届け、AIがそれらを循環させる「真のコンパウンド化」へと舵を切っているのだ(包括的にすべての顧客データを連携させてしまっているわけではもちろんなく、あくまで「提供価値向上のために“同一顧客のデータ”を複数プロダクト間で共有」というかたち)。

池上氏

マネーフォワードも、当初はプロダクトを1つずつ提供し、それらを併用する形のクロスセルで事業成長を進めてきた点は共通している。現在ではクラウドERPとして、バックオフィス業務の効率化・DXに寄与するソリューションとして展開。そしてこの先は、コンパウンド戦略で提供価値を高めていくためのデータ活用や、同社のもう一つの事業軸であるFintech(金融サービスなど)とのシナジーを狙っていくという。

株式会社マネーフォワード<2024年11月期 第3四半期決算説明資料>から転載

山田プロダクトを併用するユーザー数が増えるにつれ、「データ」を一つの軸としてプロダクトの改善を行っていく必要性がどんどん高まっています。さらに、そのデータをオフィス業務効率化や資金繰りの改善、フィンテックサービスへとつなげていく。SaaS×フィンテックをどう実現していくかが、現在の課題です。

口で言うのは簡単ですが、意味のある開発を進めていくのは非常に難しいですね。

山田氏

現状、フィンテックとSaaSのデータ連携は限定的だ。顧客基盤も異なり、併用率は高くない。しかし、「併用されるイメージは持っている」と山田氏が語るように、SaaS×フィンテックを意識したプロダクト改善や導線設計、セールス・マーケティング施策などを来期にかけて進めていく予定としている。

マネーフォワードが描く「SaaS×フィンテック」について、池上氏は「当社よりかなり先行する、視座の高い取り組みだと感じている」と称賛し、次のように言及する。

池上セグメントが異なるため一定のハードルはありますが、逆に言えば、双方から見てそこにホワイトスペースがあるということです。制約やチャレンジ要素はありますが、チャンスという意味で捉えると、非常に可能性のある課題だと感じました。

山田氏もこの見方に同意する。

山田そうですね。SaaSとフィンテックの結節点となるのが「データ」であり、これをうまく活用していきたいと考えています。

両社とも、「データ」を軸とした新たな価値提供に可能性を見出している一方で、事業認知という点では大きな違いがある。

池上マネーフォワードさんは世の中的にもSaaSのイメージが強いと思いますが、PKSHA全体でAI事業を行っているという認知はされやすい一方で、SaaS事業については、まだ十分な認知が取れていないと感じます。

山田確かにPKSHAさんはAI企業というイメージが強いです。そこからどのようにしてSaaSを含めた現在の事業構造に進化してきて、SaaSでは具体的に何を狙っているのかなどをお聞きしたいです。

コミュニケーション、データ、AI。これらのキーワードを起点に、SaaSビジネスの現状と未来について議論を深めていく。異なる強みを持つ両社が描く未来像を、ここから見ていこう。

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「コミュニケーション」と「SaaS」の間にある本質的な共通点とは

「PKSHAがSaaS事業を始めた2010年代中盤ごろから、ビジネスでも、行政でも、人と人のコミュニケーションには、大きな改善の余地があると感じていました」

そう池上氏は振り返る。最近でこそこの領域では「社内外のコミュニケーションを円滑にすることで、ユーザー体験/従業員体験を高める」という議論も多くなり、同時に「カスタマーハラスメント(カスハラ)」なども社会問題として一般化してきた。同社は以前からこの領域への関心を強く持っていたわけである。PKSHA Communicationという社名の通り、コミュニケーション領域のあらゆる課題を対象に事業を検討してきた。

池上現在は、企業と消費者の間のサポート、例えば人が行っていた電話対応の代替などでの展開ですが、最終的には、SNSなどでのコミュニケーションの問題解決など、より広い範囲でのコミュニケーション課題の解決を目指しています。

広義のコミュニケーション課題の解決を目指すという方向性に、山田氏は強く共感する。

山田私たちもバックオフィス向けのSaaSを開発する中で、現場におけるコミュニケーションの負荷について考えることが多くあります。クラウドツールには、業務効率化という観点だけでなく、「コミュニケーションを円滑にする」という側面もあると考えています。

経費精算を例にとってみると、例えば紙での申請では現場担当者の記入ミスが発生しやすく、経理担当者が適宜、紙の書類に付箋を付けて差し戻すといった作業が発生します。これはコミュニケーションの負荷であるとも言えます。

それがクラウド化することで紙を扱う負荷が軽減され、さらにシステムが自動チェックしてくれることでミス自体を防げます。業務効率が上がるだけでなく、従業員同士のコミュニケーションストレスも減らすことができるのです。

池上経費精算に限らず、プロダクトのUXが良ければ良いほど、負荷が大きいコミュニケーションや不要な作業は発生しにくくなりますよね。

山田はい。当初は紙での作業時間を短縮するためにクラウドシステム化しようと考えていたのですが、実は仕事の負担は時間的なものだけではないですよね。時間は短くても心理的な圧迫感を感じるようなコミュニケーション上のストレスがある。そのことに、SaaSを提供していく中で気づいたんです。

SaaSのメリットの一つに、「コミュニケーションを円滑にする」ということがあるのは理解できる。とはいえ、コミュニケーションの課題を解消する上で、SaaSモデルが最適だと言えるのだろうか。山田氏はこう説明する。

山田10~20年前のオンプレミス型のバックオフィスシステムでは、インターネットに接続されていないため、バックオフィスの担当者と従業員の間にどのようなコミュニケーションが発生しているのかをベンダー側が詳細に把握することができませんでした。もちろんヒアリング等で把握はしていたはずですが、リアルタイムでの改善による解決は基本的に不可能でした。

ところがクラウドシステムは、バックオフィスの担当者と従業員間のコミュニケーションを詳細に確認し、リアルタイムで改善できる。今ではそこにAIを付加できるので、非構造的な情報まで対象にした把握や改善も進めやすい。まさに今、改めて、SaaSがコミュニケーションの負荷を軽減するために適したツールであると言えると思います。

池上氏はさらに重要な点を指摘した。

池上もう一つ、SaaSにはメリットがあります。そもそも、どんなコミュニケーションにおいても、時代や取り巻く環境によって「正解」は常に変化していきます。SaaSであれば、その変化に合わせてプロダクトそのものをアップデートすることができるんです。

加えて、PKSHAの場合はプロダクトの中にあるAIそのものをアップデートできるので、そのとき現場が望む最適なコミュニケーションに近づいていくことができます。これが、5年間の使用を前提にウォーターフォールで作り込むシステムとSaaSの大きな違いです。

山田確かにその通りです。SaaSは「永遠のβ版」と言われますが、人と人とのコミュニケーションもお互いのバックグラウンドや知識によって常に変化していき、永遠に改善し続けられる性質のものです。データが変化し、会社の状況や課題が変わっていくことで、提供すべき機能も変化していく。そういう意味では、SaaSとコミュニケーションには、メタ的に共通する部分が非常に大きいですね。

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SaaSのデータ活用は単一プロダクトからプロダクト横断型へ

SaaSはクラウド上での継続的な使用が前提になるため、データ収集がしやすい側面がある。しかし、単一プロダクト内でのデータには、価値提供の選択肢を含めて限界もある。そこで必要になってくるのが、得られたデータを複数プロダクト横断で活用していくことだ(再掲:あくまで「“同一顧客のデータ”を複数プロダクトで共有」)。その点は、両社とも今後の注力テーマだと話す。

山田マネーフォワードはとにかくプロダクトの数が多く、これまではそれぞれが個別にデータを蓄積してきました。個々のデータをそのプロダクト内だけで活用してAIを適用するところまではできているのですが、全プロダクトを横断してデータを活用していくことが、まだできていません。今後の展開を考えると、これらのデータをどうやって一つの「器」に入れて活用できるようにするかが課題です。

池上確かに30以上のプロダクトのデータに対して、何を共通で見るべきか、共通で見ても意味のないものは何かを見極めて、データプールやミドルウェアに投資すること、さらにそこから価値を引き出すことは、非常に難しい課題だと思います。

一見、マネーフォワードは「お金」に関するデータが豊富にあるため、プロダクトの併用促進や新プロダクトの開発において、強みが大きいように見える。しかし実際には、データの統合や取捨選択の難易度は高い。

山田例えばフィンテックサービスの与信モデルを構築する場合、我々が持っていて使えそうなデータには、入出金データ、一時点のB/S残高、売掛金や預金などの資産側のデータ、支払予定や借入金などの負債側のデータ、入金の回収時間軸など、様々な種類があります。

しかし、これらをどのように一つのモデルに統合していくかは非常に悩ましいですね。技術的なハードルも高いですし、統合したデータをどう扱うかという点も難しい課題です。

一方、PKSHAはどうか。「PKSHAが持つデータは、同一企業内で横断的に活用できる余地が大きいことが強み」と池上氏は語る。同社のSaaSは「人と人との対話に介在し、その対話をAIが把握してアシストする」というシステムの性質上、扱うデータの多くが「自然文」であるという特徴を持つ。

しかし、非構造化データである「自然文」から価値を引き出すことは相当な難易度になる印象がある。これは本当に強みになるのだろうか。

池上そこが生成AIの導入によって変わってきました。従来は構造化されていないとデータとしての解釈が難しかったものが、生成AIの登場により、構造化されていない長文データや対話データを、構造化されたデータや数値に置き換えることが容易になってきました。

さらに現在では、商品の企画書からマニュアルを作成し、そこからQ&Aを生成すること、対話の中で新たな「正解」が見つかったらAIがそれを把握してQ&Aに追加することなども既に機能として実装しています。従来、コミュニケーション領域では、人と人の対話を通じてマニュアルを作成・更新・修正していましたが、その作業の8割から9割がAIに置き換えられるようになっています。

人の対話をAIが解析していくことで、知識が属人的なものではなく、社内全体の知識として還元される。マニュアルからQ&Aへの変換、マニュアルからテストへの変換など、AI活用によって様々なアウトプットが可能なため、従業員のコミュニケーションスキルの底上げにもつながる。非構造化データをAIが解釈できるようになったことで、コミュニケーションSaaSは新たなステージに突入したのだ。

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SaaSのコンパウンド展開にデータ循環とAIは必須だ

ここからは、AIをいかにSaaSに取り込むのか?という論点に移った。これはデータ活用やその先のコンパウンド展開においても重要なポイントとなる。

山田AIの活用方法までをユーザーに「自分たちでやってください」というのは、なかなか難しいと思います。しかし、我々のようなSaaSベンダーが、AIをプロダクトに落とし込んで提供することは可能です。SaaSプロダクトにAIが内包されている状態であれば、AIを取り込んだ実用的なサービス展開は十分可能だと考えています。

池上その際にSaaSが強みになるのは、業務カットでプロダクトが設計されている点です。例えば大企業の全社規模で全てのマニュアルや対話を拾ってきても、データの範囲が広すぎて逆に活用できなくなりますから。ある程度の区切りがあることで有意義なデータの活用ができるんです。経理なら経理、会計なら会計という区切りがまさにSaaSの提供価値です。

山田おっしゃる通り、業務ごとにプロダクト設計されているのはSaaSならではの特徴です。その中でもマネーフォワードの難しいところは、やはり多数のプロダクトに細分化されている点です。例えば何かの課題に対し、「この3プロダクトを掛け合わせた方がAIを実装しやすい」と思う場面もあります。ここは少し工夫が必要なポイントです。

池上30以上のプロダクトを横断しようとすると重複も生じそうですし、すごく複雑なパズルのようになりますよね。ただ、それが実現すると、有意義なデータ同士がきちんとプロダクトをまたいで参照され、価値につながっていく。そこにチャレンジする面白みはありそうです。

山田そうですね。これは本当にやりがいのあることだと思います。

ここで山田氏は、さらに複雑な課題があると話す。マネーフォワードは「コンポーネント型ERP戦略」を採用し、自社製品だけでなく他社製品との組み合わせも推進している。実際にユーザーの多くは、様々なベンダーのシステムを組み合わせて使用している。

株式会社マネーフォワード<2024年11月期 第3四半期決算説明資料>から転載

山田そうなると、我々だけの都合ではどうにもできないことがあり、「SaaSベンダーをまたいだデータの取り扱い」もまた、大きな課題として残っています。

池上それは御社に限らず、なかなか避けては通れない話だと思います。データを中心に据え、その周りには私たちのプロダクトだけがあるというよりも、外部のシステムも含めて存在し、そことも適切に接合できる仕組みができると理想的ですね。

山田コンパウンドの本質は、自社プロダクトと自社データを中心に考えるのではなく、あくまでも「ユーザーデータ」を基軸に考えていくことだと思います。今後はSaaS企業のM&Aが増えていくと思いますが、その際にも、ベンダーを超えたユーザーデータの活用や連携を考えていくことが重要になるのではないでしょうか。

現在はデータを軸としたコンパウンド戦略を意識している両社だが、これまでの成長においては必ずしも強く意識してきたわけではない。先述したように、まずはプロダクトをつくり、複数展開になったタイミングで同一顧客のデータの連携から検討・実装してきた。

マネーフォワードは、SaaSとフィンテックサービスの掛け合わせを含めて、今後のデータ活用に期待が高まるフェーズにある。

PKSHAにおいては、R&DとAIソリューションを通じて磨かれたアルゴリズムモジュールがAI SaaS開発に大きく寄与してきたことは間違いない。しかしSaaSとしての成長余地の大きさに比べれば、まだまだ課題も感じているという。

池上現在特に課題と感じているのは、カスタマーサクセス(CS)の部分です。それぞれのクライアント企業に対して、単一プロダクトのCSを行っていた人たちが、複数プロダクトでデータ活用を推進するためにはどう振る舞うべきか。CSの価値をどう引き上げていくか。このあたりは従来とは異なるアプローチが必要で、非常に興味深いチャレンジだと考えています。

両社とも、これまでの取り組みを基盤としながらも、より本質的なデータ活用とサービスの価値向上を目指している。その意味で、コンパウンド戦略の価値創出はこれからが本番と言えるだろう。

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加速度的ARR成長の背景にコンパウンド戦略あり

では、コンパウンド戦略は、SaaSビジネスにおいて今後、どのように成長に寄与していくのだろうか。ここでは「ARR」の観点を持ち出すことで、両社の考えを探っていく。

山田基本的にSaaSのつくり方は、「データ」というより「業務オペレーション上の課題」が起点になります。発想の順序が逆なんです。なぜなら、そちらの方が核を外さないというか、ユーザーに本当に必要なものが提供できると考えるからです。ただ、その結果データが蓄積され、そのデータを軸に、別の業務をより効率化できるSaaSをつくる。そこで初めて「コンパウンド戦略」という形になると思います。

そう考えると、2つ目のプロダクトをつくる前に、1つ目のプロダクトを成功させる必要があります。1つ目のプロダクトを成功させたベンダーだけが次に進める。それが大きな参入障壁になります。

1つ目のデータを活用して2つ目、3つ目のプロダクトをつくる際には、インサイトが得やすいのは間違いありません。そのため全く別の競合が初めてのプロダクトを作る場合と比べると、競争優位性を持てます。そうなれば、プロダクトの立ち上がりがスムーズですし、ARRも加速度的に伸びていくのは間違いないと思います。

マネーフォワードは、「プロダクトラインナップの拡大→質の向上→データ蓄積→さらなるラインナップ拡大」という循環を描く。そのうえで今は、プロダクトラインナップの拡大→質の向上の段階にあると山田氏は認識する。

PKSHAのSaaSにおける成長戦略も基本的には同じだ。

池上従来は、各プロダクトの目線からアップセル・クロスセルを頑張って行っていましたが、今後はデータを見ることで顧客課題を把握し、CSの延長で「この課題はこのプロダクトで解決できそうですね」と、自然に2つ目3つ目のプロダクトが使える状態になっていくと思います。

例えば、チャットの対話データがあれば、音声対応のマニュアルも容易につくれる。データがつながることで、互いのAIの学習データとなり、自然に精度が向上していくのだ。ユーザーにとっては、得られる価値が向上し、1プロダクト当たりのSaaS運用コストも下がっていくことになる。よりプロダクトを併用しやすい状況ができあがるのだ。

池上ある程度データ基盤ができて、プロダクトをまたいだAIの循環構造ができるまでの期間は従来と同じような成長率になりますが、それらが整えば指数関数的に大きく伸びるタイミングが来ると考えています。PKSHAとしてはそこにこの1年かなり投資してきたので、下期以降から成長カーブが上向いていくと想定しています。

山田成長しているSaaS企業は、毎年ARRの純増額が増えていきますよね。その構造を分解していくと、池上さんがおっしゃったような要素になるのだなと改めて思いました。

池上私の担当しているコミュニケーション領域は、マネーフォワードさんの事業領域と比べると、SaaSとしてのTAM(最大市場規模)はそれほど大きくないと考えています。プロダクト単体でカバーできる市場はある程度成熟しているので、複数プロダクトに適用された複数のAIをつくり、扱えるデータ量と速度が上がっていくことで伸ばしていけるのではないかと考えています。

山田コンパウンド化することで価格も設定しやすくなりますよね。プロダクトごとのオンボーディングコストが下がっていくので、例えば「導入支援」として有料のプロフェッショナルサービスを提供する必要がなくなります。

池上私も、コンパウンド化による効果が最も高いのは「提供価値が高まり、それに伴い一企業あたりの契約ボリュームが大きくなること」だと思います。複数プロダクトを使う価値を感じることで、結果的にプロダクトを重ねて導入され、顧客単価は競合より高い状態になるでしょうね。

山田プロダクトごとのプライシングというよりも、トータルでの提供価値に対してのプライシングという考え方ができるようになるのが大きいですね。単品で勝負している競合よりも戦いやすくなります。

2人が語るようなデータを軸とした価値の循環を生み出す際には、セールスやCS担当者にとっても新たな挑戦が待っている。両社が描くコンパウンド戦略は、SaaSのビジネスモデルや組織体制にも新たなあり方をもたらそうとしているのかもしれない。

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すべてのSaaSにコミュニケーションAIが組み込まれる未来

SaaSビジネスの新たな可能性が見えてきたところで、両社の未来像について議論が及んだ。まずはマネーフォワード。フィンテックサービスの拡大とともに、SaaSとの掛け合わせによるシナジーを狙う。

山田マネーフォワードはこれまで、お金が動いた「裏付けとしてのデータ」を扱うビジネスをしてきました。次のチャレンジは、「実際にお金を動かすこと」にあります。資金繰りを改善する、決済するといった金融サービスに注力していきたいと考えています。

池上お金の「データのみ」を扱うところから、より本質的にお金を動かすビジネスにも入っていくということですね。

ただし、その道のりは平坦ではない。真正面から飛び込むと競合が大資本を持つ金融機関になってしまうため、進出の仕方には工夫が必要だ。山田氏は「そのときにもコンパウンド的な発想が重要」と語る。

山田資本力の差を克服するためには、これまで培ってきたデータをいかに活用するかが重要です。コンパウンド的な発想でプロダクトを作ることで、独自の優位性を確立できると考えています。マネーフォワードはフィンテックだけでなくSaaSで蓄積したデータも保有していることが優位性になるので、それらを組み合わせることで、価値を生み出すことができると思います。

一方、PKSHAが描くのは、コミュニケーションの質的なアップデートだ。

池上最も着目しているのは、コミュニケーションのチャネルがどんどんマージされていく未来です。従来は、電話なら音声だけ、チャットならテキストメインというようにチャネルが分かれていました。しかし本来、コミュニケーションは視覚も聴覚も含めた総合的なものですよね。

例えばマニュアル一つとっても、テキストだけでなく図解や動画など、様々な形で表現し、使う人が最も得意とする形に合わせて使えるようなスタイルを実現したいと考えています。そのようなコミュニケーションの変化をいかに私たちが先導していけるかが、今最も面白いテーマです。

池上氏が語るPKSHAの思想や方向性に対し、山田氏は大きな可能性を口にする。

山田基本的に、ほとんどの業務はコミュニケーションをベースに成立しています。そこに、コミュニケーションSaaSの面白さがあると思います。例えば、マネーフォワードの一つひとつのプロダクトの中にもコミュニケーションは発生します。そこに、ベースとなる要素技術として、PKSHAさんが開発されているようなAIが組み込めると、プロダクトの提供価値がもっともっと上がるはずです。

もちろんPKSHAさんの自社SaaSもありますが、将来的にはPKSHAさんがつくったAIが全てのSaaSの中に組み込まれているような世界観がつくれるかもしれませんよね、これが一つの理想的な事業展開なのだと思います。

どのベンダーのサービスにもPKSHAさんの要素技術が組み込まれていれば、先ほどの話にも出たベンダーをまたいだデータ活用もより進んでいくのではないでしょうか。コミュニケーションSaaSは、対ユーザーはもちろん、対ベンダー、アライアンスという観点でも、非常に可能性のあるマーケットだと考えています。

池上そこまで行くには非常に難易度は高いのですが、おっしゃる通りです。例えば、大企業では、業務ごとに使うシステムが違い、全部で20ものシステムを触っているようなケースがあります。20のシステムのUIに合わせて人が対応するというのは本来ストレスなはずですから、もっと自分なりにアレンジされた単一のインターフェースになることが理想です。

現時点では、R&Dの要素が多分にありますが、PKSHAの事業開発のスピードの速さは驚異的だと実感しています。世の中の変化に応じて、急速にR&Dを行い、いち早くSaaSに取り込んでいけるという強みを生かしてプロダクト展開をしていきたいです。

金融であれ、コミュニケーションであれ、その根底にあるのは、データの循環による価値創出となる。両社の挑戦により、SaaSが単なる業務効率化の域を超え、働き方や企業活動のあり方そのものを変えていく可能性を秘めているのではないだろうか。

こちらの記事は2024年12月23日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

落合 真彩

写真

藤田 慎一郎

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