連載私がやめた3カ条

プロダクト開発の「感覚」は捨てた──any吉田和史の「やめ3」

インタビュイー
吉田 和史

福岡出身。2012年~株式会社アイモバイルでスマホ広告のメディア営業を担当。国内有数のヒットアプリのマネタイズに携わる。2014年~グッディア株式会社にて、アプリディレクター/マーケター、webメディア事業部長を兼任。2016年にany株式会社を設立。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、ナレッジ経営クラウド『Qast(キャスト)』を運営するany株式会社の代表取締役、吉田和史氏だ。

  • TEXT BY TEPPEI EITO
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吉田氏とは?
小事に拘わらず大事を忘れない経営者

ナレッジ共有ツールとして注目を集めている『Qast』。導入社数はすでに5,000社を突破。今年の6月にはシリーズAで総額4.5億円の資金調達を実施しており、成長著しいSaaSスタートアップだ。

しかし、any株式会社を創業した2016年に抱いていた構想と、今のような状況は、何もかもが異なるものだった。

そもそも、設立してから約2年間は事業内容もまったく違うものだったのだ。前職で得たノウハウを生かして「サッカーの動画メディア」の運営や、その後は「マンガアプリ」の運営を行うなど複数のサービスを展開したが、浮き沈みの激しいエンタメコンテンツで会社を成長させていくのは簡単ではなかった。

もっと長期的な視点で、世の中の課題を解決できるようなサービスをつくりたい――。そう考えた吉田氏は、既存の事業を売却し、1から事業を考え直した。そうして生まれたサービスが、今の『Qast』だ。

創業から約6年間。いまのany株式会社に至るまでに、彼はどんなことをやめてきたのだろうか。

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「孤独な経営者」をやめた

スタートアップに限らず、経営者は時に「孤独」だと言われる。投資家や経営陣、メンターから助言を貰いながらも、最終的な決断を下すのはトップの役目であることがほとんどだ。それゆえ、ここで言う「孤独」とは、周りに人がいないという直接的な意味ではなく、意思決定に付随するリスクやプレッシャーといった、精神的なものを意味しているのだろう。それゆえに、会社の規模が大きくなり従業員が多くなればなるほど孤独が強くなるということもある。

anyは創業から4年間、従業員が一人もいなかった。必然的に会社の課題をすべて自分が抱え込むことになるわけだが、この頃にはいわゆる「孤独」を感じることはなかったという。

しかし、事業の方向性が決まり、従業員が増え始めた頃に、そうした孤独の気配を感じだしたのだ。

事業の規模が大きくなることで、とにかく一人でやっていたときとは比べ物にならない量の課題が発生したんです。それをすべて抱え込もうとすると自分はどんどん孤独になるし、メンタル的にもキツくなりそうだな、と感じました。

なので、課題を自分一人で抱え込むのをやめて、些細なことでもメンバーに共有していくというやり方にしたんです。

身体は1つ、時間は有限。事業が拡大するにつれ、コミュニケーションや意思決定をメンバーに任せていかなければ、吉田氏自身が企業の成長のボトルネックになりかねない状況だった。

ただ、こうした「経営者の孤独」を解消する方法には注意点がある。それは、トップダウンの会社だった場合、ただの「社長の愚痴」になってしまうということだ。

そのためanyでは、参加型意思決定というやり方を採用している。まずは課題を該当メンバーに共有し、解決策を議論しながら、最終的には経営者が意思決定する、という方法だ。

これには、意思決定のスピードがやや落ちてしまうというデメリットもありました。でも、それ以上にメリットが大きかったんです。

経営者が抱えるメンタル的な不安の解消だけではありません。企業としてのアウトプットのクオリティが、時間が経つにつれて格段に高くなっていったと思います。

そもそも、自分が下した結論が全て正しいとは思っていません。特定の領域において、自分より優れている人を採用できていれば、この意思決定方法を取るのは自然なことだと思います。

議論においては、誰が言ったかではなく、何を言ったか、その内容を重視するように常に意識しています。

経営者が孤独になるというのは、「経営者が上に立つ」という位置関係ゆえなのだろう。そういう意味で、吉田氏は新しい経営者のあり方を提示してくれているのかもしれない。

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自分の感覚に頼ったプロダクト開発をやめた

『Qast』のアイデアは、吉田氏の原体験からきている。前々職で働いているときに、メンバー同士で同じような質問と回答が繰り返し行われているのを見て、知識の共有ができていないことによる時間のロスや機会損失を問題視していた。

つまり、『Qast』は吉田氏自身が欲しいと感じていたサービスだったのだ。

それゆえ、リリース当初はサービスの開発がスムーズに進んだ。通常なら、何人もの人にヒアリングを実施し、さまざまな数値を分析しながら決めていくような機能追加も、自分の感覚で判断できたからだ。

しかし、サービスをリリースしてから2年が経った頃、そうしたプロダクト開発のやり方をやめる決断をした。

顧客ターゲットが自分ではなくなったというのが理由です。

リリース当初は、IT系のベンチャー企業をターゲットにしていたんですが、じわじわと非IT系の大企業からの受注が多くなってきたんです。『Qast』はシンプルに使いやすく設計しているので、むしろナレッジツールを導入したことがない企業にこそ必要とされているんだと気付きました。

その頃から、自分が使いたいサービスをつくることが、事業を伸ばすことではないんだなと思うようになりました。自分の感覚に頼るのではなく、顧客・ユーザーが欲しい機能を忠実にヒアリングし、開発に落とし込んでいます。

それ以降、anyではプロダクト開発の考え方を大きく変えた。既存ユーザーとのコミュニケーションを増やし、それを基に開発の優先順位を決めるようにしたのだという。

創業者自身がターゲットユーザーとして始めたサービスにおいては、「自分がつくりたいサービス」に固執してしまい、ユーザー志向がおざなりになることもある。吉田氏がそれを抵抗なくやめることができたのは、「世の中の課題を解決できるサービスをつくりたい」という4年前に決意した大義があったからなのだ。

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投資家の会わず嫌いをやめた

吉田氏は、『Qast』をリリースした2018年頃からエクイティ・ファイナンスの必要性を感じ、投資家と会い始めた。しかし、シード期の資金調達は“ほぼ全敗”だったという。

情報共有ツールという広い市場で見ると競合が多く、プロダクト開発チームもフルコミットしているのは、非エンジニアで非連続起業家の自分一人だけ。投資家にとってポジティブな要素がほとんどなく、ほぼ“全敗”だったそうだ。

「これから人生を賭けてやっていこうと考えている事業を、初めて会う人に否定されている」という捉え方を当時はしてしまっていて、自分にとってはポジティブな時間ではなかったんです。

正直、当時は投資家の印象は良いものではなかったですね。なので、実際にお会いするVCの数もかなり少なかったです。10社もなかったんじゃないですかね。それでも多いと思ってましたから(笑)。

でも、実際に投資家の方々に投資を決めて支援をしてもらうと、そういった印象を改めさせられました。資本政策や事業計画を作り直してもらったり、他の投資家を紹介してくれたり、事業戦略の壁打ちに付き合ってもらったり……。海外も含めたさまざまなスタートアップを見てきた人たちからアドバイスをもらえるというのは、本当に価値が高いな、と。

そうした反省から、2022年6月に発表した資金調達では計50社ものVCと会ったのだという。

今回の資金調達に関しては、目標の金額とスケジュールでクローズできたことはもちろん良かったのですが、それ以上に数多くの投資家の方々から事業成長のためのアドバイスをいただけたことのほうが大きいかもしれません。

実際に投資が決まったのは4社ですが、50社から1時間のコンサルを受けられたという感覚です。今から思うと、シード期からもっと多くの投資家と会っていればよかったと思いますね。

本当なら耳をふさぎたくなるような投資家からの意見もポジティブに捉えられる理由は、自分の会社を否定されたくないという思いよりも、「世の中の課題を解決したい」という思いが強いからなのだろう。

起業家としてブレない意見を持つことは重要だが、いつしかそれが意地になり、固執するようになってしまっては元も子もない。吉田氏へのインタビューを通して感じたのは、そうした経営者が持つべき大義の重要性だ。経営者たるもの、目の前の課題に頭を抱えることは必ずある。そんな時、「何をするか」以前に、「なぜやるか」を自身に問うてみるのは一つの処方箋といえそうだ。

こちらの記事は2022年08月09日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

栄藤 徹平

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