連載私がやめた3カ条
風船が終止符を打ったサラリーマン人生──フルカイテン瀬川直寛の「やめ3」
起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。
今回のゲストは、在庫効率を上げ売上・粗利の最大化を実現する在庫分析SaaS『FULL KAITEN』を提供する、フルカイテン株式会社代表取締役CEO、瀬川直寛氏だ。
瀬川氏とは?──在庫分析で世界を変える!?
キャリアも“フルカイテン”な起業家
大手メーカーへの導入実績を多数積み上げ、2025年にはIPOを見据えているフルカイテン。まさに小売業界に革命を起こそうとしている瀬川氏。起業後にも、転機が訪れるたびに柔軟にビジネスを変化させてきた。
大学では理工学部で熱力学を専攻した瀬川氏。卒業後は外資系IT企業、ITベンチャーなど複数の企業でセールスに従事。ソフトウェアからハードウェア、SaaSまでも経験したという稀有な経験を持つ。どの企業においても抜群の営業実績を上げていたが、とあるきっかけで35歳でECビジネスを起業した。
創業して間もない頃は在庫管理に苦戦し、3度の倒産の危機に瀕した。ピンチを救ったのが、自社用に開発した在庫分析システムだった。ベビー服ビジネスが軌道に乗った矢先、「小売業にとって在庫問題は普遍的な課題だ」と気付いたという。
そこで2017年11月に、自社の在庫分析システムをクラウド事業化しSaaS型クラウドサービス『FULL KAITEN』を販売開始した。2018年9月にベビー服事業を売却、社名を現在のフルカイテン株式会社に変更しSaaS専業化した。
まさに“フルカイテン”という言葉がぴったりな波乱万丈のキャリアを歩む瀬川氏だが、これまでに下してきた「やめる」という意思決定の裏側には一貫したビジョンがあった。一体何のために、何をやめてきたのか、瀬川氏の足跡を辿る。
誰を笑顔にしてるかわからない仕事をやめた
「数字へのコミット力」とは、ビジネスパーソンにとって必須な素養とみなされることが多い。とりわけセールス職では評価指標に取り入れられることも少なくないだろう。
瀬川氏はビジネスパーソン人生の10年以上をセールスのフィールドで活躍してきた。複数のIT企業でソフトウェアからハードウェア、SaaSの販売に従事し、トップセールスを叩き出してきた。だが、一方で物足りなさもあったという。
瀬川手触り感がなかったんですよね。自分の仕事が、本当に人や世の中の役に立っているのか実感が湧きませんでした。
そんな瀬川氏に転機が訪れる。4社目の企業で、若手エンジニアの誕生日祝いにサプライズを用意したときのことだ。エンジニア宛ての郵便物の体裁で届けられたのは、背の高さほどもある大きさの段ボールだ。エンジニアが怪しがりながら開けると、中から巨大な風船が飛び出し天井を舞った。オフィスには笑いの渦が巻き起こった。
瀬川風船がこんなに人を笑顔にできるんだと気付きました。それなら、今まで自分がやっていた仕事は、ひょっとするとたった1万円足らずの風船にすら負けているんじゃないかって思いましたね。
自分の人生の時間を、誰を笑顔にしているのかわからないまま使ってしまっていいのか。35歳の自分に、あとどれぐらい元気にバリバリ働ける時間が残っているのだろうか。こういうことを思いながら、自分の人生の時間をもっと誰かを笑顔にできる仕事に使っていかないと、たった一度の人生がもったいないと思ったんです。そうしたら、絶対に自分で会社をやらないとダメじゃないか!という考えに至ったんですよね。
瀬川氏に転職の選択肢はなかった。「何をやるかという具体的なプランなどない。とにかくこの、誰を笑顔にしているのかわからない環境から外に出ることが大事だと思った」と当時を振り返る。これまで瀬川氏が経験したような1メンバーとしてビジネスに加わるのではなく、新しいビジネスを設計することが、自らのビジョンへの究極の達成手段だという結論にたどり着いたのだ。
瀬川そういう意味では本当に初期衝動みたいなものでしたね。
退社後、最初に始めたビジネスは食器の販売だった。ちょうど退社と同時期に結婚祝いで食器をもらった時に「箱がイケてない」と思ったからだ。お祝いなのだから、よりユーザーを喜ばせるプロダクトを届けてみたかった。懇意にしていたクライアントに子供が生まれたことを機に、次はベビー服を扱うECサイトの運営に着手した。これも、世の中の子育て世帯のママさん達を笑顔にしたいという思いが込められていたのだという。
目の前の人だけを幸せにするのをやめた
ユーザーやクライアントに提供する価値は、企業によってさまざまだ。瀬川氏は、FULL KAITENを提供し始めた頃、「在庫問題を抱えている小売経営者を笑顔にする」をモットーに、目の前のユーザーの喜びを価値提供の軸に事業を展開していたそうだ。
ところで、現在のフルカイテンの掲げるミッションは“世界の大量廃棄問題を解決する”だ。起業当初に比べると、ミッションのスケールが各段に大きくなっているのではないか。驚くべきことに、このミッションに決まったのは、FULL KAITENを2017年11月にリリースして暫く経ったころだ。きっかけは、あるクライアントとのこんな会話だったそうだ。
瀬川あるお客さんが、うちのサービスを『地球の資源を守ることになるね』って言ってくれたんです。確かに、物を作るのには水や木そして石油などの資源を使いますし、流通したり廃棄したりする過程でも燃料や材料を使います。だから、FULL KAITENを使って今よりももっと少ない在庫で事業を成長させられるようになれば、地球から大量生産・大量廃棄を減らせることに気付かされたんです。
地球規模で考えたら、資源をめぐって戦争は起こりますし、低コストで大量生産をしようとして子供たちに無理な労働を強いることやあり得ないぐらい不平等な取引なども起きています。
今までは、在庫問題で悩む経営者を笑顔にしたいという思いだけでした。だけど、実はFULL KAITENが事業として提供している価値は、私たちの子供や孫の世代により良い地球を残すことに繋がるんだと気づきましたね。事業としての提供価値と社会に対する提供価値がコインの表裏のように存在するのがFULL KAITENなんだと気付かされたんですよ。あの言葉のお陰で、ビジネスの視座が各段に上がりました。
FULL KAITENをリリースした当初は、在庫問題を解決することが世界的な問題の解決に繋がるとは考えてもいなかったという。少ない在庫で事業を成長させられるようになるというFULL KAITENの提供価値は大量生産の抑制に繋がり、それは大量廃棄の抑制にも繋がる。つまり世界的な潮流でもあるサステナブルな社会の実現にも間違いなく寄与しそうだ。
「これまで積み重ねた経験やスキルを社会的な課題の解決に役立てたいというミッション共感度の高い仲間がジョインしてくれるようになった」と採用の手応えも感じているという。事業の急成長はメンバーのミッション共感と密接に結びついているのかもしれない。
新規営業するのをやめた
1人で完結するビジネスなど存在しないといっても過言ではない。クライアントとのリレーションの入口となるセールスは、あらゆる企業にとって生命線とも言える。とりわけスタートアップとなれば、事業をグロースさせたいタイミングで集中的に新規顧客へアプローチを広げることもあるだろう。
瀬川氏は、FULL KAITENリリースの僅か3か月後に新規営業をやめた。その後も含めると現在に至るまで計3回やめたことがあるそうだ。リリース直後の状況をこう振り返る。
瀬川最初のバージョンって、中小企業を対象に設計して作ったんですよね。だからエンタープライズ規模のデータは重くて扱えないんです。最初のバージョンを出してすぐ7社ぐらい契約が決まったんですけど、ほとんどが大手の企業様でした。
それで膨大なデータが毎日のようにくるようになって、大量のデータを高速に処理する必要が出てきたんですね。いくら新規契約が取れても大手企業だとデータ処理が追いつかずにシステムが重くて動かないのですから、価値を提供することができないわけですよ。お客様を笑顔にしたくて事業をしているのに、これでは願っていることとやっていることがチグハグだと思ったんです。だから営業をストップして大量データを高速処理するための開発に注力しました。
FULL KAITENのSaaS事業化の準備資金として、リリース前の2017年5月ごろにVCから数千万円規模の資金調達をしていた。だが大量データを高速処理する開発の遅延が続いたことで、キャッシュは瞬く間に底をついたという。資金繰りに苦しむ中で、一体なぜ営業を再開しなかったのか。
瀬川それはやっぱりお客さんを笑顔にできないからですよ。システム関連の仕事では人を笑顔にできないと思ってECで起業し、3回も在庫で倒産危機を経験して在庫問題を解決する理論にたどり着き、それを機能として実装したFULL KAITENなら人を笑顔にできると思ってもう一度システム関連の仕事を始めたのですから、一時のお金のために人を笑顔にするという信念を曲げて重くて動かないシステムを販売するという判断はしませんでした。
同じ理由で、2019年の年末と2021年の5月にも営業をやめました。2回目にやめた時は会社の預金残高が20万円しかなかったので、本当にギリギリの判断でしたね。当時のメンバーとは、お金のためだけに仕事をしているのならもうとっくに諦めて営業再開しているよなという話をよくしていました。笑顔という信念があるから、大量データを高速処理する開発の遅延が年単位で続いても耐えられたのだと思っています。
ちなみに2021年5月の時は開発の遅延ではなくて採用の進捗が悪かったのが理由なんですよ。人数が揃わないのにお客さんに十分な支援をすることなんて無理じゃないですか。あの時も無理に営業することはできましたけど、それをするのは笑顔よりお金を優先する判断なんですよね。やっぱりお客さんに成果を感じて笑顔になって欲しいんです。だから人数が足りなくてそれができないのなら営業はストップという判断になったんですよ。
決断の根底にあったのは、笑顔にしたいという思いだったのだ。そんな現在のフルカイテンのメイン顧客は、「年商30億円以上のアパレル小売とスポーツ用品小売企業」だという。それ以外にも雑貨やGMSなど実は業種は多岐にわたっているが、コロナ禍に特にアパレルとスポーツ用品が増えたとのことだ。
瀬川今メイン顧客に喜ばれているのは、手元にある在庫を使って売上や粗利をアップさせられる点です。弊社はこのことを「在庫効率が上がる」と表現しています。これまでのように販売力を超えるような大量の在庫を抱えるビジネスモデルから、より少ない在庫で売上や粗利をアップさせられるビジネスモデルへの変革ができるのがFULL KAITENの提供価値です。
日本のようにモノ余りかつ市場が縮小している国においては、もはやこの観点でのビジネスモデル変革は待ったなしになっています。大きな社会課題に対してフィットしたサービスを提供できているからこそ、今弊社は急成長を遂げられているんです。
営業を何度もストップしながらも順調に売り上げを伸ばしているのは、FULL KAITENの品質の高さや顧客満足度を証明しているといえよう。
起業から事業もミッションも変化させながらも、一貫しているのはプロダクトを通して人に笑顔を届けたいという思いだ。これまでのハードシングスや転換点を淡々と話す瀬川氏だが、その言葉の淀みなさこそが確固たるビジョンを物語っている。
危機を乗り越えられたのは、メンバーやVCに対して常に隠し事をせずに率直なコミュニケーションを心掛けてきたからだという。ビジョナリーな仲間と厳しい時でも背中を支えてくれる信頼できるVCとともにフルカイテンが成長を続けているのは、そんな瀬川氏のオープンマインドにあるのかもしれない。
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