連載私がやめた3カ条

チャンスは待たない、取りに行く──ユアマイスター星野貴之の「やめ3」

インタビュイー
星野 貴之

新卒入社した楽天株式会社にて営業を担当し、全国1位の収益を創出し全社の年間MVPを受賞。九州エリア全域の副責任者を務めた後、26歳で幹部育成プログラム1期生に選抜されIRへ異動し、決算・増資・投資家対応を担当。2016年3月にMBAを取得後、同年8月にユアマイスター株式会社を設立。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは、ハウスクリーニングや修理のプロフェッショナルとユーザーをつなぐプラットフォームを展開する、ユアマイスター株式会社代表取締役社長、星野貴之氏だ。

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星野氏とは?──楽天最年少役員候補のキャリアを捨てた、飽くなき挑戦を続ける起業家

もともと政治家志望だったという星野氏は、まさか自分が起業をするなどとは、学生の頃は全く予想していなかったそうだ。

21歳の時に大きな病気にかかり九死に一生を得た星野氏は、大学卒業後は社会経験を積もうとビジネスの世界に飛び込む。政治の世界に本格的に飛び込む前に、まずは社会経験を積もうと考えたのだ。星野氏にとって格好の成長フィールドに選んだのが楽天株式会社だ。就職活動で一度は落選したものの、別の企業の内定を得た後に再び楽天の選考の場に呼ばれた。第一志望だった楽天に2010年、晴れて入社した。

入社後は楽天市場の営業部門で当時全国1位の成績を残し、25歳で九州全域の副責任者に抜擢。功績が評価され、当時最年少で社内の幹部候補生に選出された。IR部門に軸足を移し、ECを中心とした決算や増資、投資家対応を担当した。2016年にグロービス経営大学院でMBAを取得後、ユアマイスター株式会社を創業した。

華々しいキャリアを持つ星野氏だが、その裏では何度も壁にぶち当たってきた。一体どのように乗り越えてきたのか。見えてきたのは、瞬時にマインドセットを切り替え次のステージへ挑戦し続ける姿勢だった。

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チャンスを待つのをやめた

チャンスはいつどこで遭遇するかわからない。だからこそ、機会を見逃さないことはビジネスでもそうでなくても必要といえるかもしれない。

「新卒の中では圧倒的に秀でているほうだ」。楽天をキャリアの入口に選んだ星野氏は、そう思っていた。だが上司の評価は芳しくなく、より大きな仕事を任せてもらえるチャンスもめぐってこなかった。耐えかねて上司に辞意を伝えたとき、初めて分かった事があったという。

「その時は新卒の中で一番であればいいと思っていました。けど、中途社員を含めた社内全体で負けていたら意味がないと言われたんですよね。確かにそうだなと思って、全社の1番になろうと決意しました」

淡々とそう語るが、1番になるのは簡単なことではない。では、星野氏はいかにしてチャンスを掴んだのか。

星野『チャンスを掴む』ことって、自分にとっては相手の期待以上の成果を出す事と同義なんです。だからチャンスは待つのではなくて、逃さないマインドに切り替えましたね。任されないと分かっていたような案件でもとにかく“私がやります”と手を挙げていました。周りの3倍は行動するようにしていましたね。

掛けた営業電話の記録をメモするようにしていたんです。すぐに受注に結びつかず心が折れそうになる時もあったので、ログが溜まっていくのを見て自分を奮い立たせていましたね。

そんな地道な行動が実を結び、全国1位の営業成績につながった。

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一人で勝負するのをやめた

楽天市場の営業で成果を上げた星野氏には次なるチャンスがめぐってきた。幹部候補生プログラムに当時最年少で選出されたのだ。当時の上司の助言を受けIR部門に異動したものの、いざ移ってみると暗中模索の日々が待っていた。星野氏は当時をこのように振り返る。

星野投資家やパートナー企業とのかかわり方を学んだ方が良いと言ってくれたんです。ステークホルダーはお客様だけではないということですね。『財務を知ることはお金の本質を知ること。それがあってこそビジネスマンは大成する』と。それで楽天のIR部門に移りました。

仕事をする相手は社内外問わず40~50代の方がメインでした。異動してすぐのころは、いくら営業で成果をだしたからといっても、当時26歳で金融バックグラウンドもないIR未経験の僕なんて相手にされないこともざらにありましたね。営業で「星野はやっぱりすごい」と言われていたころとは違い、自分が必要とされなくなったような感覚があって。最初は数字も出せず、苦しい期間が続きましたね。

新しいステージで、一体どのように役割を見つけたのか。星野氏は、事業部の人脈や営業経験が役に立った。チームや経営陣から事業部の状況を聞かれた時、現場に近い星野氏の情報が生きた。

星野MBAでファイナンスの基礎を学んでいたので、知識はなんとかキャッチアップしていました。それよりもチームに貢献することを第一に考えましたね。事業ごとの実務レベルの知識や、取引先との商談、コミュニケーションの取り方は、同僚に比べたら営業経験のある自分のほうが得意かもしれない、と思いましたね。

100点の結果を求めるんじゃなく、チームの潤滑油になろうというマインドに切り替えましたね。だから徹底的に事業部の話題を提供するようにしました。そうしたら、パフォーマンスは自然と上がっていきましたね。

メンバーのエンゲージメントは、現在のユアマイスターの経営で最重視しているといっても過言ではない。業務の進捗に加え各自が考えたことをシート上に可視化し、他のメンバーが自由にフィードバックを行う『ダイアリー』という文化は、創業当時からメンバーの相互理解に欠かせない習慣となっている。

全メンバーが半年に1度、一番応援した・感謝した・影響を受けた仲間に応援コメントを添えて投票を行うイベント『応援投票』もユアマイスターならではの施策だ。若手メンバーが多く、「応援される人が集う会社」になることが最速の成功方法だと考え実践してきた。ユアマイスターの組織力の高さは、星野氏の楽天時代の経験に紐づいていたのだ。

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好きか嫌いかで判断するのをやめた

「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。好きなことだからこそ、人は能力を発揮できる場面が多いのかもしれない。だが、まさに絵に描いたような楽天での出世コースを歩んでいた星野氏は、自身のキャリアに関しては必ずしもそうではなかったことに気づいたそうだ。

星野僕も最初は営業に苦手意識があったんですけど、仕事のやり方を見ていた上司からは『君は営業に向いてる』と言ってもらえました。自分の好き・嫌いと得意・不得意は違うということが分かったような気がします。

昔、起業は絶対しないと思っていたのも、なんとなくやりたくないという囚われがあったのかもしれません。祖母が起業家だったので、近くで見たことでリスクのある生き方だと肌で感じていたからです。

星野氏が起業のきっかけに遭遇したのは、楽天のIR部門時代だった。社長の三木谷氏とともに海外の大株主との会合に同席する機会が何度もあった。そこで感じたのは、三木谷氏の人を集める力だった。

星野イギリスで取引先とご飯を食べている時、意外に自分とも変わらない、普通の人だなと思いましたね。それより、三木谷さんを取り囲むチームがすごいなと。リーダーシップがずば抜けていると思いました。三木谷さん以上の存在になるには三木谷さん以上の経験をしなきゃならない、そう考えて転職活動を始めましたね。

スタートアップを中心に3社ほど受けたのですが、なかなかビジョンやカルチャーとマッチしませんでした。同時並行でスタートアップへの転職に特化した『for Startups』に登録していて、代表の志水雄一郎さんと話した際に『行きたいところがないなら、自分で勝負してみたら』と助言を頂きました。それでVCのインキュベイトファンドを紹介してもらったんです。

そうしたご縁でパートナーの村田祐介さんとお会いしたのですが、意外にも『起業に向いている』と言ってもらえたんです。当時、今ユアマイスターで手がけている修繕のプロ人材のマッチングサービスが海外で流行り始めていて、これをできないだろうか、と話したんです。そうしたら、村田さんの『いいじゃん!』と背中をいしてくれて、その後お会いした赤浦徹さんに『君が起業するなら1億円出資する』と言ってもらえました。

起業に抵抗があったのは自分の先入観だったのかもしれませんね。

楽天幹部のキャリアが現実味を帯びていたものの、決め手となったのは「チャンスを逃さないマインド」だった。こうして星野氏は新たなステージに踏み出した。

ユアマイスターの成長は、星野氏のこうした自己変容を続ける姿勢に裏付けられているのだろう。若い人に成長機会を作ること、お客様と一緒に成長していくことは、楽天時代に星野氏が経験し、ユアマイスターの組織運営に直結している。組織への貢献を身をもって実感した星野氏だからこそ、高いパフォーマンスを出し続ける組織を創ることができるのかもしれない。

こちらの記事は2022年03月15日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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