学生時代はスポーツ一色。
体育教師志望だったCo-Step代表・林諒氏が、様々なベンチャー、ベネッセを経て起業した理由とは?
今やITとなにかを掛け合わせて新しいビジネスを作り出すことは極めて一般的である。
しかし、誰もがやすやすと新規事業を立ち上げられるわけではない。
知識と経験を有していても二の足を踏むことだってあるだろう。
そんな中、18歳のころから学生と社会人の二足の草鞋を履き、自己を研鑽し続けていた男がいた。
- TEXT BY REIKO MATSUMOTO
- PHOTO BY YUKI IKEDA
昼間はビジネスを。夜間は学問を。
林さんは、青山学院大学夜間部で学びながら日中会社勤めしていたそうですが、なぜそうしたのですか?
林ロールモデルがいたんです。誰かというと、自分の叔父。明治大学の夜間部に通いながら、昼間は人材系のベンチャー企業で働き、就職では外資系コンサルティング会社に決まり、大学では論文で表彰されていました。
その叔父から、昼間は給与をしっかりもらいながらビジネスを学び、夜間はみんなモチベーションが高く勉強に専念できる環境で学問を学ぶ。という学生生活の面白さを聞かされていたので、自分もそれに続きたいと志願しました。
林...っと言えばもっともなように聞こえますが、今思うとコンプレックスも大きな要因でした。
部活・学歴コンプレックスが大きな力に。
コンプレックスとは何だったんですか?
林自分としては文武両道の精神で勉強も本気で頑張っていました。国公立を目指していたし、早慶上智に行きたかった。でも受からなかったんです。
林さらにいうと、僕は陸上競技に心血を注いでて、日本一を目指していたのですが、中学時代は中国地方で1位、高校では南関東で6位。日本一はもちろん、個人で全国大会にも行けなかった。
勉強も部活も人一倍努力したつもりでした。でも結果が出なかった。“つもり”になっていただけだったんです。ただがむしゃらに勉強や練習をするのではダメで、“大学に受かるための勉強”、“試合で勝つための練習”ができていなかった。
そしてそれを環境や人のせいにして逃げる自分が嫌だった。だからこそ就職(仕事)だけは環境や人のせいにして、失敗したくない。その強い想いがあったからこそ、大学生活を乗り切ることができたと思います。
憧れのおしゃれカフェからITベンチャー企業へ。
ITベンチャーで働きはじめたキッカケは何だったのですか?
林叔父をロールモデルにした進路選択も虚しく、実際は周りに流されて、最初の1年は憧れのおしゃれカフェでバイトしてました(笑)さらには大学でも陸上部に所属し、バイト・勉強・部活と、中途半端でまた逃げ道の多い生活を送っていました。
そんな自分に本格的にITベンチャー企業で働くきっかけをくれたのは兄でした。
当時、兄は創業して間もないウィルゲートという会社に大学に通いながら勤めていました。そして就活でも第一志望の大手レコード会社に就職を決めていました。
そんな兄から「いまやるべきことは何か?」を言葉ではもちろん、その生き生きとした姿で見せつけられました。
林ただ、それまでの自分は陸上一筋、人差し指でタイピングするようなITスキルでした。そんな自分がITベンチャーで働くということは勇気のいるもので、見て見ぬふりをしていました。
そんな自分に「とりあえずこれ見とけ」と兄から渡されたのは『千原ジュニアのシャインになりたい』というテレビ番組でした。
当時は2008年。今でこそ一流企業へと成長している、スタートトゥデイの前澤さんやリンクアンドモチベーションの小笠さん、ライフネット生命の岩瀬さんなどがゲスト出演していて、どの方も共通して言うことがありました。
「失敗すればいいし、やらずに後悔するより、やって後悔すればいいじゃん!」
「20歳そこそこの人生で自分探しなんかしても何も見つかるわけないんだから、自分作りをしなさい!」
全12話くらいを見終わったときには、吹っ切れていました。そこで『challenge/action』という理念を心刻み、その一歩目をITベンチャーで踏み出すことを決意しました。大学1年の終わりでした。
ビジネスの再現性の高さに気づけた
本格的にITベンチャーで働き始めたのは大学2年生からなんですね。そこからはどんな会社で働いたんですか?
林はじめに働いた会社はレバレジーズ。当時はまだ社員20名くらいで、人材関連のテレアポ営業などをやらせてもらいました。
次に当時の営業先でもあったガイアックスに惹かれ結局、学生時代に3年ほど働かせていただきました。
途中バックオフィスの人たちがどういう思いで働いているか学生のうちに知っておきたいと思い、内定をもらっていたオプトの法務部で、内定者バイトとしても半年ほど働かせていただきました。
やはり学生時代の3年間をガイアックスで働かせていただけたのが今の自分の基礎になっています。
なぜかというとガイアックスでは年齢や肩書関係なく、ユーザーと公明正大に真摯に向き合い、解決し続ければ、結果的にユーザーに支持され、結果につながる。という仕事のスタイルを当時の上司から徹底的にたたき込まれたからです。
このスタイルを理解できたとき、努力した分だけ結果が出るようになり、ビジネスの面白さにのめり込みました。そして、日本一になれなかった陸上競技に比べ、ビジネスは再現性が高いと思えるようになりました。
後々、独立するときに「怖い」と感じなかったのは再現性が高いとこのときに気づけていたからだと思います。
しかし、大学卒業後はベネッセコーポレーション(以下、ベネッセ)に入社されたんですよね?なぜですか?
林一生に一度しかない「新卒」という切符をベストな形で使いたいと思ったんです。
もちろん、元々体育教師を目指していたくらいなので、志望していた教育業界だったからですが、グループ全体で社員数2万人という規模の会社で働くというチャンスは新卒でしか容易にできないと思ったし、これまで働いてきたベンチャー企業とのよしあしを自分なりに理解したいという思いもありました。
「大企業は歯車に乗っているだけで、ベンチャーの方が優秀な人が多いんだ」そんな雰囲気漂うベンチャー業界をどこか冷めた目で見ていたんです。
大企業に苦しみ、でも大企業だったからこそ、いまの自分がいる。
ベネッセではどういう仕事をしていたんですか?
林ベネッセでは、高校向け営業や新規商品開発を兼ねた部署に配属され、高校生の進路選択に関わる幅広い経験をさせてもらいました。
でも結果的に、2年ほどで退社するに至りました。理由は、僕はそのころからITと教育を掛け合わせた新しいサービスで仕事をしたいと思っていたからです。
実際、社内の新規事業コンテストで準優勝になり、事業化に向けて進めようという話も出たんですけど、形にすることは叶わなかった。
また環境や人のせいにして、逃げようとしていました。だから自分の責任でやるしかない環境に身を置くべきだと思ったし、ベネッセ社内の先輩方でも「自分で事業化しちゃえば?」と背中を押してくれる方もいて。
ベネッセに関わらず、大きな組織というのは良くも悪くも護送船団方式で、安定しているし、守られている部分がありますが、その分、“いま”に対応する小回りという点では弱いと思っています。
そのため「自分がいま思う」ユーザーと真摯に向き合うことが難しく感じるようになり、何のために働いているのかもわからなくなっていました。身体的にも精神的にもかなりきつい時期でした。
大企業だからこそできること、できないことに苦しんでいたんですね。
林はい、でもこれはベンチャーだとなかなかないことだと思いますが、当時シリコンバレーにベネッセのオフィスがあったんです。そこで参加したピッチコンテストで「あー、自分が目指す働き方はこういうことだ・・・!」と多くのことから守られた大艦隊にいる自分の身を、最前線の“いま“に落とされるような衝撃がありました。
当時は24歳。まだ結婚もしていないし、守るべきものもない。そして学生時代に掲げていた理念を思い出しました。「サラリーマンとして働くことはいつでもできるけど、独立して、失敗できるのは今しかないじゃないか」と。
環境や人のせいにするのではなく、すべて自分の責任で、どこまでやれるか挑戦してみて、それでダメだったら「そこまでの人間だった」ということで晴れてサラリーマンとして生涯をささげようという覚悟をしました。ただ、そこで「起業」という選択はしませんでした。
シリコンバレーに行って、そこまで思ったなら、その勢いで起業しそうですよね。
林起業することはゴールではなく手段である。という自負があったんです。社長になりたいんじゃなくて、ユーザーと真摯に向きあって仕事をしたい。楽じゃないけど、楽しいと思える道を進みたいと思ったんです。
この考え方はいまの会社のベースにもなっています。辛いときや苦しいときもあるけど、自分で考えて選択し、行動する。そんな働き方をしたいと思っていたので起業というカタチにこだわるのではなく、まずはフリーランスとしてどこまでやれるか挑戦しました。
モノづくりに妥協しないという精神。すべてに通ずるエンタメ性。
でもフリーランスはなりたくてもなれるようなものではないですよね?
林そうなんです。フリーランスとして独立することはスキルも実績も何もない私では無謀すぎます。その選択肢をくれたのは、ガイアックス時代にお世話になった先輩や元上司でした。
そのため、最初の業務委託の案件として、アカデミー賞など数々の賞を受賞する制作プロダクションであるROBOTでのディレクター業務を紹介していただけました。
ベネッセ時代に教育業界に足りないと感じていた「エンタメ性」を学べ、かつ「モノを作る力」が身に付く仕事で、フリーランスとして独立しながら、その両方を学ばせていただけたROBOTには本当に感謝しています。
ROBOTでは具体的にどのような仕事をしていたんでしょうか?
林ROBOTでは、AKB48やよしもと芸人さんと一緒にやるような、とてもやりがいのあるエンタメ制作に携わらせていただきました。
ROBOTは「良いものを作る」ということにトコトンこだわった職人さんのような人が集まった集団で、企画の発想や、それをカタチに落とし込むときの妥協しない姿勢など、多くのことを学ばせていただきました。
ROBOTのひとからすると私なんてまだまだ未熟すぎるのですが、日本を代表する制作プロダクションで制作業務を経験させていただけたことは、いま、自分の会社でモノを作るときのベースになっています。
そしてROBOTとの契約も終わり、フリーランスとして単発案件をこなしていくなかで、売上も伸び、業務の幅や、法人としての信頼をもって仕事に取り組むために、Co-Stepを法人化しました。ちょうど26歳になったときです。
結果的に法人化に至ったんですね。
林はい、だからこそ、経営理念は「いまを生きる」なんだと思います。
法人化に至ったときも、これまでのキャリアにおいても「いま、どういうことが起きていて、何が必要とされているか」をしっかり考えて行動していくことを大切にしてきたので、この理念を会社の根幹に置きました。
でも何もない暗闇を進むのは不安です。正しい道を求めれば求めるほどさまよってしまいます。だから自分自身が灯りとなり一歩ずつ踏み出せることが大切だと思います。
そのことに気づき、一歩を踏み出す勇気を与えられるきっかけを、会社を通じて社会に提供していきたいと想い、「ともに(Co)一歩踏み出すきっかけを(Step)」ということをビジョンに置き、それを社名にしました。
世界を変えられるのは教育だと信じている。
具体的にはどのような事業を手掛けているんですか?
林大きく分けて2つあって。1つは「マーケティング・クリエイティブ事業」です。ありきたりなようですが、Co-Stepならではのこだわりもあるんです。
「合理性を超え、心が動く、想いをクリエイティブする集団へ」という方針でモノを作っています。
また、組織構成についても一般的な広告代理店・制作会社とは異なり、Co-StepではWEB、映像、紙といった媒体に固執せず、企画提案からクリエイティブ方針、UI設計、制作、運用、分析、改善までをひとりのディレクターが担当する形をとっています。
林だからこそ運用していく上で苦労を味わうこともありますが、ひとつひとつの仕事に責任が生まれ、愛着も生まれます。辛いことも苦しいこともあるけど、完成した際の喜びもひとしお。モノをつくる楽しさを感じられる醍醐味だと思っています。
これらの仕事の進め方は、これまでお世話になったベネッセでの仕事スタイルであり、ROBOTで学んだ、モノを作ることに妥協しないという考え方からです。
業界的にはどういったところがメインになりますか?
林美容、メーカー、人材、エンタメ、ファッション分野と様々ですが、最近Co-Stepの強みとして価値を感じられているのは教育分野です。
国内トップ3に入る大手教育サービス企業3社に、マーケティングやコンテンツ制作のお手伝いをしています。
これまで教育現場で感じてきた課題を直接、映像やWEBや紙を使って、学生に届けられることができ、かつCo-Stepが大切にしている想いもクリエイティブに組み入れています。
それは「自分自身で進んでいくことの大切さ」や「自分を探すのではなく、自分を作ってほしい」という想いです。そして自分自身で未来を選択し、一歩を踏み出せる人になってほしいと思っています。
そういった想いをクリエイティブで全国数百万人の学生に届けていますし、Co-Stepで働くスタッフにも仕事を通じて同様に感じてほしいと願っています。
仕事に取り組むスタッフ。その仕事の先にいるユーザーの想いが重なるんですね。
林はい、その通りです。だからインターン生なんかは、Co-Stepにそのまま就職するのではなく、新卒採用という一生に一度しかない切符をしっかり使って、自分自身で将来を見据えて、就活をしてほしいと伝えています。
この前も3年勤めて立派に成長したインターン生が東証一部上場企業に就職を決めてくれました。
また、同じ気持ちでCo-Stepに転職意思のない社会人もインターンとして積極的に受け入れています。完全に踏み台にされて辛いときもありますが(笑)。
いちいち損得を考えず、先義後利の考え方で、長い目で捉えるようにしています。
だから他のスタートアップとは違う特徴があって、弊社は100%自己資金で経営をしているんです。誰からも邪魔をされずに「いまを生きる」という経営理念で「ともに一歩踏み出すきっかけを」というビジョンをどこまで実現できるかを試したいと思っているからです。
だからスタッフひとりひとりの働くスタンスを大切にしているし、転職や就職をしてもしっかり背中を押してあげられると思っています。そしていつかCo-Stepに帰ってきてくれたらな・・・と思っています。
これまで身を置いてきたすべての業界に恩返しを。
もうひとつの事業はどんなことをされているんでしょうか?
林もう1つの事業は、スポーツのシェアリングエコノミーサービスです。「spoit」というスポーツのスキルを持った人がクラスを開き、スポーツを学びたい人がそのクラスに参加するCtoCマッチングサービスを開発しています。
サービス名の由来は「sports×it」の造語です。「IT」の力によって、スポーツに関わるすべてをすくい上げ、適材適所へ配置したい。そんな想いを込めました。
安くて早くて高品質。そんな合理的な経済は終焉を迎えたと思っています。これからの時代の人々は体験や共感、想い、アートなど数値では測れない「心の動き」に対価を払うようになると思っています。
だからこそ、「spoit」では、クラスを通して心が動く体験を提供したいし、体験だけではなく、まずはスポーツを身近に知ってもらうためのメディアを用意しています。
そうすることでスポーツを始めるハードルをもっと低くし、スポーツを楽しい(エンターテインメント)ものとして確立させ、ひたすら会社と家を往復する人の生活を変えたい。スポーツによって、心が動き、心身ともに豊かになる、そんな世の中を実現したいんです。
林さんのこれまでの経験が詰まったサービスですね。その想いはどういうところに込められているのでしょうか?
林特に、「スキルはお金に換わる」ということを発信してスポーツの価値を変えたいと思っています。
実際、デザインやコーディングは10年も努力すれば立派なスキルとして社会で活躍できます。それなのにスポーツのスキルはどうでしょうか? プライベートを犠牲にして何年も部活で磨き上げた立派なスキルがあるのに、それを社会に還元できていないのがいまの日本社会です。
私自身も10年間の陸上競技スキルは直接的に報われることはなかったし、まわりにも、元全日本チャンピオンやオリンピック選手の友人がたくさんいますが、普通にサラリーマンをしているか、フリーターでなんとか生活しながら競技を続けています。
元アスリートのサラリーマンなら休日の空いた時間にそのスキルを提供することで仕事とは違う「やりがい」を感じられると思うんです。そして、現役アスリートなら自分の得意スキルで遠征などの活動費用を得ることができる。
何より多くの人にアスリートのことを知ってもらえるきっかけになる。アスリートの体験型クラウドファンディングみたいなものです。やっぱりアスリートにとっては応援者が増えることが何よりの活力になります。
スポーツのスキルを持つ人の想いを形にすると同時に、そのスキルを求めている人に提供することが僕の使命だと思っています。
世の中にないサービスを生み出すにあたって、失敗する怖さは感じないですか?
林失敗しても死ぬわけじゃないんだから、やりたいことはやれるうちにやってみるべきではないでしょうか。
しかも弊社の場合は100%自己資金でやっていますから、冷めてしまうような広告や課金モデルといった収益構造を考えずに、純粋に良いと思うものをカタチにできる。
だからといってボランティアだと倒産してしまう。そんなしびれる環境だからこそ頑張れるし、知恵も絞られる。
それでダメだったら完全に自分たちの力不足ですから、潔く諦められる。ただ、もちろん、潤沢な資金があるからこそできることもあると思っています。
自己資金に固執しているわけではなく、サービス拡充しなければユーザーに迷惑がかかる。という状況になればその解決策として資金調達を考えればといいと思っています。法人化したときと同じ考え方ですね。
Co-Stepは自分自身の足で地面をしっかり蹴りながら全力疾走することを大切にしています。だから怖くはないです。
まだまだ、「今しかできないこと」をとことん追求していきたいですね。
こちらの記事は2017年12月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
松本 玲子
写真
池田 有輝
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