連載事業成長を生むShaperたち

徹底的な「憑依力」でキャリアを拓く──エンプラセールスからデロイト、VCを経て起業。Matilda Books百野氏が実践する“自分自身の売り方”

百野 拓也
  • 株式会社Matilda Books 代表取締役 

外資系コンサルティングファームのHuman Capitalユニットに所属し、組織人事課題の解決に伴走。組織・人事制度改革による組織設計やMission/Vision/Value設計を通じた組織風土改革。役員報酬・評価設計を中心としたコーポレートガバナンス改革を行う。その後、独立系ベンチャーキャピタルのイノベーション創出チームに所属し、イノベーション創出を目的としたアクセラレータプログラム設計、新規事業創出、都市におけるイノベーションエコシステム創出の企画等に従事。現在、株式会社Matilda Booksの代表として、組織人事・新規事業領域の伴走支援に従事。

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創造性を発揮し、新しい価値を形づくろうとする人たちを“Shaper”と呼ぶ(詳しくはスローガン創業者・伊藤豊の著書『Shapers 新産業をつくる思考法』にて)。Shaperはイノベーターやアントレプレナーに限らず、誰もがなり得る存在だ。一人ひとりがShaperとして創造性を発揮し活躍すれば、新事業や新産業が次々と生まれ、日本経済の活性化を促す原動力となるだろう。

連載企画「事業成長を生むShaperたち」では、現在スタートアップで躍動するShaperたちにスポットライトを当て、その実像に迫っていく。

今回取り上げるのは、企業における研修や学びのアップデートに挑戦する株式会社Matilda Books(以下、Matilda Books)代表取締役の百野拓也氏だ。ウイルスバスターでよく知られるトレンドマイクロでの営業からキャリアをスタートし、デロイトトーマツ コンサルティングでの組織人事コンサルティング、そしてサムライインキュベートでのスタートアップ支援と多彩なキャリアを経て同社を創業するに至った。

百野氏は現在、これまでの研修スタイルとはまったく違った、新しい学習プラットフォーム『Matter』の構築に取り組んでいる。同サービスは、従業員同士が学び合い教え合うピアラーニングの実践を支援するもの。ピアラーニングにより、主体的な学びや、それに伴う知識の定着、学習に対するモチベーション向上が期待できる。そして、この様々な効果により、企業での研修をより効果的なものにすることが、百野氏の目指すものだ。

そんな日本企業における研修・育成の改革に挑む百野氏だが、ここまで記載した通りかなり多彩な経験を経て起業に至っている。しかも、デロイトの組織人事コンサル時代の専門性を活かしたプロダクトだ。まだ2025年にローンチしたばかりだということもあり、知らない人も多いはず。だが厳しい業界を渡り歩いてきた百野氏は十分にShaperたりうる人物だ。そんな彼のキャリアを紐解くことは、きっと、これからを担う若手スタートアップパーソンの参考になるだろう。

  • TEXT BY ENARI KANNA
  • EDIT BY TAKASHI OKUBO
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座学研修に意味はあるのか?学びへの疑いから生まれた“学びある”プラットフォーム

日本企業における人事主導の人材育成では、座学中心の研修が一般的だ。その目的の多くが、OJTや実際の仕事だけでは身につかない理論知識やフレームワークの補完にある。

しかしこの形式では、学習効果の持続性や実践での活用に課題が残る。また、受講者自身のキャリア形成にどう活きるのか、具体的な道筋が見えづらいという問題もある。読者のなかにも、「会社から勧められて研修に参加したが、業務にどのように役立つのかよくわからなかった」という経験を持つ方もいるのではないだろうか。

百野社員の皆さんだけでなく、人事の方々も現在の研修の形に課題を感じています。「多額の投資をしても効果が見えづらい」「正直、やりっぱなしになってしまっていることも多い」といった人事担当者たちの声を聞くことは多いです。

このように、研修の効果測定が適切に行われていないケースは珍しくありません。さらに、受講者のモチベーションという観点でも課題があります。自分のキャリアにどう活きるのかが見えにくい中での受講は、どうしても受動的になりがち。企業の人材育成をより良いものにするためには、これらの構造的な課題を解決しなければならないと考えました。

「企業の人材育成における課題を解決したい」。この想いを胸にプロダクト開発を行ってきたMatilda Booksは、百野氏の組織人事コンサルとしての経験を結集させ、従業員同士の学び合いを促進する新しいSaaSプラットフォーム『Matter』をローンチした。このプラットフォームの特徴は、従業員間でのインプットとアウトプットの循環を重視した設計にある。

提供:Matilda Books

提供:Matilda Books

百野これまでの研修では、受講者が孤独を感じやすく、自身の学びが正しい方向に進んでいるのか確信が持てないこともよくありました。『Matter』では、参加者同士が知見を共有し、互いの成長を確認し合える環境を提供します。単なる知識の習得だけでなく、その知識を実践でどう活用できるのか、具体的な事例を通じて学び合えることを念頭に置いてプロダクト開発を進めました。

ローンチしたばかりの『Matter』だが、モニターとして利用した企業からはすでに高い評価を得られている。「ピアラーニングの実施を通じて組織における学び合い文化の醸成につながった」「既存の人材育成施策を補完する形で、学習効果の可視化・向上が実現できた」といった声も上がっているという。

また、実際に研修を受ける従業員の側からの評価も極めてポジティブだ。研修後に行ったアンケートでは、約9割が「学習への意欲が高まった」「同じ形態の研修があればもう一度受けたい」と回答している。

今後は、研修とは切っても切り離せないスキル管理や、それをもとにした人材マネジメントの機能も追加予定。人材育成のあらゆる観点や領域をカバーするプラットフォームを目指していく、とのことだ。

こうして人材育成に新しい風を吹かせる百野氏とは、いったいどのような人なのだろう。次章以降では、彼のキャリアを紐解きたい。

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徹底理解ではまだ甘い。顧客やマネージャーを憑依させ、決めるべき要所を確実に抑える

百野氏のキャリアは、トレンドマイクロでのエンタープライズ営業からスタートした。約3年後、第二新卒としてデロイト トーマツ コンサルティングに入社。組織人事領域で30社以上の組織・人事制度改革に携わり、その後、サムライインキュベートで主にスタートアップと大企業のオープンイノベーションや、大企業における新規事業立ち上げ支援に従事。2022年に独立しMatilda Booksを創業した。

この流れの中で、デロイトでの経験が彼のキャリアを大きく形作った。

百野一般的にコンサルティングファームのキャリアパスは、資料作成やExcelでのデータ収集・分析から始まります。そこから徐々にプロジェクトの中で担当する領域を広げていきます。そしてマネージャーにステップアップすれば、自ら主体的にプロジェクトを進められるようになっていく、というのが通常の流れです。

僕は社会人経験はあったものの、第二新卒としての入社だったため、資料作りの基礎からスタートしました。基礎から鍛えることができ、非常に勉強にはなったのですが、一方で、次第に自分の出している価値の小ささに、どこか物足りなさや満ち足りない気持ちを感じていました。

より大きな責任を求めて日々努力した結果、同期の中でも最速で昇進する成果を収めた百野氏。その秘訣が「決めるべき要所を確実に抑える」ことだった。

百野例えば、上司が急遽欠席して、その上司の上司が代わりに顧客ミーティングに同席するケース。案件詳細を知らないその方に、私が適切に説明しなければならない。こうした場面で期待以上のアウトプットを出せるよう、常に案件の本質理解に努めていました。それが単なる資料作りから、プロジェクト主導へのステップアップにつながったと思います。

もうひとつ、百野氏のコンサルティングファームでの活躍を支えていたのがマネージャーや顧客への“憑依”だ。彼らをただ表面的に理解するだけでは足りない。憑依を可能にするまでの、圧倒的に深い理解力と実行力が、彼が厳しい環境を勝ち抜いた大きな理由である。

百野コンサルティングファームではプロジェクトごとに異なるマネージャーと働きます。同じ会社でも、人によって思考の傾向や重視するポイントが違う。私はマネージャーを徹底的に観察し、彼らの視点を自分に憑依させるようになりました。

この考えは顧客にも適用します。顧客の思考や視点を憑依させなければいい資料も作れず、的を射た提案もできない。憑依のポイントは、その人のミッション、役割や立場を深く考え抜くことです。

例えば、相対している担当者のミッションを理解し、何をすれば評価されるのか、またはどのような志を持っているのかを知ることが考えられます。営業時代は、商談相手だけでなく、その上位者・下位者ふくめた組織・チーム全体での人間関係・力学まで理解し、そのうえで魅力的な提案であるだけでなく、社内における通しやすさを考えながら仕事を進めました。

この“憑依力”を武器に、次のステップであるVCでも活躍。スタートアップと大企業の協業による0→1フェーズのコンサルティングや、日本における五大商社のひとつである丸紅のビジネスコンテストにて、ビジネス起案者のサポートを行うなど多彩な経験を積んだ。

百野VCでは、マネージャーや顧客を納得させるだけでなく、純粋に『イノベーションを起こしたい』という想いで仕事をするようになりました。顧客への本質的価値提供にフォーカスしたことで、期待を超える成果を上げられるようになったと感じています。丸紅さんのプロジェクトはまさにそうですね。

VC退職後も、「この人に成功してほしい」との想いから、金銭的見返りなしにビジネスコンテスト起案者のサポートを継続。現在もMatilda Booksにて支援しながら事業立ち上げを進めているという。「人を応援したい」という姿勢が評価され、独立後も丸紅や前職VCとの協業は続いている。

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「会社ではなく自分を売れ」。
百野流・どこでも生き残るキャリア戦略

これまでに紹介してきたエピソードにも象徴されるように、百野氏のキャリアにおいて、コンサルティングファームでの経験は非常に重要な位置を占めている。だが、彼は最初からコンサルティングファームに入社したわけではない。なぜ彼は、このようなキャリアを選んだのだろうか。

百野氏がキャリア形成において大切にしてきたのが、「会社がなくなっても生きていけるようになる」ことだ。

百野実は僕は新卒で入社するタイミングでは、営業に苦手意識を持っていました。社交的でもないですし、人に何かを売り込むのが嫌だったんです。でも、それから逃げてしまっては、会社がなくなっても生きられる人になるのは難しいだろうと考えて、「嫌なことを最初にやっておこう」と営業を選びました。

しかし営業をやるうちに、いくらものが売れたとしても会社がなくなったら売るものがなくなってしまうことに気づき、自分自身を売り物にできるようになろうと考えた。

百野自分自身を売れるようになれば、会社にいても、会社を離れても、どちらにせよ仕事がもらえるようになるはずです。そしてそうなってはじめて、本当の意味で自立して生きていると言える。その状態を目指して仕事と向き合ってきました。

そして売り物となる自分自身に価値をつけるために選んだのが、コンサルティングファームである。汎用的なスキルを身につけることができ、かつ自分にある種の箔もつけられる環境は、百野氏にとって非常に魅力的な環境だった。

一方で、起業への関心も当時から持ち続けていた。しかし、当時の百野氏の周囲には起業家はほとんどいなかったこともあり、現実的に考えることができなかったという。

その後、コンサルティングファームでの活躍を経て、VCに入社したのは先述の通り。そこで待っていたのは、数年前までは縁遠かった起業家たちと働く日々だった。

百野周りは起業家だらけで、彼らと接するうちに起業へのハードルがどんどん下がっていきました。漠然と、起業とは特別な人がするもので自分には手の届かないことのように思っていたのですが、起業に対する解像度が高まったことで、「大変だけど頑張れば自分でもできるかもしれない」という感覚を持つようになったんです。

過去の僕のように、起業したくても躊躇してしまっている人のなかには、そもそも起業している人が周りにいないからできないというケースは多いのではないでしょうか。僕が起業できたのも、周りの起業家の方たちに勇気をもらえたから。起業に踏み切れずにいる人は、起業家の多くいる場所に行ってみるのも一手だと思います。

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「ピアラーニング」で企業の学びを変える。
自分の意味を紡ぐ組織づくりへの挑戦

こうして満を持して起業した百野氏は今、「意味を紡ぎ、居場所を創る」というミッションのもと、企業研修の変革に挑んでいる。組織人事コンサル出身者の起業のパターンとしては、起業前と同様に組織人事コンサルに携わるケースが多いなか、どうしてこの領域を選んだのだろうか。

百野僕の同世代には、仕事が原因でメンタルを崩してしまう人が多いように感じています。その根本原因として「私はこう生きるんだ」と思える軸がないことがあるのではないかと思います。

コンサルタント時代、さまざまな企業の人事制度改革に携わるなかで、この問題の構造的な要因が見えてきた。会社主導のキャリアパス設計により、個人が自分のキャリアを主体的に考える機会が少なく、それにより、自分のキャリアの意味を見失いやすくなっているのではないか。終身雇用が難しくなり、自らキャリアを構築しなければならない現代において、それは持続可能な形ではない。

この問題意識から、キャリア設計の重要な要素である、企業における学びのあり方を根本から見直そうと決心。単なる知識やスキルの習得に留まるのではなく、一人ひとりが自分のキャリアの意味を見出せるようになること。その実現こそが、Matilda Booksの目指す姿だ。

この思想のもと作り上げた『Matter』の開発においては、従業員同士の学び合いを促進する仕組みづくりに特にこだわったという。

百野研修では、特にオンラインで実施される場合は、参加者が多かったとしても孤独を感じやすいものです。自分の理解が正しいのか、この方向で良いのか、不安になることもよくあります。そんななかで、悩みを共有できるだけでも大きな支えになる。そこで、参加者同士が教え合い学び合う“ピアラーニング”を実践できるプロダクトとしました。

今後は、実績を着実に積み重ねながら、プロダクトの機能拡充を進めていく方針だ。特に注力したいのが、スキルの可視化とキャリアパスの提示だ。

百野AIとこれまでのキャリアや経験について会話していただいて、その内容をもとにAIがスキルを特定してプロフィールを作成するなど、AIを活用したスキルの可視化も考えています。具体的な方法はどうあれ、一人ひとりスキルを可視化・分析し、それをもとに、より精緻な市場価値の可視化や、具体的なキャリアパスの提案ができるようにしていきたい。

「なぜこれをしなければならないのか」ではなく、「自分は何をしたいのか」を追求できる組織づくりのサポートが、私たちの使命だと考えています。

企業における学びの変革は、単なるトレンドではなく、日本企業の成長と存続をかけた重要課題だ。トレンドマイクロで営業として「商品を売る」ことから始め、デロイトでは「相手に憑依する理解力」で最速昇進を勝ち取り、VCでは「起業家のマインドセット」を吸収してきた百野氏。その多彩なキャリアで培われた「自分自身を売る」スキルが、今まさに日本の研修システムに革命を起こそうとしている。

「憑依」による徹底的な相手理解と、「会社がなくても生きていける」自立の思考法。これらは、不確実性が高まる現代のビジネスパーソンにとって、最も価値ある武器となるだろう。百野氏が『Matter』を通じて目指す「ピアラーニング」の世界は、一人ひとりが自分の意味を見出し、互いに高め合う組織文化の実現への道筋を示している。この「憑依」と「自立」の哲学こそ、次代を担うShaperたちが今こそ学ぶべき、最も実践的なビジネス戦略なのかもしれない。

こちらの記事は2025年03月31日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

えなり かんな

編集

大久保 崇

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