Exitに向けて直面する「壁」の正体とは?急成長スタートアップ“だからこそ”陥るジレンマ。5名の経営者でその突破法を探求する
急成長スタートアップ。その裏側には、数多くの難題を乗り越えてきた過去がある。
ビジネスモデル、事業戦略、資本政策、オペレーション、マーケティング、顧客、採用、組織づくり、カルチャー、パートナーシップ......挙げればキリがないほど、急成長スタートアップ経営者の目の前には、数多くの「壁」が立ちはだかる。もちろん、これらの難題に1人で取り組むのは非常に難しい。では、一体どうすれば?
この記事は、そんな問いに対する経営者たちの考えをまとめたものだ。直面する課題を共有しあい、経営者同士で議論を深め、ナレッジシェアを行う場となったUPSIDER×FastGrow主催のイベントをレポート化した。テーマは「経営者は、資金需要の難題にどう立ち向かうか──スタートアップ経営者が陥るジレンマ、その突破法を探求する」、登壇者5名によるパネルトークだ。企業経営のリアルとハードシングスが様々な角度から赤裸々に語られたこのクローズドイベントの模様を、本記事限定でお届けする。
- TEXT BY MAAYA OCHIAI
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
急成長スタートアップの起業家5名が潜り抜けてきたハードシングス
宮城皆さん今日はお越しくださりありがとうございます。モデレーターを務めます、UPSIDER代表取締役の宮城です。私は新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、主に金融分野のコンサルティングに従事していました。そこで持った課題意識から、顧客目線の金融サービスを自分で作ってみたいという思いで2018年にUPSIDERを創業しました。
UPSIDERのサービスのご紹介もしたいと思います。法人カードのサービスをメインに提供しており、昨年、新規上場した20%以上の企業に使っていただけるくらい、大きな与信やガバナンス構築のための機能が揃っているサービスとなります。セキュリティ基準でいえば、不正利用のリスクは一般のクレジットカードの100分の1ほど、またカードに付随して、上場準備支援パッケージ『UPSIDER IPO Partners』も提供しています。
新規事業としては『UPSIDER Coworker』という、経理・会計に関する社内コミュニケーションを円滑にするサービスを提供しています。今後は、与信モデルに基づいて、大きなデット・融資を成長企業に提供するビジネスをリリースする予定です。法人カードを中心に、成長企業のファイナンス面をあらゆる方法で支えていくことをやっています。
では、今日の登壇者の皆さま1人ずつ、自己紹介をお願いします。
吉田皆さんこんばんは。Thinkings代表取締役の吉田と申します。私が起業したのは2013年、その前に2社経験しております。1社目は、リクルート出身者が作った採用コンサルのスタートアップ。そこで3年半ほど経験した後に、2社目は双日という商社に転職しました。双日では情報産業担当となり、シリコンバレーに駐在して現地の最先端のITやテクノロジーを日本やアジアに持ち込んで商売するということをしていました。
1社目の採用コンサルと2社目のITの経験を組み合わせて新しい価値を生み出したいと思い、2013年に起業して、採用管理システム『sonar ATS』を提供しております。2021年にシリーズAで9.5億円、昨年シリーズBで16.2億円を調達して、累計約25億円となり、今IPOを目指して頑張っているというフェーズです。よろしくお願いします。
本田こんばんは、 KAKEAI代表取締役社長 兼 CEOの本田と申します。弊社では、不満を抱えながらやらざるを得ないという状況も多い“1on1”に焦点を当て、負担を減らして質を高めるという支援サービス『Kakeai(カケアイ)』を提供しています。
というのも、私は新卒入社でリクルートに入り、特に人事を長く経験してきました。経験も長く自信満々だった私は、過去に360度評価で部下から「あなたには誰もついていきたくないのを知ってます?」という無記名のコメントを受けまして。私以外にも、そういった状況が世の中にたくさんあると思い、この事業を始めるきっかけとなりました。
シリーズAの資金調達は昨年末、全体で13億円ほどです。事業のフェーズは本日登壇される中で一番浅いかなと思うので、今日はできるだけたくさん、オープンに話すというポジションでいきたいと思っています。よろしくお願いします。
井無田皆さん初めまして、テックタッチ代表取締役 CEOの井無田と申します。私は金融業界からキャリアをスタートして、BtoCのスマホアプリの会社で新規事業にいくつか携わった後に、2018年からテックタッチというBtoB SaaS企業を設立しました。
グローバル企業で働くなかで、数多くの使いにくいシステムに直面し、「なんでこんなにわかりづらいシステムを設計したんだろう」と思っていました。ところが、いざ転職して自分がスマホアプリを開発する立場になったとき、自分が自信を持って作成したものをユーザーは「不親切だ」と感じたという場面に何度も遭遇し、驚愕したんです。この「開発者と利用者の間のギャップ」に勿体なさを感じ、『テックタッチ』という製品の開発に至りました。
このツールは、システムにナビゲーション機能をノーコードで追加することができるソリューションです。大手企業やSaaS企業をターゲットに、システムの利活用に課題を抱えている企業様に提供しており、現在順調に拡大しています。資金調達は累計24億円に達し、シリーズBのフェーズです。
小橋皆さんこんにちは、キャディの小橋と申します。私は2017年に共同創業者の加藤とキャディを創業し、技術統括(CTO)をしております。キャディは今グローバルで500名を超える規模で、事業としては大きく2つあります。
モノづくり、特に工場の中にある産業装置を製造するためのサプライチェーン構築を支援する『CADDi MANUFACTURING』と、製造業と向き合う中で私たちが培った知識を活用して開発した図面データ活用SaaSの『CADDi DRAWER』です。この2つの事業において、私はエンジニアリング組織を中心に、80~100名の組織を統括しております。今年シリーズCで総額118億円の資金調達をしました。本日はよろしくお願いします。
宮城前提として、今日なぜこのメンバーに集まっていただいたのかをご説明したいと思います。弊社は、2018年創業であるものの、サービスインは2020年。登壇者の皆さんより少し後に事業がスタートしました。そのためまだまだ潜り抜けた壁は少ないと思っており、弊社より様々なスタートアップの壁を乗り越えられてきたであろう方々に、ぜひお話を伺いたいなと思いました。どうぞよろしくお願いいたします。
ターニングポイントにおいて、スタートアップ経営者はどのように意思決定しているのか
宮城1つ目のテーマは、「各社の創業ストーリーと現在に至るまでの歩み」です。創業ストーリーはいろいろなところで話されていると思いますが、現在に至るまでのターニングポイントだったと思うところ、ご自身が一番大変だったところをご紹介いただければと思います。今度は小橋さんからよろしいですか。
小橋キャディの創業は2017年11月です。私のキャリアとしては長らく製造業の領域で設計に携わっていて、共同創業者の加藤もマッキンゼー時代に製造業と向き合っていく中で課題を感じていたので、製造業というドメインを選びました。
最初は、製造業の法人取引のアナログな部分をどうテクノロジーの力で改善できるかというところで、「デジタルを使って厳格に最初から定義できればみんなハッピーでしょう」というベンチャーらしい発想で始まったんですよね(笑)。その発想自体はすごく良かったのですが、実際に産業の商習慣や現実と向き合う中で、当然ながら一筋縄ではいかない難しさがありました。
既存の商習慣も尊重しないと産業は変えていけない、尊重した上でどうすれば産業を変えていけるのかというところに挑戦し始めた2018年頃が、大きなターニングポイントかなと思っています。
そこからうまくいったこともいかなかったこともあるのですが、簡潔にまとめると、自分たちの仮説が崩れたときに、しっかりとそれを認め、じゃあどうしようかと素早く転換していける、その軌道修正の重要性は、何度も痛い目にあって実感してきたことです。
宮城現実と向き合わざるを得ないという課題に直面したときに、それに気づいて咀嚼するのはすごく大変だと思いますが、どういうプロセスで乗り越えているのですか。
小橋皆さん事業をしていると、おそらく「PMFとは?」みたいな話ってよくあると思うんです。PMFは、後から見れば当然わかるのですが、その最中にいるとわからない。それをどうやって最中にわかればいいのかというご質問かなと思うんですけど。
自分たちの仮説が検証できなかった、例えばマーケットを見て「これくらい伸びるだろう」と思っていた伸び率まで伸びてこなかったときに、これは事業モデルの問題なのか、プロダクトの問題なのか、純粋に営業力なのか。要因となり得るものがものすごくたくさんあるので、自分たちで地道に一つひとつ向き合っていかなければなりません。
例えば、「確かに私たちは営業力が足りないから、そこをもうちょっと頑張ってから方向転換を考えようか」という考え方もあり得るし、「我々ほどすごい営業力を持っているなら、もうこれはプロダクトが悪いな」といった捉え方もあり得る。それは自分の会社と率直にそして、冷静に向き合うことができるかだと思います。
宮城なるほど、ありがとうございます。次に井無田さん、お願いします。
井無田私たちには3つのターニングポイントがありました。1つ目は「誰を顧客にすべきか」というもの。今は売上の約7割は大企業ですが、元々はSaaS企業をターゲットに、SaaSのオンボーディングプロセスやCSの課題を解いていこうと考えていたんです。その方が自分達に近いので顧客解像度が比較的高いですし、課題感も深く理解しているつもりだったので。
また、大企業の方たちが我々のようなスタートアップのプロダクトを買ってくれるなんて思ってもいなかったんです。
今でこそ大企業向けのビジネスをするスタートアップが増えていますが、当時はまだ多くなく、知見もなかったため、エンタープライズ向けSaaSがほんとに売れるか疑心暗鬼になることもありました。
実際にリリースから1年くらいはあまり製品が売れませんでした。「対面の担当者がめちゃくちゃいいって言ってくれている、続けていけば何とかなるんじゃないか」と思って続けている状態でした。
あるタイミングで、サービスを評価いただき、大企業における1件目の受注が決まりました。その後、いくつもの名だたる大企業に導入いただけたきっかけとなる受注が、2つ目のターニングポイントです。
3つ目が、PMFのタイミングですね。大企業は、多くの方が意思決定に関わるため、検討にも、導入後に運用が軌道に乗るまでにも時間を要します。導入後、蓋を開けてみたらプロダクトが全然活用されていないということが契約からしばらくしてわかったという出来事もありました。PMFにとても時間がかかったので、なかなか営業活動にアクセルを踏むタイミングがわからなかったですね。
その後、戦略コンサル出身のメンバーがカスタマーサクセス責任者として入ってくれて、彼がいろいろな整備をしてくれたおかげで、しっかりPMFが見えて、サクセスしているお客様の姿が見えてきたので、安心してアクセルを踏めるようになりました。
宮城どの会社も数段階、葛藤と結果が出るプロセスを繰り返していると思いますが、周りの企業を見ると資金調達のタイミングって結構ハードですよね。資金調達を事業の波のどこにセットするかとか、そのときにご縁をもらえるかといったところは、運命を分けるポイントだと思います。その辺りもぜひ知りたいです。次に本田さん、お願いします。
本田我々は、当初はピープルマネジメントという領域でサービス提供を考えていました。それは、人と人のコミュニケーション、特に上司部下の関係においてずれが生じることが多いという課題を、テクノロジーの力を使って改善していきたいという想いからです。しかし最終的には、事業領域を1on1に絞りました。
ちょうど2015~2016年あたりは、HRで言うと「エンゲージメント」「モチベーション」などの重要性が叫ばれており、世の中全体が、管理型のマネジメントから従業員個別の支援に流れていることを感じとっていたんです。自分の仮説はおそらく今の流れに適合するし、トライしなければ後悔するだろうなと思っていたとき、縁あってVCの方に「本田さんがやるんだったら出資するよ」と言ってもらって、最初のスタートが切れたのです。
徐々に、大企業にもプロダクトを提供していくことになるにつれて、「私たちのお客様は誰なのか、何の問題を解決したいのか」が曖昧になっていったタイミングがありました。
というのも、人事の方々はみんな現場を可視化したいという思いから、「1on1の満足度などを全て見たい」との声が多かったんです。ですが、その声だけを鵜呑みにしていては、現場の皆さんにとっては“使いごごちの悪い”プロダクトになってしまいますよね。コロナをきっかけに、改めて、誰のためのプロダクトなのかを定義し直したのが、ターニングポイントだったと思います。
宮城ありがとうございます。次に吉田さんお願いします。
吉田ターニングポイントは2つあります。1つ目は、Thinkingsの前身であるイグナイトアイを立ち上げた2013年です。当時は日本にHRTechという言葉はなく、クラウドもそこまで流通していない。クラウドというと逆に「危ない」とか「大丈夫なの?」と言われる時期でした。
エクイティでの資金調達はせずに、手金と借入れで始めたので、会社設立初年度はギリギリまで追い詰められ、さらに創業メンバーが2人抜けるなど苦しい時期でした。でも、高く評価してくださるお客様もいて。プロダクトを持っていくと「こんなことまでできるんですか?」と驚かれるお客様も多かったので、軌道に載せられる確信があったのです。
ただ、SaaSは軌道に乗るまで時間がかかるので、キャッシュショート寸前までいってしまいました。先ほど井無田さんからも「ギリギリのところで1社決まった」というお話がありましたが、当社もギリギリのところで2社決まり、そこで何とか乗り切りました。それが1つ目のターニングポイントです。
2つ目のターニングポイントは2020年。2013~2020年の7年間、外部からのエクイティ調達なしの黒字でやってきた珍しいSaaSでしたが、開発会社と経営統合し、資金調達もしました。ビジネスサイドの会社と、開発会社の文化は全然違うので、0からのPMIで一緒にMVVや人事制度を作り直して経営統合していったところが、2つ目のターニングポイントですね。
宮城実は事前打ち合わせのときには、2つ目のターニングポイントが私にとって刺激的で、深掘りしたいなと思っていたのですが、結果的に1つ目の方が共通点のある話ですね。誰のためのサービスなのか、どういうプロダクトにするのかといったことを本気で魂込めて考えざるを得ないときというのは、やはり目の前がやばいときなんですよね。私自身もUPSIDERの2年目にサービスリリース直前でキャッシュショートしそうになったので、自分の過去に照らし合わせて共感しながら聞いていました。
三者三様のExit戦略
宮城まだまだ伺いしたいことはたくさんあるのですが、時間も鑑みて「登壇者が考えるExit戦略とは?」「Exitに向かう中でぶつかっている課題とは?」について聞いていきます。
今後皆さん次の資金調達や、IPOに向けたExit を考えていらっしゃると思いますが、その中でぶつかっている壁を可能な範囲で伺いたいと思っています。
小橋私はIPOをするためというよりは、事業インパクトを最大化するための手段としてIPOを捉えています。質問意図とずれるかもしれませんが、インパクトを最大化すると、事業規模や社員数の拡大で、複雑さが増していきます。そことどう向き合っていくかが課題となります。
ですが、当然海外に行くといろいろな問題が出てきます。例えば、ビザ関係、現地法人の設立、連結決算などなど、これまでも多種多様な変化への対応を迫られてきました。
複雑さを管理することには当然負荷がかかるので、どこにマインドシェアを使うかについて戦略的に考えないと、管理に認知負荷を持っていかれてしまう。どう配分するかには正解がないと思いますが、悩みながらやってきているところです。
戦略的に考える重要性も感じつつ、統制や法規制への準拠など、それをきちんとさばける体制構築も必要です。私は社内でよく言っているのですが、「Unknown unkown」。つまり、知らないことを知っていれば後から勉強したり専門家を雇ったりすれば何とかなりますが、知らないことを知らないことは最も不確実性が高く、地雷があると知らずに踏んでしまうことがあり得る。これが一番怖いと思っていますが、急拡大するスタートアップには、いろいろな場面で出てくる課題だろうなと思っています。
IPOにおいても、J-SOXがこうだとか財務記録、過去の労務がどうだとか、知らないことが無限に出てくるのですが、そんなものだと認識することの重要性に気づけたことは、良い学びだったと思いますね。
宮城社会を変えるためというすごく青臭い動機で事業を始めているからこそ、事業規模や成長性にプライオリティを置く会社は多いですよね。その結果、1年で大幅に環境が変わって一気に複雑性が増すので、それを管理して会社が壊れないようにしていくことはどの会社も気をつけると思います。
小橋さんの技術者というバックグラウンドから、バックオフィスといったUnknownなものまで積極的に学ばれていこうとされたのはなぜなのですか。
小橋共同創業したキャディ代表の加藤は、割と攻めの部分に強いので、役割分担的に創業期から人事・労務・総務・法務などは私が担う部分が大きかったのですが、私はアメリカ生活が長かったので、日本語をまともに読めず、流暢に話せなかったこともあり、必死で勉強するしかなかったのです。
その中で助けを求めるというか、できないから誰かに聞くしかない状況に、すごく早い段階で追い込まれたことはよかったかなと思っています。創業期に自分が知らないことを強制的に認めさせられ、向き合う機会があってよかったなと振り返ってみて思います。
宮城なるほど。1回、自分自身で大変さを経験しているからこそ、今も経営レベルでの課題があがったときに、自分ごととして理解しに行こうとすることができるのですね。
小橋そうですね。皆さんも経営のレイヤーで数字を見ていくとき、「この数字は正しいんだろうか」「この営業の読みって本当なのかな?」と思うことがあると思います。しかし、そこで私はあえて「エクセルのSUM、IFが本当に正しいのか?」という確認から始めます。
これは、過去に管理の面でも多くの教訓を得てきたからです。例えば、現場目線だと、会社が色々なツールを入れて管理しようとすること、しかもそれが使いづらいツールだとシンプルに「なんでこんなツール入れるんだよ」と思ってしまうものですが、今まさに弊社も大きくなってきたタイミングで管理する立場に立ってみて「なるほど、ちゃんと管理したくなるんだな」と実感しております(笑)。そういうところもアンラーニングしてよかったなと思います。
宮城最後の話は共感しかないですね。会社のステージが上がってくると、どうしても管理ツールを入れざるを得ないじゃないですか。でも管理システムは管理側のためにできているので、実際に使う現場の人たちの体験は考えられていないことが多い。それを誰かが変えなきゃいけないという思いで始めたのが、冒頭に紹介した弊社の新サービス「UPSIDER Coworker」なのです。
まだ完璧なプロダクトではないですし、今頑張ってお客様の声を聞きながら改善しているのですが、今の話はものすごく共感しました。
小橋ソフトウェア系の会社の皆さん、特にエンプラ向けだと決裁者と使う人が違うということにかなり苦労されると思うのですが、皆さんここにはどう向き合っているのですか。心の折り合いはつくものなのですか。
本田コロナ以降世の中の認識が少し変わったと思っていて、「現場の皆さんにとって良いから導入する意味があるんだ」という話が通じやすくなったと思います。リモートワークの浸透に伴いたくさんのクラウドサービスを現場にも利用してもらわなければならない一方で、管理側も嫌われたくないという思いがありますしね。管理側からの要望を断れる現場側のポジショニングも大事ですね。
吉田うちは採用管理システムを提供していますが、決裁者が役職者だったとしても、現場の担当者に使いたいと思っていただけない限り導入されることはあまりありません。そういう意味では、決裁者が現場を考えずに導入を決めるということはないです。ただ、セールスはエンプラ向けチームとそれ以外のチームとで社内は完全に分けていますね。やはり意思決定の仕方が違うので。
井無田エンタープライズは本当に複雑で、プロダクトマネジメントも含めてすごく難しいですね。僕たちもマーケ・セールス段階の決裁者や現場の方のペルソナづくり、どうアプローチするのかの分析、CS段階での分析など、バリューチェーンそれぞれの段階で分析をしています。
複雑な多次元方程式になってしまいがちなところに優先順位をつけるのは難しいなと常に思いますが、エンタープライズにはそれがつきものなのでしょうがないなと割り切って決めていっています。
経営者の葛藤、陥りがちなジレンマ
宮城これまでの話を踏まえて、今後上場に向けた成長を考えていく上で。セールス、その前段のマーケティングなど、グロースに関して壁を感じている方はいらっしゃいますか。
井無田先ほど話した通り、PMFしていなかったときに、なかなか営業活動にアクセルを踏めなかったというところは1つの壁でした。また、エンタープライズ向けセールスのやり方がわからず、誰が知っているのかも見当がつかなかったために売上が伸びなかった時期も、自分にとって壁でした。
外資系でエンタープライズSaaSのセールス経験がある人材に入社してもらい、外資系と同じようなインセンティブ設計を行い、外資系セールス経験者の採用を進めたおかげで、成長カーブが立ってきたところがあります。
宮城ちなみに外資系と日系のセールスはどういうところが違うのですか。インセンティブ設計も、具体的にどのような内容だったか気になります。
井無田SaaSでエンプラセールスに成功している日系企業がおらず、前例のないなか、試行錯誤で開拓が必要なことが日系のセールスならではで、外資系セールスとの「違い」だと考えます。外資系は、Salesforceやオラクル、マイクロソフト、SAPなどの企業は、セールスのプレイブックが時代を経ており、その中にはアメリカから持ってきて日本で長年熟成されてきたものもあり、相当クオリティが高いです。
当時インセンティブ設計には、ベースとインセンティブに分ける、いわゆるOTE(On-Target Earnings*)モデルを取り入れました。これはスタートアップだとやりづらいところもあります。
個人主義者がいきなり集まってくると、社内はギスギスしますし、そもそもSaaSはセールスが売ったものをCSが引き継いで導入コンサルをするわけで、セールスの売上を上げるためだけにクライアントの期待値に沿わない売り方をしてしまうと、一気に組織の緊張感が高まって組織崩壊の火種になりかねないですからね。ですので、私たちは、採用段階での見極めによって、個人主義者の採用を避けてバランスをとるようにしました。
宮城インセンティブ設計は、ややもすると個人プレーを許容してしまう仕組みになり得る。それが組織文化に悪影響を及ぼさないように、採用の際にチームワークが取れそうな人を入れるようにしているということですよね。
もう一つお伺いしたいのが、その仕組みをつくれる人がどこにいるのかということです。外資系のエンタープライズセールス経験のある方は今増えているとはいえ、あくまで仕組みの中で働いている人であって、仕組み自体を作ったことがあるわけではないと思っていて。そのあたりはどうされたのですか。
井無田仕組みづくりや制度設計ができる人はおっしゃる通り少ないです。しかもエンタープライズセールスとなると、どんどん母数が小さくなっていきます。どう探したかというと、外資系SaaSの日本法人の立ち上げ経験者、カントリーマネージャー経験者、あるいはカントリーマネージャーの直下でやってきた人ですね。
1セールスではなく、自分で作っていくのが好きな人がそういうポジションに集まるので、そういう人はチームアップ、ブランディングを含めて仕組みづくりを考えられると思います。
宮城ありがとうございます。次に本田さん、よろしいですか。
本田私たちは今40~50人ですが、1年前は20人くらいでした。採用活動には市況感も大事ですので、その年によって採用人数は変動するもの。その中で、1年前を振り返ると「計画の数字に対してこれだけ足りていないから頑張ろう」と言えばやれていたのですが、この規模を迎えると、それだけではなかなかみんなが頑張れない気がしていまして。
昔から長く在籍してくれているメンバーはツーカーでコンテクストが通じているのですが、新しく入ってきてくれたメンバーにも同じように動いてもらうのは難しいですよね。
そもそもなぜ私たちがこの事業をしているのか、私たちが介在することでお客様にとってどのような価値があるのか、何事にもそういった部分を起点にして話さないといけない。
だからこそ、ミドルマネージャーのレイヤーがそれを自分の言葉で語れないといけない。でもこれはすぐにできることではないので、もっと早い段階からやっておけばよかったなと思います。
宮城なるほど。私自身も昨年同じような経験をしました。今もその状況を切り抜けられているのかわかりませんが……。30~40人まではレイヤーが2層で組織運営できますが、50人を超えるくらいで3層になっていくので、そこで初めてミドルマネージャーというレイヤーができ、経営と現場のコミュニケーションラインの間に入って意思疎通を図るようになります。でもそこに至ってから、ミドルマネジメントに対して「現場にこういうコミュニケーションをしてもらいたい、これを伝えていこう」と話しても少し遅いという話なのでしょうか。
本田そうですね。でも僕の中では、突然その世界に入った感覚だったのです。だから今は同じメッセージ、同じ視点をいかに持てるようにするかという壁にぶち当たっていますね。
宮城ちなみに本田さんは、どういう瞬間にその課題に気づいたのですか。
本田私たちは基本的にフル出社で、毎週一度はエンジニア含めて集まる機会があります。その中で、あるとき、自分が話していることが全然届いていないであろう“表情”をしている人がいることに気づきました。つまり「伝わっていないだろうな」と明確に感じた瞬間があったということです。
人数が少ないうちは勢いで乗り越えることができたかもしれませんが、人数が増えるにつれ「何のためにやっているのか」ということがきちんと腑に落ちていなかったり、大事なこととして押さえられていなかったりするメンバーが増えてしまう可能性はあるのかなと最近思います。
宮城なるほど……。井無田さんにも、そういうご経験はありますか。
井無田組織の課題にはまさに今直面している感じがあります。僕はビジネス側の50人ほどを統括しています。人数が増えれば当然僕との距離は物理的に遠くなりますし、僕と一緒に仕事する時間、向き合う時間はやはり少なくなります。各部門のマネジメントへの権限委譲と、各部門を一つに束ねるメッセージで、皆を束ねていく必要があると感じています。
そのときに、社員のモチベーションも含めて、もう1回作り直さないとまずいなと感じました。バリューももっとわかりやすくしたいし、メッセージングも同様です。よく先輩経営者から「同じことを繰り返し伝えろ」「シンプルなメッセージにしろ」と言われてきたその意味がようやくわかり始めたところです。
あとはこれまで評価制度やKPIもない会社で、それでもグロースできてきたのでよかったのですが、1年後や2年後を見据えて、全面的にモデルチェンジしたいと思い始めています。
宮城ちょうど100人のところで組織が複雑化してきて、見直し始めている感じですね。吉田さんはいかがですか。
吉田ぶつかっている課題は小橋さんと少し近くて、管理のところですね。IPOを実現するための管理コストはスタートアップにはものすごく高くて、しかもそれが年々高くなっていると思います。世の中で事件や不祥事が起こると、それが再発しないように上場基準もどんどん追加されていきますし、その基準が下がることはほとんどないですよね。
そのとき悩むのが、どうしても事業のグロースをある程度フリーズさせなければならないタイミングがあるかもしれないということです。今は組織をいじらないほうがいいとか、予実管理のために新規事業を控えめにしたりとか、M&Aしづらいとか。より大きな成長のために必要なことなので絶対やるのですが、もっと実現したい世界観に早く向かいたい、というジレンマもあったりします。課題というか、葛藤ですかね。
宮城今のお話は僕自身これから経験していくステージになると思います。そこで伺いたいのが、吉田さんの立場だと葛藤に直面しても、その背景や意義が理解できるから受け入れられると思いますが、従業員の方は必ずしも同じ景色を見られているわけではないですよね。むしろ管理がヘビーになって、必ずしもウェルカムではない状況ができる。そのあたりのコミュニケーションで工夫されていることはありますか。
吉田月1回の全社会で、「追加で負荷がかかってしまうとき」や「方針が変更になるとき」などには意識して丁寧に説明しています。
例えば、決裁の承認が厳しくなるときに、なぜそれが必要なのかという話を最近しました。IPOするということは、会社の株式が金融商品の1つになることなので、投資家に対して財務諸表が正しくつくられていることなどをしっかり証明するためにも決裁まわりの整備は必要なことなのですと、懇切丁寧に説明して理解してもらえるようにしています。何も説明しないまま、管理が強まる方向に進んでいくと、自分も嫌だと感じるので、自分がされて嫌なことはしないということですね。
宮城なるほど。僕の知っている限りこの数年でも上場基準が変わってきた肌感覚を持っています。しかも企業は、市場がより良い状態で上場したいから、例えばN-2で準備していたとしても、今市場に出るべきではないと思ったら、もう1回N-2に戻したりしますよね。でも、そうしている間に基準が徐々に厳格になってしまう。さらにそれを必ずしも監査法人や証券会社の方々が全部教えてくださるわけでもないという難しさもありますよね。皆さんはその辺りにどんなアンテナを張っていますか。
吉田ことIPOに関して、事業会社側は圧倒的に情報格差があると思います。なので、私は同じようなフェーズの経営者仲間や、先にIPOした経営者と情報交換を密にしています。
宮城先にIPOしている経営者から「今この基準が厳しくなっているから、こうやって乗り越えなければ」と聞いたときに、実際に業務に反映するのは吉田さんではなくてコーポレート部門の方々だと思います。でも会場にいらっしゃる皆さんの会社も含めて、コーポレート部門って日々の業務を回すだけでもいっぱいいっぱいですよね。成長企業であればあるほどそうだと思います。
だから新しいインプットをしても、うまく反映する余裕がなかったり、自分が知っている範囲で業務を設計したりするケースが出てくる。日々の業務に追われているからそうなってしまうと思うのです。経営者としてコーポレート部門の方々と接する上で気をつけていることはありますか。
吉田できているかと言ったらできていないことも多いのですが、適切にリソースを配分することは意識しています。それをしないとパンクしてしまうので、社内のエース人材をそこに充てるとか、今期はそういうドラスティックなことにもチャレンジしています。会社全体でどこにリソースを割くべきなのか。開発なのか、マーケなのか、セールスなのか、はたまたコーポレートなのか。それを見ながらリソース配分を考えることが大事かなと思っています。
宮城なるほど。私自身、これから立ち向かうという壁だと思います。まだまだ聞きたいことがあるのですが、このあとの懇親の時間で深めたいと思います。皆様本日はどうもありがとうございました。
こちらの記事は2023年12月04日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
落合 真彩
写真
藤田 慎一郎
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