連載私がやめた3カ条

営業するな、開発するな。顧客の声を聞け──DIGGLE 山本清貴の「やめ3」

インタビュイー
山本 清貴

早稲田大学ファイナンス研究科修了。11年間にわたり米系ERPベンダーPeopleSoft、Oracle、Inforにて、会計・CRM・SCMなど業務系アプリケーションのセールスおよびアライアンスに従事。その後、デジタルマーケティングスタートアップにてセールスを率いた時に予実管理に苦しむ。その経験からDIGGLEを創業。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」略して「やめ3」。

今回のゲストは、企業の予算・実績(予実)管理を行う経営管理プラットフォーム『DIGGLE』を展開する、DIGGLE株式会社の代表取締役、山本清貴氏だ。

  • TEXT BY YUICHI YAMAGISHI
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山本氏とは?
ワクワクするかどうかに忠実で、自分に嘘をつけない起業家

ワクワクする面白いほうを常に選択してきた山本氏の、経験してきた企業数はこれまで8社。約15年間、規模の大きなIT企業で経験を積んだのち、40歳でベンチャーに飛び込み、43歳で起業した。

「より厳しく、より時代の最先端の環境を求めて」これまで歩んできた山本氏。そのワクワクの向かう先は「仕組みを作り、世の中を動かすほう」へと変化していった。

「組織の距離を縮め、企業の未来の質を上げる。」をビジョンに掲げるSaaS型の経営管理プラットフォーム『DIGGLE』は、経営管理フローの最適化と経営情報の一元化により、業績の着地予測精度を向上させ、質の高い意思決定を支援するプロダクトだ。JR九州、ライザップといった、大企業からベンチャー企業まで広く導入され、着々と支持を広げている。しかしその道のりは、決して順風満帆ではなかった。

起業のきっかけは、予実管理のための数字をExcelに集計しデータを集めているときに感じたことだった。あちこちに散らばった数字を集める作業に1週間もかかり、無駄が多すぎる、非効率の極みだと感じた。一度離れたITの力を使って、起業することを決意した。

それまで長く多様なキャリアを歩んできた山本氏が、やめてきたことは一体何だったのだろうか。

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個人プレーをやめた

転機の始まりは、長きに渡りこだわり続けた外資系IT企業をやめたことだった。これが1つ目の「やめ3」だ。

不惑と言われる40歳を目前に、「惑いまくった」という。11年間、合計3社の外資系IT企業に勤めた後のことだ。

得られる学びが大きく、報酬が高い点も魅力だった。だからこそ長く「外資系IT」に居られたのだ。一方で、山本氏の勤めてきた外資系企業ではチームプレーは求められず、個人の力が全てだった。

チームで売上を上げて、仕組みを作り、事業の売上を伸ばして初めて、会社や社会にインパクトを与えられます。すでに仕組みができ上がった環境下でマネジメントを目指すことにワクワクしなくなっていました。

年間10億円のプロジェクトを数社受注しても、世の中に対して何かインパクトを与えられているわけではありません。少なくとも私はそう感じていました。

ただ武器を渡されて、狩りをすることの繰り返し。40歳を迎えるタイミングで、このまま狩人みたいな人生を送るのか、と考えてしまったんですね。

自分に嘘をつけない山本氏。キャリアの軸を大きく転換することになった。延べ11年間務め、これまでのキャリアでこだわってきた「外資」と「IT」を捨てて「法人営業」を残し、新天地を求めて、ITとは少し違う動画スタートアップへ転職した。

なぜ「動画」を選んだのか──。今からまさに伸びようとする業界なら、仕組みを作ることで社会にインパクトを与えられると考えたからだ。その頃はちょうど「動画」が勢いづき始めた頃。2010年代初頭から通信規格4Gが開始され、モバイルでの動画視聴が当たり前になってきた。

年収は3分の1になったが、信じる道へ突き進む決意をした。一度捨てたIT業界で起業を思い立ったのは、さらに転職し、次の動画系スタートアップに在籍中のことだった。

ITは当社のような小さなスタートアップのプロダクトでも、大企業の全社に採用してもらえる可能性がある。そのダイナミズムがITの面白さです。お客様が困っていたら、翌日にはもう直すみたいなスピード感。外資では、本国に確認しているだけで何日もかかりました。

外資系ITをやめたことで得た一番の収穫は、共同創業者の取締役CTO水上駿と出会えたことです。彼のようなエンジニアは、本国が開発の中心の外資系IT企業にはいませんでしたから。この出会いが、起業を決意するきっかけになりました。

すべてはつながっている。一度やめたことがあとから効いてくることもある。外資をやめスタートアップへ転職したことで、仕組化・スピード感の面白さに気付かされ、起業の選択肢が生まれた。

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自分たちでサービスを考えるのをやめた

2つ目のやめたことは、起業してから最大のピンチが訪れたときのことだ。社員を10名ほど抱える中、もうあと何カ月かで資金ショートするかの瀬戸際だった。

顧客からの反応も悪くない。契約社数は20社ほどで、売上もぼちぼち。しかし……。

「サービスを抜本的に変革しないと取り返しがつかなくなる」と出資者から指摘され、私としてもマーケットを捉えた感覚、手応えがありませんでした。

大手企業にも契約してもらえてはいましたが、継続してDIGGLEを使ってもらえていなかったんですね。

いわば、山本氏の営業力で顧客を獲得していたわけだ。それが行き過ぎ、プロダクトの改善や進化が、的確に進んでいなかった。

そこで大晦日から2020年の年明けにかけて、山本氏は共同創業者で現CTOの水上駿氏と合宿を開いた。このまま同じことを続けてもいつか潰れてしまう。抜本的に変えよう。営業はやめる、と決意した。

営業は山本氏一人だけだったため、会社の営業を全停止させることになる。水上氏もコードを書くのを止め、「お客様の声を徹底的に聞いてプロダクトに反映する」と決めた。

「あと3カ月で熱狂的なファンのお客様を作ろう」と目標を立てました。サービス開始から1年半、価値を感じてくれている顧客企業が1社もなかったからです。

どの機能が一番刺さるのか、顧客は何に困っているのか、毎晩ミーティングを重ねた。ひと月で最大24回、新機能をリリースした。すると、同年3月に2社、熱狂的なファンを作ることができたのだ。文字通り春が訪れたのだ。

そのきっかけとなった大きな改善点は「お客様の声」から生まれたという。

「誰が見ても必ず正しい数字があって、いつでも見られる状態」。これが一番嬉しいとおっしゃったんです。大きな転換点でした。

よく考えれば当たり前のことなのに、私たちは「経営を進化させる」サービスの提供ばかりを目指していました。

もちろんそれも必要ですが、お客様がまず欲しいのは、事業側から経営側まで、みんなが正しい数字を共有し合い、正しい意思決定の素(もと)があることだったんですね。もっと根源的な欲求でした。

顧客の課題解決にズバリ合致するサービスを提供できるようになったことで、営業サイクルが短くなった。熱狂的なファンの声を、自分たちの言葉で話せるようになったからだ。

以前は感じられなかった「マーケットを捉えた」感覚が、営業を再開した同年5月ぐらいから得られるようになった。

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メンバーとのサシ飲みをやめた

最後の「やめ3」は、メンバーとの適切な距離感を保つべく、個別の付き合いをやめたことだ。 組織の規模が拡大している証拠ともいえよう。

コロナ禍を機にエンジニアはフルリモート体制へ移行。

それまでは、開発・営業・カスタマーサクセスのメンバーがひとつの部屋で仕事をしていて、お互いの性格がお互いに分かっている、ほどよい距離感。メンバーと一緒に、よく気軽にランチなどへ繰り出していた。宅配ピザを取ってオフィスでワインを飲むこともあった。ところが……。

リモート出社を始めた頃からメンバーが10名以上に増え始めて。初期メンバーと、リモートワーク以降に入社した社員との間にコミュニケーション量の差が生まれてしまった。これを解消しようと思ったのが、メンバーと個別の付き合いをやめたきっかけでした。

個別のコミュニケーションを増やすことで差を埋める、という選択肢もあっただろう。だが山本氏が選んだのは、敢えて逆の道だった。その背景には、社の文化がある。

みんなで集まってコミュニケーションを取る機会はほかにもありますし、もともと公平性やフェアネスを大事にしたいのが、DIGGLEの文化ですから。

メンバーに対しての不平等感をなくすため、フェアにするために、1年半前から個別にメンバーに声をかけて食事に誘うなどの付き合いをやめた。

決して、メンバーの悩みの解決を放棄したのではない。組織の拡大を見据えて、マネジャーがメンバーの意見を吸い上げ、経営陣とシェアできるような、自走型の組織作りをしているのだ。そのために、個別のコミュニケーションの代わりに、新入社員との懇親会や営業チームの達成会などは積極的に導入している。そうした場に山本氏も参加しているという。

ワクワクすることや「仕組みを作り、世の中にインパクトを与える」面白さを目指して、こだわりを捨てたことで、新しい出会いから起業に至った山本氏。

起業後は、その志の高さゆえに視座の高いサービスを作ることに邁進してしまい、本来の顧客課題を捉えられていなかった。そこに気付いてから、転機が訪れ始めた。ワクワクするだけでは、事業を前に進められなかったのだ。

「年齢は関係ない」と若い時期には誰もが思うだろう。だが、40歳を過ぎるとなかなかチャレンジができなくなる人は多い。どうしても、保守的になってしまう。だからこそ山本氏には、何歳になってもチャレンジができるという、ロールモデルになってほしい。何歳になってもワクワクできることを証明し続けてほしい。DIGGLEの快進撃はまだ始まったばかりだ。

こちらの記事は2022年09月07日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

山岸 裕一

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