“6カ年マーケ戦略”で、ファネル設計もアクションも連続改善へ──アジャイルな事業開発の実現手法を、三菱地所リアルの新規事業チームに聞く
巨大マーケットを相手に、新規事業で戦いを挑む。
このフレーズだけ聞けば夢のあるチャレンジだが、当然ながらそれは困難を伴う挑戦になる。大きな市場に参入するからには、期待される売上や収益の規模も大きくなり、そのゴールへ至るまでの各種のKPIも高い数値を追い続けなければいけない。
しかも参入するのが古い商習慣や体質が残る業界であれば、市場のユーザー層にもイノベーターやアーリーアダプターは少なく、キャズムを超えて新しいサービスを広げていくのはより難易度が高くなる。
そんな戦いに今まさに挑んでいるチームがある。三菱地所リアルエステートサービスが立ち上げた不動産仲介のマッチングプラットフォーム「TAQSIE(タクシエ)」の企画・運営を担う新事業推進部のメンバーだ。
2022年5月にローンチしたこのサービスは、物件情報を持たない個人が不動産取引に参入しにくいという日本の不動産業界に特有の問題を解決する手段として注目を集めている。
不動産業界で長い歴史と十分すぎるほどの実績を持つ大企業が、なぜあえて困難なチャレンジに挑み、この新たな事業領域に本気で勝負を仕掛けようとしているのか。そして中古住宅の流通市場という大きなマーケットの開拓に向けて、どのようなマーケティング戦略を立てているのか。新事業推進部の落合晃氏と馬塲晃氏に、勝ち筋の描き方を聞いた。
- TEXT BY YUKA TSUKADA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
米国で目の当たりにした不動産取引の透明性。
デジタル活用で業界に「新しい風」を吹き込みたい
「TAQSIE」のビジネスモデルはどこが新しいのか。それは不動産取引において、「住宅の売却希望者」と「仲介担当者(エージェント)」を直接マッチングできることだ。住宅を売却した経験がない人にはピンとこないかもしれないが、日本で個人が家を売りたいと考えた場合、仲介する不動産会社は選べても、どの担当者に売却を任せるかは選べない。つまりTAQSIEは「個人と個人」をつなぐという点において、従来の不動産業界に風穴を開ける画期的な新事業と言える。
落合氏がTAQSIEの着想を得たのは、経営企画部で新規事業の立ち上げを模索していた2019年。きっかけは米国の不動産会社やテック企業を現地視察したことだった。そこで落合氏は、不動産取引を取り巻く日米の商慣習の違いを目の当たりにする。
落合米国では物件の取引情報が一般公開されており、不動産の購入や売却を検討する消費者も十分な情報を得た上で納得のいく取引ができます。一方、日本では不動産の取引情報が事業者にしか開示されない。事業者と消費者の間に情報の非対称性が存在するため、「物件を売却したいがどうすればいいかわからない」「仲介業者に相談すると、うまく言いくるめられて不利な条件で契約させられるのではないか」といった不安や抵抗感を抱く消費者が少なくありません。
最近は日本でも、賃貸住宅については物件情報の開示をはじめとした、手続きフローのデジタル化が進んでいます。ならば不動産売買の領域にもデジタルを活用したサービスを投入することで、業界に新しい風を送り込めるのではないか。それが構想のスタート地点になりました。
三菱地所リアルエステートサービスの事業領域は商業用不動産の売買取引であり、当初は落合氏も米国のビジネスモデルを日本のBtoBビジネスに持ち込めないかと考えた。だが商業用不動産の領域は業界の中でも物件情報の扱いについてクローズドな文化が根強く、まだ時期尚早との結論に至る。
一方、前述の賃貸住宅の例でもわかるように、居住用不動産の領域では情報公開やデジタル化が比較的進んでいた。そこで新規事業の領域をBtoCビジネスへピボットし、具体的なサービス内容の検討を開始。不動産関係者へのヒアリングやPoC(概念実証)を経て、まずは売買取引のうち特に信頼できる仲介担当者のニーズの高い売却に特化したサービスの立ち上げを決めた。
こうして企画されたTAQSIEの事業は、三菱地所リアルエステートサービスや親会社である三菱地所の承認を得て、2021年12月に事業化が正式決定する。長い歴史と伝統を持つ三菱地所グループにおいて、不動産業界の商慣習を打ち破るビジネスモデルであり、しかも自社の事業領域から外れた事業がすんなり承認されたのは意外な気もするが、「会社の経営方針とうまくタイミングが合った」と落合氏は振り返る。
落合三菱地所リアルエステートサービスでは「Real Vison2030」において、成長戦略の柱として新規事業の推進を掲げており、TAQSIEもその一翼を担う事業に位置付けられたと理解しています。社内でも新規事業を公募する提案制度が創設されたりと、新しいチャレンジを後押しする組織風土作りが進んでいるところです。
とはいえ本業とは異なるリテール事業を積極的に推進するのは、会社としてもTAQSIEが初のケース。現時点ではあくまで本業から離れた“飛び地”の事業という立ち位置です。
翌22年4月には経営企画部から独立した部署として新事業推進部が設立され、「TAQSIE事業室」と銘打った4人体制のチームで事業が本格的にスタートした。
落合室長と私は専任で、この取材にも同席している馬塲はデジタル戦略部と兼務しています。にしてもDXのスペシャリストである馬塲でなければ対応できないことも多く、彼も業務時間の8割はTAQSIEにコミットしている状況。この3人に執行役員1名を加えた計4人がTAQSIE事業室のメンバーです。
現在は週1の定例会議に加え、週2日は半日かけた打ち合わせをフェイス・トゥ・フェイスで行い、メンバー4人が密にコミュニケーションしながら事業を回しています。また社長を含めた経営陣にも、定期的に進捗に関する報告を上げています。
売り手と仲介者の両者がターゲット。
“ベストマッチングできる”魅力を適切に伝える
不動産流通という巨大市場を相手に、業界の古い商習慣を覆すサービスを浸透させるには、マーケティング戦略が重大なカギを握る。そこで落合氏らのチームはTAQSIEについて「6カ年マーケティング戦略」を策定。6年先まで見通しながら事業の成長可能性を最大化する道筋を描いた。
経営企画部時代から複数の新規事業創出に携わってきた落合氏は、マーケティングを「何らかの課題を抱える人に対し、解決策となるサービスの魅力を適切に伝えること」と定義する。この定義に当てはめると、TAQSIEの場合は「家を売りたい人」と「売却を仲介するエージェント」の双方がターゲットになる。
落合居住用物件を売却する場合、現在は不動産の一括査定サイトを利用するのが主流ですが、そこには家を売りたい人と売却を仲介する業者の双方にとって課題が存在します。
一括査定サイトの利用経験がある方たちにヒアリングすると、「複数の業者が電話で一斉に営業をかけてきて対応が大変だった」「仲介する不動産会社は選べるが担当者は選べないので、相性の良くない相手に当たってしまった」といった声が聞かれました。
また中古車や引越しの見積もりとは違い、不動産の場合は「査定価格=売却価格」にはならない。よって「高値を提示した業者に売却を依頼したが、なかなか売れない」という不満につながります。
この課題を仲介業者の立場から見ると、一括査定サイトで顧客を獲得するには価格で勝負するしかないため、高値を提示せざるを得ない現状がある。しかし結局物件が売れなければ、家を売りたい人も仲介業者も双方がアンハッピーになるだけです。
こうした課題を抱える人たちにとって、TAQSIEはまさに“刺さるサービス”だ。家を売りたい人がサイトに登録すると、売却実績をもとにマッチ度の高い仲介担当者を複数名紹介され、相手のプロフィールや実績、過去の買い手情報などを確認した上でエージェントを指名できる。一方、エージェントは自分の実績や強みをアピールして指名客を獲得できるので、価格競争に走らなくて済む。
双方にとってベストマッチングが可能になり、両者が抱えていた課題感を払拭できる。それをTAQSIEの魅力として伝えていくことが、マーケティング戦略の起点であり土台となっている。
市場動向と社会変化の波が追い風に。
「信用力」にレバレッジをかけて先行者利益を取りに行く
マーケティング戦略の策定では、市場の動きをいかに追い風にできるかも問われる。もちろん落合氏も、この先に起こるであろう中古住宅の市場変化を見越して6カ年マーケティング戦略を描いている。
落合日本の消費者は“新築信仰”が根強いと言われますが、中古住宅の流通量は年々伸びています。空き家問題が深刻化する中、国が中古住宅の活用を推進していることもあり、今後も取引は増えていくと予測しています。
現在は売り手市場なので、高めの査定価格をつけても買い手がつくケースは多いですが、この需給バランスが崩れたら価格勝負では限界がくると考えています。取り壊さない限り中古住宅の数は減りませんが、高齢化によって住む人の数は減っていくので、今後ますます空き家の数は増え、供給が需要を上回る時がくると想定しています。
すでに郊外では空き家の増加によってバランスが変わりつつあり、査定価格を下げても買い手がなかなかつかない物件も増えている。そうなると仲介業者も価格以外で勝負するしかなくなります。その時、先ほど話したようにエージェントが自分の実績や営業スキルで勝負できるTAQSIEのニーズはさらに高まると見込んでいます。
加えて国がデジタル社会の実現を推進しており、国土交通省が「不動産ID」のルール整備に着手するなど、デジタル化の波が押し寄せていることも追い風になると考えました。この流れを先取りし、他社に先駆けてデジタルプラットフォームを立ち上げ、先行者利益を取りに行く。それが我々の戦略です。
また巨大市場での戦いを有利に運ぶため、三菱地所グループが持つリソースを最大限に活用することも戦略の柱とした。TAQSIEの事業化前から競合となる不動産マッチングサービスはいくつか存在したが、いずれも運営会社はスタートアップが中心。登録するエージェントも個人で活動するフリーランスが多かった。
これに対し、TAQSIEの登録エージェントは大手不動産会社の社員が中心で、高い実績を持つ精鋭が揃う。三菱地所リアルエステートサービスの取引先には知名度の高い大手企業が多いため、「この経営資源を活かせば、競合がアプローチできない層に刺さるサービスになる」と落合氏は読んだ。
落合TAQSIEではエージェント個人を指名できますが、その人が所属する会社名で信用度を判断する層は一定数存在します。弊社のリソースを駆使してネームバリューのある会社様の優秀なエージェントを揃えれば、「信用力の高さ」を強みに競合とは違う戦い方ができると考えました。
そこで事業立ち上げの初期段階から、弊社の役員に営業に同行してもらい、大手を中心に取引先の企業を回ってTAQSIEへの参加に賛同を頂きました。早い段階で大手所属のエージェントを確保できたため、その後の営業では「あの会社が参加しているなら、自分たちも加わりたい」と申し出を頂くことも増え、すでに現時点で当初計画の約3倍に当たる数のエージェントが集まっています。
2023年1月末時点で、参加企業は22社、エージェントは約350人にまで増加した。中古住宅市場の動向変化、政府主導による社会変革の波、不動産業界においてプラットフォーマーとして展開していけるだけの豊富なリソースを持つ自社のポジショニング。TAQSIEのマーケティング戦略は、様々な要素を追い風として勝ち筋を描いていることがよくわかるだろう。
想定外の状況が発生するのは大前提。
泥臭い業務から逃げず、当初の計画をアジャイルに修正する
だが新規事業が全て計画通りに進むことはありえない。目の前に思わぬ壁が幾度となく立ちはだかるのが一般的だ。
落合氏の言葉にもあったように、エージェント側への訴求は想定以上にうまくいった。だが「ユーザー側のマーケティングには課題が多い」と落合氏は率直に認める。
主なKPIとして「サイトのPV数」「会員登録数」「マッチング数」「媒介数(登録者がエージェントに物件売却を依頼した件数)」「成約数」の5段階を設定し、ファネルで数値を追っているが、PV数はそれなりに取れているものの、会員登録数は直近で計画の3分の1程度にとどまっているのが現状だ。
落合初期の頃は認知獲得を最優先とし、バナー広告を打ったのでPVは増えたのですが、CVR(コンバージョン率=会員登録率)にはまったくつながらなかった。そこでCV(コンバージョン=成約)数を増やすため、広告の出稿先をターゲット層にマッチする媒体に絞り、今はCVRを取りに行く戦略に切り替えました。
事業化を提案する段階で、これだけ規模の大きな会社が、中古住宅の流通市場という巨大マーケットに参入するからには、一定の売上や成長を見込んだ事業計画を引いて、大きなインパクトを目指す必要があります。経営陣とも協議の上で固めていきましたが、やはり想定が外れる部分も少なくないので、一部では数字がビハインドになっています。
とはいえ我々には、三菱地所グループの新規事業の中でも最大規模のマーケットを獲得できる事業だという確信があります。だから事業としての枠組みは変えず、まずは課題を抱えるターゲット層にTAQSIEの価値を知ってもらうことに集中する。ただし当初の想定とは状況がどんどん変わって行くので、常に計画をアジャイルで修正しながらPDCAを回しています。
するとここで、隣で話を聞いていた馬塲氏が口を開いた。実際にサービスを運営する中で、企画段階では想定していなかった課題がユーザー側にあることに気づいたという。
馬塲エージェントを何人かマッチングされると、ユーザーはチャットやWeb面談でコミュニケーションしながら具体的な売却プランを提案してもらい、最終的にその人に売却を依頼するかどうかを決めます。ところがマッチ度の高い担当者をマッチングしたにも関わらず、相談や提案のフェーズで離脱する人がいる。チャットのやりとりなども分析して原因を突き詰めると、ユーザーに経験値が少ないことが根本的な課題ではないかという考えに至りました。
大半の人にとって、家を売るのは一生に一度か二度。経験値がないから、相性の良いエージェントと出会えても、何をどう質問し、自分に合う売却プランを提案してもらえばいいかわからない。つまりエージェントをマネジメントできないのです。
だから今後、媒介数や成約数を上げていくには、ユーザーの情報理解をサポートする仕組みが必要になる。まずはユーザーがエージェントとのコミュニケーションで抱える不安や疑問を我々がヒアリングし、それをどう言語化して相手に伝えればいいかを型化して、将来的にはチャットボットなどで対応するシステムを作ることを検討中です。
システムが完成するまで人的オペレーションでユーザーを支援するとなると、4人しかいないチームの負荷はかなり大きくなる。それでも馬塲氏は、「これをやらない限り、TAQSIEを成長させる上で最大の壁は乗り越えられないと思う」と言い切る。
試行錯誤しつつも、「このビジネスで巨大なマーケットを取りに行く」というゴールは決して揺らがない。二人の言葉からは、そんな覚悟が伝わってきた。
その先のビジネスチャンス拡大を見据え、
「多数の人がTAQSIEに集まる」世界を
落合氏いわく「今はまだゴールに向けた一歩目でもがいている状況」とのことだが、TAQSIEに対するユーザーやエージェントからの評価は着実に高まっている。
成約者をインタビューすると「自分で不動産業者を探した時は担当者と相性が合わなかったが、こちらでマッチングしてもらった担当者とはチャットで話も弾み、スムーズに売却できた」「自分と近い年齢の担当者を選べたので相談しやすかった」といった感想が多く聞かれるという。一方でエージェントからも「会社ではなく自分個人を指名してもらえるので、モチベーションが上がる」「実績をきちんと評価してもらえるのが嬉しい」といった声が寄せられている。
また参加企業からは「テック企業が運営するマッチングサービスの利用を検討したこともあるが、不動産が本業ではないので話が噛み合わない。TAQSIEは運営者が業界のことも相場観も理解しているので、ビジネスパートナーとして信頼できる」と言われることも多い。三菱地所リアルエステートサービスが不動産業界で培ってきた実績や信用といったリソースも存分に活かされている形だ。
落合TAQSIEに実績あるエージェントが集まって切磋琢磨してもらうことで、我々が提供するサービスのクオリティも上がって行く。同時にエージェントの実績やスキルを不動産取引の経験値が少ない人にもわかりやすく見える化すれば、初めて不動産を売却する人も安心して担当者を選べるようになる。そうなればTAQSIE上での取引が活性化し、引いてはこの事業が巨大市場を席巻する規模へ拡大して行くことにつながると思っています。
プラットフォームビジネスとして確立され、多数の人を呼び込む場になれば、将来的には保険など住宅以外の領域にもビジネスチャンスを拡大できると想定している。だが「それを考えるのは次の段階。まずは事業のコアである住宅売却のマッチングサービスの価値を世の中に認めてもらわなければ」と落合氏も馬塲氏も口を揃える。
狙うマーケットが大きいからこそ、先の道のりはまだ長い。よって中長期で未来を見据えたマーケティング戦略を描き、計画通りにいかなければ足元の状況を検証・改善し、目の前に現れる障壁を一つひとつ打ち破って行くしかない。
大企業であろうとスタートアップであろうと、新規事業をひとっ飛びに成長させるマジックなどなく、王道ともいうべきPDCAを高速で回し続けるしかない──。TAQSIEチームのこの1年の歩みからは、「0→1」「1→10」におけるリアルが感じ取れるのではないだろうか。
こちらの記事は2023年04月10日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
塚田 有香
写真
藤田 慎一郎
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