「Apple・IBMの変革とは難易度が違う」
ダイエー再建、日本MS会長を歴任したプロ経営者が独白する、パナソニック変革の今
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「日本はモノづくり立国」といった文言が今や、自虐的な意味でしか使われなくなっている。新興国の勢いと欧米列強の大胆変革を前に、ただ立ち尽くしている感の強い日系大手メーカーたち。かつて栄華を誇った家電や自動車産業では、業績低迷に加え不祥事までが続いている。
そんな中、パナソニックを退社した後、数々の外資系企業で手腕を振るい、直近では日本マイクロソフトの米国本社VPと日本法人会長まで務めた樋口泰行氏が、20年以上の時を経て古巣にカムバックした。
国際的にキャリアを登り詰めた人物が、なぜ今パナソニックに帰ってきたのか?復帰から1年を経て、今後どのように変革を進めるのか?直球すぎる質問の数々に本音で答えてくれた。
- TEXT BY NAOKI MORIKAWA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
人を入れ替えず、ファブレスにもしない変革は、並大抵の努力で実現しない
およそ1年半前の2017年春、樋口泰行氏のパナソニック入りは、大きなニュースになった。おおかたの報道の見出しは「あの日本マイクロソフトの樋口氏が」であり、「かつてダイエーの経営再建を託された樋口氏が今度は」という報じ方もあった。
当然、ニュースを受け取る側もこうした表現に引きずられる。前者の見出しだけ見れば「世界に冠たる日本マイクロソフトで本社バイスプレジデントと日本法人会長にまでなった人が、なぜ“今の”パナソニックに?」と思っただろう。
また、後者の報道を見た者は「ターンアラウンドが得意なプロ経営者さんなの?」と受け止めたかもしれない。いずれにせよ、当時の世の中の反応は「パナソニック、大丈夫?」という色合い。
冷静に樋口氏の経歴を見れば、そのキャリアのスタート地点がパナソニックにあると気づくわけだが、中にはその事実を「とうとうOBに頼るしかなくなったのか」という論調に利用する記事まであった。
ほんの1年半前とはいえ「家電はディスラプトされつつある産業だから叩いてもいい」という世間のムードは否めなかった。
その後、パナソニックの大変革が形を示し始めると、メディア側の表現は一変した。とりわけ、BtoCの家電事業からBtoBのソリューション事業への転換を主導するパナソニック社内カンパニー、CNS(コネクティッドソリューションズ)社が早期に成果を上げ始めた。
パナソニックの専務と同時にCNS社の社長にも就任していた樋口氏のことを「さすが」と褒め讃え、「25年ぶりに復帰し、さっそく成果を上げて古巣を甦らせようとしている名・経営者」として扱うようになった。
メディアや世論が表層的な事象に反応して、物事の評価を上下するのは世の常だが、今回この樋口氏にインタビューする機会をもらった以上、まずはニュートラルな本音が聞きたかった。
パナソニックを退社してからの25年、ダイエー時代を除けばすべて外資系企業に在籍し、いわゆる電機産業からは遠ざかっていた樋口氏。彼はCNS社長就任当時、日本企業や電機産業をどう見ていたのだろうか?
樋口「良くない状況にあるな」と率直に思っていました。中国をはじめ新興国の勢いがモノ作り産業を中心に急激に増していましたし、欧米の先進企業もまた自らの姿形や戦略をダイナミックにトランスフォーメーションしていた。
それなのに、日本の歴史ある大企業は危機意識も薄く、アジリティ(機敏性)も低く、リアクションは常に遅かった。オリンピックの東京開催が決まったとはいえ、少子高齢社会はすでに始まっていますから、2020年を超えれば内需は当然下がります。
その現実を踏まえ、グローバル化を急ぐ日本企業は少なくありませんが、とにかく動きが遅いし、ダイナミズムに欠ける。売上はともかく、利益のほうの内需依存から脱却できていない企業も多い中、このままでは非常にまずい状況がやってくると、今でも思っています。
そう語った上で、樋口氏は言い切った。「パナソニックもその例外ではない」と。
樋口パナソニックが現体制になってから出せている数字は悪くありません。ただし、こう捉えてもいます。「今は良いかもしれないけれど、これから先、また確実に大変になる」と。変革はまだ始まったばかりであって、少しでも危機意識を緩めたら、日本の電機メーカーはどんどん無くなっていく。
デジタルとインターネットにディスラプトされた後、どうサスティナブルにサバイブできるドメインを選択するか。それを考え続け、走り続けなければ生き抜けません。
反面、外資に長くいたからこそ思い知った「日本や日本人の良さ」というのもあります。例えば、日本人は「勤勉に働き真面目で性格も良い」と世界中で信頼されていますし、日本の居心地の良さも国際的に評価されています。
ジャパンパッシングで日本を飛び越え、中国へ出張するようになった欧米人なども、休暇では日本を訪れてくれていたりする。でも、そんな現象を呑気に喜んでいてはいけませんよね?
“おもてなし”をアピールするのは良いですが、この国の付加価値がそれだけになり、世界の保養所みたいになってしまったら、嬉しいはずもありません。
終始穏やかに笑顔を交えて話す樋口氏だが、言葉は辛口だ。自己評価もまた厳しい。2018年度の第2四半期終了時点で、パナソニックはグループ連結4兆82億円(年間累計予想で8兆3千億円)の売上高。前年度からの増収基調の維持に成功している。
CNS社も増収増益を果たしたのだが、「いまだにハードウェアに頼っている状態。ソリューションを軸にしたビジネスが確立するにはさらなる努力が不可欠」という。さらに樋口氏は、「企業のトランスフォーメーション」というものの厳しさを繰り返し強調する。
樋口あのIBMでさえ、40万人いた従業員を一度20万人にまで減らし、その上で外から変革のための人員を補充しながら、組織とビジネスモデルを変えようと戦っています。トランスフォーメーションがどれほど厳しいものかわかるはずです。
一方、ファブレスに切り替えたIBMやアップルとは異なり、ハードウェアの製造部門まで保有するパナソニックが、そこまでドラスティックな手法を執らず、組織構成員をほとんど変えない中で、トランスフォーメーションしようとしている。そうなれば、なおのこと難易度の高い挑戦になる。自覚と危機意識を強く持ち続けなければいけないんです。
しかし、ここまで言い終えてから、にこりと笑って樋口氏はこう言った。「まあ、そういうわけですから、私も古巣に戻ることについては、いろいろと迷ったんですよ」と。
ピンと張り詰めそうになっていた空気が一気に緩む。もしかしたら、これが樋口流のバランス感覚かもしれない。ともあれ、その葛藤ぶりについて聞いてみた。
「ザ・日本企業」と「ザ・外資系」を経験したプロ経営者。なぜパナソニックに復帰したのか?
樋口パナソニックを出た後、私は複数の外資系企業に長くいました。いずれの会社も、外から見れば「グローバルに成功しているし、なおかつ成長もし続けている企業」ばかりなのでしょうけど、だからこそ内部では熱い議論と厳しい競争が常に繰り広げられていました。
特に前職の日本マイクロソフトは「良い意味で」ですが、飛び抜けて熱く厳しい部類に入ります。そこに10年いましたから、ヘトヘトでした(笑)。「そろそろ歳も歳だし、ゆっくりやろうかな」と思っていた矢先(笑)、パナソニックから声がかかった。冗談でも何でもなく、本気で迷いました。
復帰前の迷いを隠すことなく、優しい雰囲気で素直に打ち明けてくれる樋口氏だが、歴史をもう少し振り返れば、あのダイエーの再建時代がある。単純比較などできないし、するべきではないかもしれないが、あの頃のダイエーに社長として飛び込んでいったことを思えば、古巣パナソニック復帰の重圧はさほどのことではなかったのではないかと思えてくる。
樋口あの頃の私はまだ40代。しかも、それまでずっと外資系でのキャリアが続いていました。頑張れば結果は出るけれども、その過程で競合の日本企業をやっつけてしまうような感覚もあり、「こんなんしていて、ほんまにいいのかな。日本企業とか日本のために頑張るべきではないんかな」という気持ちが強まっていたタイミングでもあったんです。
そんな時に産業再生機構の方が来て、「不良債権の象徴のようになってしまったダイエーを、今なんとかしないと日本経済は……」なんてことを言われてしまった。もちろん大いに迷いましたが、『「愚直」論』(ダイヤモンド社刊)なんてタイトルの本を出したばかりの私は、やっぱり愚直に引き受けることにしたんです。
名だたる外資系企業に身を投じてきたからこそ手に入った価値を、日本のために活かしていくことができるはず、との思いで挑んだダイエー再建は、産業再生機構のイグジットにより、2007年にひとまず幕引きとなる。次に樋口氏が選択したのが日本マイクロソフトだった。
「やっぱり外資のほうが水に合っていたのかな」と思われそうな選択だが、ここにも事情があったという。
樋口当時、ありがたいことに60社くらいからお声をかけていただきましたが、半分は外資系でした。私としては「次もやっぱり日本の会社で働きたい。自分の頑張りがストレートに日本を良くすることにつながる場でやっていきたい」とはっきり思っていたので、残る半分の日本企業のどこかに入れていただこうという気持ちでした。
ところが日本企業も2パターンしかなくて、1つはダイエー同様、財務的に問題を抱えてファンドが入り、そのファンドから「ターンアラウンドをやってくれ」とお願いされるパターン。そしてもう1つはオーナー企業のオーナーが「僕はもう第一線を退くから、あとは君に任せるよ」というパターン。
ダイエーで骨身を削ったばかりですから、再生案件を再び引き受ける気持ちにはなれませんでしたし、オーナー企業についても90%以上の確率で会長になったオーナーが経営に戻ってくるものだと私は考えていましたので(笑)、「こうなると日本企業でのびのびやることは難しいのかな」となったわけです。
「ザ・外資系」ともいえる企業でも経営を担い、「ザ・日本企業」の前代未聞の経営再建にも携わった。そのいずれでも成果を上げ、手腕を高く評価されたからこそ、国内外双方の企業60社からプロ経営者として声がかかる。
こんな人物、樋口氏以外に思い浮かぶであろうか? だが、当の本人にしてみれば、あらゆる状況の企業を体感してきたからこそ、いざオファーを引き受けるか否かという段階で、大いなる迷いに突き当たる。
樋口氏はそこまで口にはしなかったが、今回のパナソニック復帰のオファーにしても、単純に「古巣だし、懐かしいし、力になりたいから喜んで」というわけにはいかなかったのだろう。
「日本企業だってIBMのようにドラスティックな改革のメスを入れ、血を流してでも変わらなければいけないんだ」と外から正論めいたことを言うのは簡単だ。しかし樋口氏は、終身雇用の時代から歴史を積んできた日本企業を変革することが、どれほどの痛みを伴うのかをダイエー時代に経験し、知っている。
他方、人も組織も劇的なスピードで変化することにより、ダイナミックに改革をし続ける欧米流儀のやり方の利も、身をもって経験している。だからこそ迷うのだ。「過度に大胆な人員入れ替えはしない。それでも集団の意識と価値観を転換し、大急ぎでトランスフォーメーションを成し遂げる」というパナソニックの方向性には賛同するが、「それは本当に難易度の高い挑戦なんだ」という客観的認識もある。
樋口氏は本人も認めたように「愚直」の人。いったん引き受けたからには、ゴールにコミットするのが自分なのだとわかっている。それゆえの迷いだったはずだ。
ともあれ、「迷いに迷った」という樋口氏は承諾した。オファーをもらってから半年が経過していたときだった。
樋口最初にお話をいただいた時から言われていたんです。「いろいろあるでしょうから、じっくり考えていただいて結構です」と。それでは、とお言葉に甘えて悩んでいたら半年が過ぎまして(笑)、さすがに「どうでしょう?」と聞き直された時に、やっと腹が決まったんです。
ここまで待ってくれたということは、誰でもいいというわけではないのだろうと(笑)。だったら、これが最後のキャリアだと思って挑戦しよう。そう一度腹を決めてしまえば、そりゃあやっぱりここが私の原点ですから、出来る限りのことをしてお役立ちをしたいと考えるようになりました。
「Make Panasonic Great Again」に向けて突き進もうと決意したんです。
社長室の廃止、本社の東京移転。100年の歴史ある企業でも「変われる」実感
パナソニックの専務と、社内カンパニーであるCNS社の社長に就任した樋口氏は、その標語の実現に向けて、すぐに大きな決断をした。大阪にあったCNS社本社の東京移転である。
樋口CNS社の担うBtoB事業がパナソニック全体の変革の1つの目玉であることを考えれば、その本社が大阪にあり続ける理由なんて1つもありません。しかも、ハードウェアに依存するのではなく、ゆくゆくはソリューション提供を柱にしていく戦略なわけですから「お客様が集中している東京のど真ん中におらんで、どないするんや」ということです。
私個人の気持ちだけで言ったら、「パナソニックに復帰したらやっと大阪に戻れる。ようやく家族孝行できる」と思っていたんです。でも、パナソニックの変革を本気で目指すのなら、そんなこと私が言うわけにもいきませんからね(笑)。「リーダーが本気を示さんで、どないする」ということです。
厳格に指針を示し、スピーディに実行に移す一方で、こうして言葉の端々に人間味がこぼれ出る。やはりこれが樋口流なのだ。取材にはCNS社の幹部も同席していたので、本社移転が決まった当時のことを聞いてみると、期待通りの答えが返ってきた。
「誰もが『このままではいけない、変わらなければ』と思っていたので、全社まとめて東京へ引っ越しだと言われた時には驚きましたが、皆、納得をしてこの浜離宮のビルにやってきました」。
移転先の東京オフィスで樋口氏は、社長室も役員室も廃止。毎日社員たちが座るテーブルの一つに席を設け、「調子はどう?」と役職を問わず、様々な年齢の社員に日常的に声をかけたのだという。
100年の歴史を持つパナソニックでは、アポなしで社長と気軽にカジュアルに会話するような機会はこれまでにあまり無く、経験したことのない社長との距離感に当初は皆が戸惑ったというが、今ではもうそれが当たり前。「今日も樋口さんが後ろに座ってました(笑)」とのことだ。
樋口みんな「この会社は変わった」と言っていますし、私も確かに変わってきていると思います。例えば仕事のスピード。稟議や無駄な手続きを減らし、東京移転したことでお客様との物理的な距離も近くなったおかげで、体感的には1.5倍とか2倍くらいになっている感覚です。
まだまだこんなもんで満足していてはいけないと思うし、全社レベルに変化を波及させなければいけませんが、手応えは感じています。最初の3ヵ月は、大きくて重たい岩を必死で私自身が押して動かしているような気分でしたが、今はその岩が勝手に、自律的に前に向かって動いている気がします。
もともと優秀な人間が多いのだなあ、ということをつくづく感じさせられるのは、逐一指示を細かく出さなくても、経営的に見て正しい動きになっている点です。ほとんど指示しなくても「そうそう、これこれ」という動きをメンバーが当たり前にするようになっている。でもまあ、あまり褒めると安心してしまうので、滅多に口には出しませんけども(笑)。
働く人のマインドを変え、“偉大すぎる創業者”トラップにハマらない社員を増やす
半年前のNewsPicksのインタビューで、樋口氏はこう語っていた。「パナソニックが抱える課題の1つに、“偉大すぎる創業者”がある」と。松下幸之助 創業者の経営理念を否定する意味合いではなく、「今」という時流に相応しい現代語訳をしながら体現すべきだが、それが徹底できているかどうかが問題だ、という持論である。
今も変革を進めるパナソニックのリーダーたちは、口々に創業者の言葉を出し、それがベンチャースピリッツを支えているのだと語っているが、はたして樋口氏は現状をどう捉えているのだろうか。
樋口戻って来た私が今言うセリフではないのかもしれませんが、離れていた時間が長かったからこそ、「パナソニックほど皆に好かれている会社ってあるのかなあ」と、ずっと思っていました。
おそらくそういうところにも、創業者の精神が現れているのだろうと思います。「A Better Life, A Better World.」を掲げ、お客様を重んじ、働く人を重んじた経営理念が、この会社の根底に染みこみ、流れ続けているのだと。
ただその一方で、働く皆のマインドを高め、カルチャーも変えるべきところは変え、仕事のやり方や考え方についても先進グローバル企業の標準に合わせていけなければ、パナソニックはこれからサバイブできない。そういうマインド、カルチャー自体もトランスフォーメーションしなければいけない、という気持ちも強く持っています。
これだけを聞くと、松下幸之助のイズムと、現代のグローバルスタンダードとが相容れない関係で対峙しているかのように感じてしまいそうだが、樋口氏の解釈は違う。
樋口昔この会社にいたころの私も、松下幸之助の遺した言葉に共感を覚えながら仕事をしていましたが、かといってそのフィロソフィーばかりで動いていたわけではありませんでした。上司の言うことを簡単には聞かず、自分で考えて物事を進めたがる、生意気な若手だったと思いますよ(笑)。
ところが今回戻ってくることが決まって、松下幸之助の本やビデオを改めて見返してみると、「組織は共鳴が大事」、「部下には命令するな」など、当時よりも深く共感できるものがたくさん見つかったんです。自分なりに実体験をもって、経営の修羅場をくぐってきからからこそ、本当の意味で理解できる教えもあるんだな、と思い知らされました。
偉大な創業者を持っているということは、かけがえのない財産なのだと、今こそ強く感じています。ただ、私が懸念しているのは、例えば経営理念の本質ではなく、フレーズだけ暗記し、文字面だけを頭に入れているような社員が多ければ、トラップに陥ってしまうぞ、ということ。昔正しかった手法や働き方をそのままこの会社のフィロソフィーだと信じて、思考停止の状態で盲目的に繰り返しなぞっているような大企業は少なくありませんよね。
私としては、松下幸之助が遺してくれた言葉を暗唱するようなことよりも、幸之助は自分の脚で稼ぎ、自分の目と耳でインプットをして、自分の頭で考えた人なんだということを思い起こし、「今ここにいたら、松下幸之助ならどう行動するだろうか?」、という視点で経営理念を体現する。そういう社員が増えてくれることを望んでいるんです。
“歴史あるグローバル企業パナソニック”という生態系の中では正しいことでも、真のグローバル競争の中では必ずしも通用しない局面だってあります。その時、「あなたはしっかりと自分の頭で考えて行動できますか?」ということを社員には問いたいのです。
“偉大な創業者”を“偉大すぎる裸の王様”にしてしまわないためにも、トラップを乗り越え、変化を自分の頭で捉え、正しいと信じた行動を起こせる人材を増やすこと。それこそが樋口氏の目指すトランスフォーメーションなのだろう。
樋口氏自身が体験したように、自らが一定レベルまで成長した時、初めて共感できるような言葉を創業者が遺していたのだとしたら、こんなにも幸せな環境はないはずなのだ。
だが、1つ気になった発言があった。若き日の樋口氏が「自分のことを賢いと思っていて、生意気に見えたはず」というくだりだ。組織構成員を変えずにトランスフォーメーションを達成しようとしているパナソニックは、他方でこれまでとは異なる文化・価値観を持つ人材を積極的に採用する姿勢を見せている。
謹厳実直で優秀なエリートが大多数を占める組織がパナソニックだと世間は思い込んでいたが、「そんなことはない。ベンチャースピリッツを伝承している会社なのだ」という発信も最近では目立つようになってきた。
かつての自称“自分はデキる賢い青年”は、今後の採用や組織作りについて、どんな考え方を持っているのだろうか?
海外で活躍しながらも、日本代表チームで司令塔になれる人を仲間にしたい
樋口正直、かつての私は「自分は仕事ができるんだ」と信じて疑わない若者でした。現に誰よりも働いて、勉強もしていたので、その分自己主張もしていました。パナソニックの伝統からすると、結構異質な存在(笑)。相当エキセントリックな感じだったはずなんです。
さすがに口には出しませんでしたが「俺はこんなに仕事が出来るんだから、もっと給料もらわなければおかしいやろ」と心の中では思っていました。
しかし、今の私に言わせれば「なんでもかんでも自分の思い通りになる環境にいることだけが幸せではない」というところはあります(笑)。状況や期間にもよりますが、時には思い通りにならない場で、もがき抗うような時期があってもいい。
実際、そういう経験が後々自分の助けになるような場面に、たくさん出会いましたから、「人生やキャリアの良し悪しは、あくまで結果論。後で振り返ってみなければ、何が良かったのかなんてわからない」と思ってもいるんです。
ただし、今でもこう思います。高い地位や収入が人の活力を生み出すのは事実だ、と。それは不健全なインセンティブでも何でもない、と。
今の中国のパワーだってそこから来ているし、戦後の日本のパワーの源の一部も、そこにあったでしょう。時代は変わりましたが、今だって元気なベンチャー企業がIPOを目指す理由の1つには、「経営陣が資産を得たい」というのがあるわけです。
ただし、問題はその先ですよね。今の例えを使えば、上場を達成した途端「あれ? 僕らは何のために働いて、頑張っているんだっけ」となる企業もある。お金や地位をモチベーションにして奮闘するのはいいのですが、それだけだと長続きはしない。個人も組織も壁にぶつかる。
じゃあ、何がサスティナブルなモチベーションにつながるのかというと、先ほどの松下幸之助の話につながります。やっぱり、フィロソフィーや価値観の共有が大事なんじゃないかと、私は思うわけです。
今、書店に行っても経営者が書いた書籍のほとんどが哲学書のような内容ですよね? そこからもわかるように、経営者が皆の共感を呼ぶようなフィロソフィーを投げかけないと、組織を構成するメンバーたちはオニギリみたいにくっつかないんですよ。
「お金稼ごう!地位を得よう!」だけでは、どれだけ歴史を振り返っても、長く続く大きな集団、強い組織には絶対ならない。組織繁栄に“芯”みたいなものがあるとすれば、それが「経営理念」です。ある程度組織が大きくなった時点からは、それこそを大事にしないといけないと思います。
経営理念を「米粒をくっつけて大きなオニギリにする、組織繁栄の芯」だと表現する樋口氏だが、それならば「古き悪しき日本の大企業」がそうしてきたように、没個性な個人を集めて組織を形成したほうが、オニギリは大きくなるのではないだろうか。
樋口協調性は大切です。ピンでしか成果を出せない人は、組織をまとめたり、活性化させたりするのには向いていません。やっぱりバランスは重要です。それでも、単に自己主張が強いだけのやんちゃではなく、協調性もある程度備えながら、戦略もパッションも持ち合わせていて、周りの人間を巻き込んで、自分がオニギリの芯になるような人が少ないけれどもいるはずなんです。
サッカーの日本代表を見ればわかると思います。海外チームに移籍してから個人としての突破力を大きく飛躍させた選手の中にも、(日本の)代表チームでも司令塔やリーダーとしてうまく組織をまとめられる選手もいますよね。
グローバルで大きな変革を成し遂げようとしている今のパナソニックには、そのような“グローバルで勝てる個人スキル”と“日本独自の組織スキル”の両方を持ち合わせている人が、どうしても必要です。
実力もパッションも持ち合わせている若手人材が大企業の懐に入り込めば、小さな組織では決して体験できないような、世界中の何万人を巻き込むスケールの大きなタスクやマネジメントを日々体験できます。
関わる人間が多い分だけ、進行を阻むものも多いわけですが、そうした環境に身を置きながら目標に向かって物事や人を動かしていく経験は、間違いなく個人としても大きな成長につながります。
大きなオニギリの芯を担って初めて手に入る成長という魅力。それに気づいてくれる人が1人でも多くいてくれたら嬉しいと思っています。
これまでの日本の大企業は、パナソニックに限らず、あまりにも内向きな仕事が多くて、内向きなポリティカルにエネルギーを消費させられるので、優秀なエリートでも忖度に多くの時間を費やしてきました。
売上や利益や顧客満足度を上げるという純粋な仕事には見向きもせずに、社内のロジックで動くせいで、外部への価値提供とは親和性が低い集団ができてしまっていた。
個性を殺して思考停止になった集団が、急に「自分で戦略を考えましょう」と決めても、結局はコンサルに頼るだけになるし、「マーケティング戦略を作りましょう」となっても、広告代理店を呼べばいい、となってしまう。
挙句の果てには、「新しいことをしよう」となったら、とりあえずベンチャーとなにかすればいいか、という声も最近では耳にします。こんなことでトランスフォーメーションできるわけもありません。
CNSの社員には、「自分たちの脚で稼いで、見聞きをして、自分たちの頭で考えよう」と言い始めてから1年くらい経ちますが、だいぶ成長もしてきて、意識も上がってきていると思っています。
それでもなお、この集団に刺激を与え、共存しながら変化のドライバーとなってくれる異分子を、我々はどんどん外部から仲間にしていきたいと思っています。
「変革のためのダイバーシティ」と樋口氏は言う。それが、今のパナソニックが採用や組織構築の上で心がけていることだというわけだ。樋口氏はパナソニックを「ただ大きいだけの没個性集団」とは考えていないだろうが、「自分で考え、自分で動け」という働きかけを続けたおかげで、社員が持っていた“眠れるベンチャースピリッツ”を叩き起こしたといえるだろう。それでもなお、良い意味での刺激的な「異分子」の参入を心待ちにしている。
樋口異分子から学んで、良いところをインクルージョンし、一体化していく。それができる組織体じゃないと駄目ですよね。異なる者をはじいてしまう組織、あるいは、こちらの考え方の中に呑み込んで古くからあるカルチャーに染まらないと誰もが生きていけないような組織体だと、変革を起こすことなんてできません。
やはり受け皿自体もダイナミックでオープンでインクルーシブな組織体となってこそ、初めてそこに変化が起きる。「A Better Life, A Better World.」を実現するためには、そうじゃなければいけないと思っています。
このような考え方があるからこそ、かつての樋口氏のように、「先輩の言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考えたい若者」には、もっとパナソニックに興味をもってほしいし、気軽にオフィスに訪ねてきてほしいという。
とりわけ、「BtoB事業を担うCNS社は先端技術を扱う一方で、その実態が見えにくい」という世間からの意見を受け、2019年の年明け早々から浜離宮オフィスの17階に「カスタマーエクスペリエンスセンター」を開設した。企業向けに提供しているパナソニックの先端技術やサービスの事例を、実機をみながら、体験型で知ることのできるスペースだ。
エリート街道まっしぐらな経歴とは裏腹に、終始にこやかな表情と、ジョーク交じりの優しい関西弁で語りかける樋口氏主導のもと、「オープンでインクルーシブな組織体」に生まれ変わりつつあるパナソニック。
「メディアはそう言うのだろうけれど、自分の目で見なければ信用できない」というのなら、まずは自分で脚を運び、「パナソニックは今何をしているのか?」を、自らの身体で感じてみてはどうだろう。
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こちらの記事は2019年01月24日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
森川 直樹
写真
藤田 慎一郎
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