連載私がやめた3カ条

事業家たるもの、“不安定”であれ──ラクスル高城雄大の「やめ3」

インタビュイー
高城 雄大

横浜国立大学卒業後、NTTコミュニケーションズ、プライスウォーターハウスクーパース(PwC)にてアジア各国における買収先企業や現地企業とのITインフラ構築、システム開発、サプライチェーン、S&OP改善プロジェクト等に携わる。2015年ラクスル入社。経営企画やSCM、プロダクト開発、複数の新規事業開発を経て、現職。

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起業家や事業家に「やめたこと」を聞き、その裏にあるビジネス哲学を探る連載企画「私がやめた三カ条」。略して「やめ3」。

今回のゲストは、ネット印刷・集客支援のプラットフォームの『ラクスル』や物流のプラットフォーム『ハコベル』などを展開するラクスル株式会社の執行役員、高城雄大氏だ。

  • TEXT BY TEPPEI EITO
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高城氏とは?
先鋭的だが謙虚な姿勢を持つChief Growth Officer

ラクスル株式会社のChief Growth Officerとして、企業の成長を担う“事業家”である高城氏。

同氏がいちビジネスマンではなく事業家になろうと決意したのは、新卒で入社したNTTコミュニケーションズにいるときだったという。

インドへの赴任を命じられ、現地法人で事業開発に従事することになった彼は、まったく価値観の違う人たちと出会い、圧倒的に優秀な経営者たちに触発され、「自分も彼らと対等に話せるようになりたい」と考えるようになった。

かくして日本に戻ってきた彼は、企業経営や組織マネジメントを学ぶため、コンサルティングファームへの転職を決意。PwCコンサルティングに入社した。

しかし、いざコンサルタントとして働いてみると、場合によってはインサイトを与えるだけしかできないあくまで外部の人間としての仕事にもどかしさを覚えたという。実際に、自分が中に入って企業成長に貢献しなければ意味がない。そう感じた彼は、PwCを1年弱で辞め、ラクスル株式会社に入社。

意気揚々と働き出した彼だったが、そう簡単には彼が思う"事業家"にはなれなかった。

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自己否定して世間に合わせることをやめた

高城氏は、幼少期からマジョリティとは異なる人生を歩んできた。

例えば中学・高校時代、彼は家業の漁師や漁業組合の仕事を手伝うことに時間を費やしていた。家庭環境の問題も背景にはあったが、それよりも彼は純粋に仕事の楽しさに魅了されていたという。

そんな同氏に対して、周囲からは「変わり者」「それではいけない」という意見を投げつけられ、自分が世間の感覚とはズレているということに不安を感じることも多かったという。大学生になっても、社会人になっても、どこか周りとのズレを感じ続けていた高城氏は、生きづらさを抱えていた。

しかし新卒入社した1社目でのインド赴任で、彼の考え方は大きく変化した。

高城インドでの経験によって、「人と変わっていることは、むしろ良いことなんだ」──いつしか、そんな風に思うようになったんです。例えば、「工場ITインフラを10棟同時に構築するプロジェクト」では、多様なバックグラウンドの人たちが集まっているわけですから、ときに声を荒げて意見を主張したり、衝突し合ったりする毎日でした。

でもその多様性のおかげで、従来になかった新しいプロセス・開発手法が生み出され、想定を超える短納期で完了を迎えた。そうした瞬間に立ち会えたことは、事業家として組織をリードする役割になった今でも、大きな影響を与えていると思います。

民族、母語、宗教など、違うことだらけの人々が集まり、多種多様な意見をためらいなく主張し合う環境で、極めて高いパフォーマンスが生み出されることに衝撃を受けた同氏。

世間とのズレに苦しみ、自己否定しながら生きていた彼だったが、これを機に吹っ切れたのだという。

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短期的な評価を求めることをやめた

ラクスルが事業展開する領域に可能性を感じ、その成長に寄与したいと考え入社した高城氏だったが、最初の数年間はまったく価値貢献できず、もがき続けたという。

四半期毎に課される目標は常にクリアしていた。しかし、どうも会社の成長や産業の変化にはつながっていないという気がしていた。周りから褒めてもらうことが、逆にストレスになるほどだったという。

入社してから3年が経った頃、これまでの自分の仕事を振り返ってみて、その原因に気がついた。時間的な制約を設けてしまっていたのだ。

高城NTTとかPwCで働いているうちに、四半期の評価サイクルを意識してプロジェクトを進めるくせがついてしまっていたんです。でも事業成長を考えるときに、四半期で区切ることには何の意味もない。非上場のスタートアップならなおさらです。無意識に時間的な制約を作ってしまい、その中で価値を出す方法を考えてしまっていたことに、3年経ってやっと気づきました。

「重要なもの」ではなく、目の前に見える「緊急のもの」だけに手を付けていたら、企業成長や産業変革には寄与できるはずもありませんよね。

短期的な成果で評価されることよりも、長期的な成長のために尽力すべき。この考え方で仕事に取り組むようになってから、彼は会社への貢献を実感できるようになったのだという。

彼が“事業家”になったのは、もしかしたらこのときだったのではないだろうか。

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「自分のスタイル」を持つことをやめた

ラクスルに入社してからの7年間、高城氏はさまざまな仕事を任されてきた。新規サービス開発に始まり、経営企画、新規事業立ち上げ、サービスの統括…。

そんな彼が考え至った仕事の真理とは、「絶対解はない」ということだ。

経験が増えてくると、どうしても自分のスタイルというものが生まれてきてしまう。「こういうプロジェクトはこのように進めるべきだ」とか、「マネジメントの正解はこうだ」とか。

しかし、事業環境や事業の前提条件が変わっていく中では、変わらないことは致命的な欠点となる。企業の成長のためには、中の人の成長、つまり変化が必要不可欠だからだ。

高城気づくことができたのは、部下のおかげです。ラクスルには僕よりはるかに能力・ポテンシャルが高い社員がたくさんいるんですが、そういう人たちと働く中で、「高城さんの進め方より、こっちのほうが良くないですか?」みたいなことをよく言われるんです。ハッとさせられますね、本当に。

僕はただNTTとかPwC、ラクスルでの成功経験をもとに、自分のスタイルを押し付けていたのではないかと気が付きました。

インドでの経験を通して、型にとらわれない人間でいようと決意したはずが、いつしか無意識に型を作り、その上それを部下やチームに強制しようとしてしまっていた。

「自分のスタイル」を持つことは簡単だ。過去の経験から学んだことを絶対解として確立させてしまえばいい。しかし、それでは会社に変化を起こし続けられないし、部下から信頼し続けてもらうことはできない。

事業家たるもの、スタイルを持たずに不安定でいるべし。それが彼の考える理想の事業家像なのだ。

無自覚の自由奔放タイプではなく、自身のスタイルを確立した志操堅固タイプでもない。意識的に不安定さを保とうとするその姿勢こそ、事業家としての彼の白眉なのだろう。

こちらの記事は2022年04月15日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

栄藤 徹平

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