ユーザーは全国民。
“GovTech”の可能性に、元メドレー役員とインキュベイトファンド村田氏が開眼した理由
結婚、出産、引っ越し──大型のライフイベントは、案外立て続けにやってくる。必要な書類を取り寄せて、氏名や住所を手書きで埋める。紙きれ1枚のために故郷へ連絡したり、役所をはしごすることも珍しくない。
現代においても、「行政」との付き合い方は昔からほとんど変わらないようだ。
こうした誰もが経験する行政の手間を、テクノロジーで解決するのが『GovTech(ガブテック)』領域だ。国内事例はまだ多くないが、海外では北米をはじめ様々な地域でプレイヤーが登場してきている。
元株式会社メドレー執行役員の石井大地氏と、インキュベイトファンド株式会社の村田祐介氏が共同創業した株式会社グラファーは、国内のGovTech領域へ挑む。行政──と聞くだけで事業難度の高そうなこの領域に、なぜあえて彼らは挑むのか。両者がこの課題に挑戦する背景や可能性を紐解いていく。
- TEXT BY RYOKO WANIBUCHI
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY KAZUYUKI KOYAMA
行政と民間の間に立つ。GovTechに取り組む意義
グラファーは、GovTech企業として新しい行政インフラを構築し、民主主義の拡張を目指す企業だ。「行政」と「民間利用者」の間に立つ「市民運動体」として事業を提供している。
自治体ごとに管轄やルールが異なる行政手続きを一元化することで、誰にとっても使いやすいサービスを目指しているのだ。
その一歩として今は、オンラインで法人登記簿謄本を取り寄せられる『Graffer法人登記簿謄本取寄せ』、行政手続き書類をオンラインで作成できる『Grafferフォーム』、行政手続きのタスク整理ツール『Graffer手続きガイド』、行政手続きの情報をまとめたウェブメディア『くらしのてつづき』の4サービスを展開している。
たとえば、『Grafferフォーム』は行政手続き書類をオンライン上でフォームを埋めるだけで作成でき、郵送代行まで行なってくれる。これまで役所へ行って書式をもらい、書類を埋め、順番を待った上で提出するといった手間を、全て自宅から行えるのだ。
2019年1月21日には500 Startups Japan、インキュベイトファンド、個人投資家を引受先とする1.8億円の資金調達も実施。2月5日からは新規サービスとして『Graffer法人証明書請求』の提供も予定している。
石井行政の手続きというと、難易度が高い、腰が重いと感じられるかもしれませんが、実は「明らかになっていない」だけで、ステップを踏めば乗り越えられることもとても多いのです。
たとえば、行政書士などの有資格者でなければ書類の作成を本人に代わってしてはいけないなどの決まりはあるが、書類の取り寄せや郵送作業などの業務は民間企業が代行しても問題ないという。それらの代行業務であれば法律上問題ないことすら一般市民は知らないことが多い。こういった論点を地道に紐解いていくことで、利便性の高いサービスを提供しようとしているのだ。
そのためには法的な解釈を行政側とすりあわせることも時には求められる。同社では「グレーゾーン解消制度」を活用するなど、向き合うべき対象としっかりと向き合い、一つひとつ丁寧に課題を解き続けているという。この積み重ねが、行政を動かすことに繋がると石井氏は考える。
石井行政を動かすには、動くべきモチベーションと必要な予算をはっきりさせることが必要です。まずは民間人に愛されるサービスを作り、「みんなが使っている」という状況やコスト削減などの成功事例がしっかりと見えれば、徐々に動き出してもらえると考えています。
投資家として様々な領域の事業を手がけてきた村田氏も、この領域の課題の大きさと可能性を以下のように語る。
村田引っ越しや結婚など、行政手続きが必要とされるライフイベントは、人生でそう何度も経験することはありません。いざ直面すると「何から手を付ければいいんだっけ?」と右も左もわからない人が大半です。
書類のフォーマットも自治体ごとに違うなど、1,700の自治体ごとに1,700通りのルールが存在する世界。やるべきことがわかっても、その手続きは気が遠くなるほど手間がかかるものが多いのが現状です。混沌とした領域ですが、だからこそテクノロジーで仕組みを変え、アップデートしなければいけないと考えています。
すべての国民が使うサービスをつくりたい
GovTechへ挑む上で、グラファー経営陣には心強い面々が並ぶ。
代表取締役CEOの石井氏は、医療系スタートアップであるメドレーの執行役員を経て、リクルートで事業開発投資を手掛けていた。共同創業したCOOの井原氏はリクルートでデータマネジメントの部署を立ち上げ、マネジメントを経験。そして取締役の村田氏はインキュベイトファンドの代表パートナーで、2017年には株式会社GameWithを上場まで支援してきたことが記憶に新しい。
彼らがなぜひとつの組織でGovTechへ挑むことになったのか。起点となったのは代表の石井氏だ。
同氏は、東大医学部に在学中、受験勉強法に関する書籍出版などを手がけたり、学生ベンチャーを経営したりした経験がある。その後、文学部に転籍し、2年後には小説家としてプロデビューを果たす。大学卒業後には、旧知の仲だった医療系スタートアップ メドレー代表の瀧口浩平氏に誘われ、同社で新規事業の立ち上げ、事業、組織拡大に奔走した。
それらが落ち着いた頃、自身での起業を考え始めた石井氏は、実践的なノウハウを求めてリクルートへ転職。事業投資に関わり、約1年半の在籍期間中に1,000人を超える起業家と面会した。彼らとの会話を重ねることで、スタートアップビジネスの仕組みが自分なりに見えるようになり、次の一手を考えはじめた頃に出会ったのが、インキュベイトファンドの村田氏だった。
石井事業ドメインに悩み、客観的な視点を求めていた頃に、共通の知人を介して出会ったのが村田でした。当初は、単純に事業アイデアを話しながら壁打ちしていました。その中で、村田が出したのが「行政」に関わるビジネス案でした。
考えもしていなかった発想でしたが、父が公務員だったこともあり、地方行政の課題はすぐにイメージできました。また、過去に自分が会社を興したときにも、「この手続きの時間があったら仕事ができるのに」という憤りを何度も感じたことを思い出し、この課題は確かに大きいという実感値もあって、挑む価値を強く感じました。
村田氏は「価値あるビジネスの種を見つけ、それを一緒に育てていく」という伴走型の投資スタンスを持つ。GovTechのアイデアは、村田氏自身が目指したい事業規模と、自身がライフイベントを重ねる中で抱いていた課題感から生まれたものだった。
村田私自身、これまでBtoC向けサービスを中心にいくつもの事業を立ち上げてきた中で、より多くのユーザーリーチが見込めるビジネスを作りたいと考えていました。それと同時期に、結婚して子どもが生まれて引っ越しをして……というライフイベントを経験し、行政絡みの煩雑な手続きにすごく負があると感じてたんです。
そこで気づいたのが、「行政」は全国民にリーチできるということでした。アメリカでは近年GovTechが盛り上がり、行政機関向けのSaaSスタートアップも出てきています。一方、日本の行政は今でも紙の書類や手書きが必要だったりとアップデートされていない。この問題意識を石井さんに話したところ、まったく同じ感覚を持っていて、その場で握手して一緒にやることが決まりました。
お互いを「思考ペースが合い、非常に気持ちのいいコミュニケーションができる」と認め合うふたりは、すぐにディスカッションを重ねて事業計画を落とし込む。その後、村田氏が以前から知り合いだった井原氏を紹介。創業メンバーへ迎え入れ、2017年夏にグラファーは立ち上がった。
グラファーの組織は「全員がリーダー」というバリューを持つ。これは、文字通り一人ひとりが社長のように事業を考え、やりたいことがあれば個人の裁量で実行していく。指示というものが存在せず、事業計画の変更も柔軟に行えるという。
正直、「全員がリーダー」という言葉は、裁量が大きい企業でもよく耳にする。しかし同社は、それも踏まえた上で「言葉だけでなく、実行が重要だからこそ掲げている」と言葉を続ける。
石井我々の場合、挑む課題の大きさから考えると、事業では膨大なトライ&エラーが必要です。だからこそ、それぞれの自律性がとても重要になる。そのために、「愛されるサービスがどんどん出ていく組織に」という経営コンセプトを置き、国民の生活を便利にしたいという想いを持ったメンバーを集めています。この想いへ共感できていれば、事業を自分事化して自律的に動ける。文字通りの「全員がリーダー」である組織が、我々には必要なんです。
民間から声を上げ、行政を変えていく
メンバー各々が、日々プロダクトを作り込みつつ、国や自治体との会話も重ねるグラファー。現状は、ユーザーの満足度を高めていくことに注力し、そこで必要となることを行政と交渉するというユーザーを主軸に置いた事業を作っていこうとしている。
石井よく使われるものだけでも国全体で数千種類の手続きがあるので、今はそのカバー率を上げることに全力で取り組んでいます。直近2ヶ月だけでも3,000件以上カバー数を増やせたので、これを積み重ねてユーザーの満足度を上げていきたいと考えています。
私には「早すぎるグロースはスタートアップの最大の失敗要因」という持論があります。サービスの質が一定のレベルまで達していない中でのプロモーションはなるべく避けたい。ユーザーに“流れるような体験”をしてもらうために、今は厳しくサービスを見つめ、使いやすさを追求しています。
ただ、行政との会話を進める中で、嬉しい誤算もある。その一例が鎌倉市への「手続きガイド」導入だ。
村田最初は、行政を動かすのは簡単ではないと考え、まずは民主的にユーザーベースを積み上げていく所から始め、いずれ行政側にも利便性に気づいてもらえれば……という算段で事業を計画していました。ですが、実際に行政の方にお会いしてみると、想定以上の共感があり、動こうとしてくれます。暮らしにまつわる手続きをスマホでわかりやすく案内する『くらしの手続きガイド』を最初に導入してくれた鎌倉市のケースだと、市長自身が「それは今絶対にやるべきだ」とリードしてくれたんです。
鎌倉市の場合、結婚や出産、引越しといったライフイベントの手続きを学べるメディア『くらしの手続きガイド』の月間訪問者数が1,200人ほどまで伸びているという。市内で1ヶ月に対象となるライフイベント関連の手続きをする人の数は約1,500人ほどで、80%の人が利用している計算になる。行政に携わるビジネスのインパクトに手応えを感じる日々だという。行政ならではの情報の透明性も後押しとなり、口コミによる広がりも見えてきた。
石井行政は、「このサービスはライバルに知らせたくない」という独占意識がありません。企業のように営利目的ではないため、よいサービスがあればどんどん他の自治体にも勧めます。地域を超えて勉強会を開くなど、自治体間で熱心に情報を共有している。この状況は我々にとっても大きなチャンスです。
行政に関わるのは特殊な人たちという思い込みがあるかもしれませんが、普通に民間企業と同じく、一生懸命働いている方々です。一般向けサービスを作っていた知見を十分に活かし、よりよいサービス作りを淡々と行なっていくだけです。
日本ではスタートしたばかりのGovTech。クリアしなければいけない課題も多い代わりに、すべての国民が使うインフラを整えていける壮大なビジネスだ。スタートアップという形でこの課題に切り込むからこそ、行政ができなかったこともスピード感をもって取り組める。ビジネスとしてのGovTechは、まさに言葉を借りれば「全国民がターゲット」になる可能性を秘める。ユニークな領域だけに、プレイヤーが増えていくのも時間の問題と感じさせる。
こちらの記事は2019年01月28日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
雪山と旅を愛するPRコーディネーター。PR会社→フリーランス→スタートアップ→いま。情報開発や企画、編集・ライティングをやってきて、今は少しお休みしつつ無拠点生活中。PRSJ認定PRプランナー。何かしら書いてます
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藤田 慎一郎
編集者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサル会社の編集ディレクター / PMを経て、weavingを創業。デザイン領域の情報発信支援・メディア運営・コンサルティング・コンテンツ制作を通し、デザインとビジネスの距離を近づける編集に従事する。デザインビジネスマガジン「designing」編集長。inquire所属。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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- 株式会社出前館 代表取締役社長