スタートアップこそ「Employee Experience」を重視すべき──リンクアンドモチベーション取締役・麻野耕司氏が語る、組織人事領域の新潮流
経済活動の中心がソフト産業に移り、「人材」の確保が競争力を強めるようになった現代。企業ビジョンやサービスコンセプトへの「共感」を生み出すことは、組織人事施策における重要なファクターの一つである。
そこで注目を浴びているのは「Employee Experience(従業員体験)」という概念だ。従業員の目線に寄り添った組織人事施策を設計することにより、従業員のエンゲージメントを高められるという考え方。Employee Experienceは、Airbnb(エアビーアンドビー)の人事評価に採り入れられたことを契機に、アメリカのビジネスカンファレンスでも注目を集め、組織人事領域における新たな潮流を生み出している。
日本ではまだ耳慣れないEmployee Experienceを日本の企業にインストールさせようとしているのが、「モチベーションクラウド」を運営するリンクアンドモチベーション取締役・麻野耕司氏。同氏にインタビューを行い、その全貌に迫った。
- TEXT BY MASAKI KOIKE
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY KENTO HASEGAWA
競争力強化のためには「Employee Experience」設計が必要だ
「Employee Experience」とは、どういった概念なのでしょうか?
麻野 Employee Experienceとは、ここ2,3年アメリカのHR系のカンファレンスで注目されている組織人事施策における新しい概念で、職場でのコミュニケーションや上司との定期的な1on1といった、従業員の日常的な体験を総称するものと考えられています。
Employee Experienceが注目を浴びている背景には、20世紀から21世紀にかけて起きた、商品市場や労働市場におけるパラダイムシフトがあります。それにより、企業が組織人事施策において競争力強化のためにすべきことが“員数管理”から“共感創造”に変わったのです。
どういったパラダイムシフトが起こったのでしょうか?
麻野 20世紀の商品市場は、製造業を中心とした第二次産業の割合が高く、主にクルマや家電といったハードが主流でしたが、21世紀に近づくにつれ、ITや金融といった第三次産業の割合が増えてきました。これが意味するのは、商品のソフト化です。
このソフト化によって、商品をつくるために必要なものが「設備」から「人材」にシフトしてきたのです。ハードの時代は、工場などの設備に投資することが効率的に企業の競争力を上げる方法でした。
そこでは安定した生産ラインを確保するため、業務を標準化することで一人の工場労働者の出すパフォーマンスを一様とみなす人材マネジメントが求められます。パフォーマンスが一定ならば“員数管理”していればその工場におけるパフォーマンスはある程度マネジメントすることができました。
しかし、ソフトの時代では、顧客に求められるサービスを生み出し、届けられる人材がいるかどうかによって、企業の競争力は決まります。一人の従業員が出せるパフォーマンスは、その人自身のスキルやコンディションによって変化するので、それを高めることが今まで以上に求められるようになりました。
スキルの高い人材に自社のビジョンやサービスのコンセプトに共感をしてもらい、モチベーション高く働いてもらえるか、つまり“共感創造”できるか否かが、非常に重要ですし、現在では多くの企業のテーマになってきています。
“共感創造”の重要性が高まることにより人事の役割も変わってきている、ということでしょうか。
麻野 はい。「Employee Engagement(企業と従業員の相互理解・相思相愛の度合い)」の強化が非常に重要な役割になってきています。企業の商品や未来への共感度合いを高めることによって企業と従業員の結びつき、Employee Engagementを向上させていく必要があります。
「Human Resource」(人的資源)という言葉には企業が目的で人材が手段(資源)というニュアンスが含まれていますが、「Employee Engagement」という言葉には、企業と人材が対等な立場で結びついていくというニュアンスをより強く感じます。
Employee Engagementの強化が目指されるようになり、まずは研修や表彰式、評価制度などが整備されました。しかし、真に従業員のエンゲージメントを高めるためには「もっと日常的な業務や出来事にも目を向け、従業員目線で組織人事施策を設計すべきではないか?」という議論が沸き起こったのです。
研修、表彰式や評価面談は、従業員にとっては業務時間のごく一部に過ぎません。これだけでエンゲージメントを高めようとするのは、従業員ではなく会社目線の施策なのではないかと。そこでEmployee Engagementを高めるための手段が見直され、より従業員目線の指標であるEmployee Experienceが注目を集めはじめたのだと思います。
施策の中身だけでなく、順番が重要。Employee Experienceを設計する際のポイントとは?
従業員の日常的な体験を設計していくために、特に留意すべきポイントはどういったことでしょうか?
麻野 施策の順番が重要です。Employee Engagementを高めるための施策として全社総会や面談、上司からのフィードバックといったものがありますが、それらを経験する順番をしっかりと考慮する必要がと思っています。
たとえば、営業目標を達成できない従業員に対して、「営業スキルの研修を受けましょう」といきなり言っても、そもそもの「目標を達成するためのスタンス」がなければ本質的な改善は見込めません。また、「会社の商品や未来への共感から生まれるエンゲージメント」がなければ「スタンスについての上司からのフィードバック」はほとんど受け入れられないかもしれません。スキルの前にスタンス、スタンスの前にエンゲージメントを生むための施策が必要になるのです。
そこで、まず研修前に全社集会で理念を共有する、その後に、上司からフィードバックを行うといった順序立てが行われることになります。Employee Experienceは、“点”ではなく“線”で順番を意識しながら設計する必要があるのです。
そうした“線”での組織人事施策設計は、個別の部署では難しいように思えます。
麻野 そうですね。多くの従業員はあらゆる部署と関わりながら働いているので、Employee Experienceも所属部署に限ったことではありません。人事部で基礎的な研修を受けた後、自分の部署の上司から実務的な知識を教えてもらう、というフローもよくあると思います。
マーケティングにおいてカスタマー・ジャーニーマップを描くのと同じで、人材領域では“エンプロイー・ジャーニーマップ”をつくる必要があると思います。
よって、部署横断的な体験を設計する、Employee Experience専任の担当者を置くことが理想的ですね。しかし、多くの企業の人事部ではいまだ、採用労務、研修といったように担当分けをして、員数管理が重視されていた時代の縦割りのフォーメーションであるのが現状です。
テクノロジーの進化が、Employee Experienceの普及を後押しする
麻野さんが開発されたクラウドサービス「モチベーションクラウド」は、Employee Engagementの数値化を実現しています。テクノロジーはEmployee Experienceの設計にどのような影響を与えるのでしょうか?
麻野 テクノロジーの進化はEmployee Experienceの向上を加速させます。具体的に、クラウドの登場は、大きな影響を与えると思います。
クラウド上で目標達成状況を確認したり、スマートフォン上でコミュニケーションが取れるようになると、従業員の日常の中に組織人事施策がより入り込めるようになります。つまり、Employee Experienceへの影響を及ぼしやすくなるのです。
「モチベーションクラウド」も Employee Experience設計に資するクラウドサービスです。従業員がアンケートに答えることで、「エンゲージメントスコア」と呼ばれる独自のスコアを算出し、Employee Engagementを数値化してくれる。このスコアは、クラウド上でいつでも手軽に確認できます。
特許を取得した、特に気になる項目に絞って簡単なサーベイを取れる「フォーカスサーベイ」という機能を使えば、短いサイクルでデータが取得できるので、Employee Experienceの状況も把握しやすくなります。
データに基づいてPDCAサイクルをまわし、Employee EngagementやEmployee Experienceを改善していけるようになるのです。
Employee Engagementをデータという客観的な指標で管理できるのはインパクトが大きいですね。モチベーションクラウドを使った改善事例を伺えますか?
麻野 弊社の事例をご紹介しますね。「モチベーションクラウド」上でエンゲージメントスコアを計測する項目に、「個性や能力の発揮」というものがあるのですが、セールス部門の若手社員が特にこのスコアが低いことが判明しました。なぜ、このような結果が出たのかを深掘りしていくと、部門特有の問題を抱えていることが判明したのです。
セールス部門は、顧客ごとに入念に資料を作り込むコンサルティング部門とは異なり、商談の場でのお客様の質問に合わせて、アドリブで事例や提供価値をお話することが多い。事前に準備時間をとれるコンサルティング部門なら、若手であっても自分が資料作成を手伝った箇所は説明させてもらえるのです。
しかし、セールス部門はアドリブ主体のため、難易度が高く、商談の場で若手の出る幕がほとんどないのです。すると日程調整や議事録作成のようなサポート業務が中心になってしまう。よって「個性や能力の発揮」がされていると感じられず、スコアが低下してしまったのです。
そこで、セールス部門では、商談前・商談中・商談後をどう設計するのかを考えました。事前の準備を入念に行い、商談中は実際に話してもらう。そして商談後に振り返りをおこなう。それを繰り返し行った結果、商談が自分ごと化し、「個性や能力の発揮」のスコアが改善したのです。これはEmployee Experienceを“線”で捉えたからこそ生まれた改善事例だと思います。
「人材が命」のスタートアップこそ、Employee Experienceをとり入れるべき
Employee Experienceは、現時点では国内でどの程度普及しているのでしょうか?
麻野 僕の知る限りでは、Employee Experienceの視点から組織人事施策を設計している会社は、国内にはほとんどないですね。ただその一歩手前の段階、Employee Engagementに対する認識は広まってきていると思います。
特に、商品のソフト化や人材の流動化が顕著に進んでいるIT系の企業では深く浸透している。Employee Engagementを高めないと、すぐに転職されてしまう世界なので。また、小売サービス業などでも、比較的普及が進んでいます。
「従業員が入れ替わっても機能する組織を作り上げれば問題ない」と考えている経営者も少なからずいるように感じます。
麻野 ある意味、そういった考え方も短期的には間違いだとは言えませんね。もともと20世紀には、Frederick Winslow Taylor(フレデリック・テイラー)の「科学的管理法」やMax Weber(マックス・ウェーバー)の「官僚制論」のように、人が入れ替わっても組織が機能することが重視されていました。実際、製造業の生産ラインなど、今でもそういった理論が効果的な領域もあると思います。
ソフトビジネスであっても、従業員のモチベーションを一切無視して成果だけにフォーカスすると、無駄が省かれて短期的に業績が上がることもあります。
ただ、先ほどお話した社会構造の変化と逆行してしまっているので、5年後、10年後にはそういった企業のほとんどが衰退しているかもしれません。“共感創造”なしには企業が生き残れない社会で、Employee Experienceから目を背け続けるのは難しいでしょう。
最後に、リソースが限られているスタートアップが、Employee Experienceにどのように向き合えばいいのかお伺いしたいです。
麻野 むしろスタートアップこそEmployee Experienceを重視しなければいけません。スモールチームだからこそ、いかに優秀な人を採用して活躍してもらうかが命運を左右します。
リソース不足を懸念される方も多いと思いますが、ポイントを押さええれば工数は案外かかりません。いきなり全従業員の全プロセスを見る必要はないのです。具体的にアドバイスすると、採用後1ヶ月間のオンボーディング(受け入れ)期間が最も大事なので、そこだけでも丁寧にEmployee Experienceを組み立てましょう。
採用と育成を別物だと考え、入社後は雑に現場に放り込むスタイルの会社が多いですが、それは大きな間違いです。「採用」「育成」といった区分は会社目線で切り分けているだけに過ぎません。従業員目線で見ると両者は連続した体験なので、一気通貫でEmployee Experienceを設計する必要があります。
実際、採用後の1ヶ月間にうまく現場に馴染めないケースは多いです。エンゲージメントが低下した結果、その従業員が退職してしまったら、採用にかけたコストがすべて水の泡になってしまいます。
入社後の1ヶ月間だけでも丁寧にEmployee Experienceを設計すれば、従業員の早期退職が防止されパフォーマンスが増大するので、中長期に見ると費用対効果がアップするのではないでしょうか。
こちらの記事は2018年08月22日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
小池 真幸
編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。
写真
藤田 慎一郎
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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