連載Vertical SaaSの精鋭たち

デジタルシフトは泥臭い。
50兆円の建設産業を変革するアンドパッドの裏側

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インタビュイー
稲田 武夫

慶應義塾大学経済学部卒業後、リクルートにて人事・開発・新規事業開発に従事。2014年アンドパッド(旧:オクト)設立、「現場監督や職人さんの働くを幸せにしたい」という思いで、建築・ 建設現場の施工管理アプリANDPADを開発。スマートフォンを中心に、2020年6月現在で利用社数5万社、ユーザー数14万人が利用するシェアNo.1の施工管理アプリに成長。全国の新築・リフォーム・商業建築などの施工現場のIT化に日々向き合っている。2020年Forbes JAPANの「日本の起業家ランキング2020」に選出。

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※株式会社オクトは2020年5月に株式会社アンドパッドに社名を変更しました。本文中は旧社名のままとさせていただいております。

業界未経験ながら、50兆円規模を誇る建設産業のデジタルシフトを進める──FastGrow注目のVertical SaaSスタートアップを紹介していく特集「Vertical SaaSの精鋭たち」の1社目は、クラウド型建設プロジェクト管理サービス『ANDPAD(アンドパッド)』を開発するオクトを取り上げる。

2019年にシリーズBの資金調達も実施し、累計調達額は24億円を突破した。ANDPADの契約数は1,600社を超えており、東京本社に加え、大阪、福岡、仙台にも支社を展開する。リクルートで複数の新規事業を手がけたのち、オクトを創業した代表の稲田武夫氏は「『建設業界の誰もが知っているIT企業』にしたい」と意気込む。

“月次チャーンレート1%以下”の背景にある徹底した顧客とユーザー理解の様相から、建設業界の知見がゼロだった稲田氏がANDPADを開発した経緯、立ちはだかる“50人の壁”を乗り越えたドラスティックな組織改革まで、オクトの成長の裏側に迫る。

  • TEXT BY MASAKI KOIKE
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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“自然想起されるITサービス”を目指す

稲田建設は、日本で2番目に大きな産業。同時に、改善余地も大きいです。

稲田氏はそう切り出した。建設産業の市場規模は50兆円を超え、オリンピックに向けてますます需要も安定してきている。

一方で高齢化が著しく進んでおり、従事者の約3割が55歳以上、29歳以下は約1割しかいない。現在は約500万人の従事者が存在するが、2025年には団塊世代の130万人ほどが退職する見込みだ。深刻化する人手不足を解消するため、デジタルシフトによる生産性向上と、若年層の働き手や海外からの就労者数の底上げが急務となっている。

こうした課題を解決すべく、オクトは創業された。中小規模の建設会社のプロフェッショナルが持つ経験や技術を最大限に活かすため、「IT技術を活用し、業務を代替できる部分」のデジタルシフトを進める。

株式会社オクト 代表取締役社長 ・稲田武夫氏

稲田多くの産業には、業界の人なら誰もが知っているITサービスがありますよね。でも建設産業には、そうしたサービスが少ない。オクトを「建設業界では、知らない人はいないITサービスを提供する企業」にしたいと思っています。

オクトが開発・運営しているのは、クラウド型建設プロジェクト管理サービス『ANDPAD』だ。建設の現場では、現場監督と職人が口頭や電話、FAXでコミュニケーションを取っている。そのため、「言った」「言わない」の伝達トラブルが起こりやすい。

すると、工期が長くなり、元請け企業にとって粗利が下がる原因になってしまうこともある。さらに現場監督は、事務所や現場間の移動に、毎日3〜4時間をかけていることも少なくない。

ANDPADは、こうした建設現場の課題に寄り添ったサービスだ。コミュニケーションはチャットを活用し、クラウド上にログが残るので齟齬を防げる。工程表による進捗管理も行えるため、リアルタイムに進捗を確認可能だ。また、過去の施工ログを写真で残せるため、他の現場でも活かせる。

提供:株式会社オクト

稲田「良いものをつくり上げたい」という目的は、発注者も受注者も一緒。それにもかかわらず、コミュニケーション齟齬が原因で、時に衝突してしまう。ANDPADで、みんながストレスなく協働できるようにしたいんです。

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月次チャーンレートは1%以下。
顧客と現場への解像度を高めることを重視

2016年3月のローンチから3年で、ANDPADの契約数は1,600社を突破した。

急成長の要因のひとつは、秀逸なビジネスモデルだ。課金形態がビジネスチャットアプリ『Slack』に近く、一定数のID枠を購入した元請け企業が、仕事を依頼する法人や個人に振り分けていく。

そうしてANDPADを使い始めた職人が、別の現場で「こんなツールを使っている」と広めてくれる。特定のエリアで普及しはじめると、ユーザー自身が利用者を増やしてくれるのだ。

さらに特筆すべきは、“0.6%”という月次チャーンレートの低さ。高い継続率を支えるのは、手厚いオンボーディングだ。無料トライアル期間であっても、企業や業種にあわせてANDPADの使用ルール策定をサポートし、対面の説明会を実施することもある。説明会の開催回数は、導入済みの企業向けのものも含めると、1ヶ月で100回に及ぶ。

稲田ローンチ直後からずっと、お客さまに会うことを重視してきました。私も共同創業者も業界未経験だったので、まずはお客さまの声を聞きたいと思ったんです。ですから、元請け企業さんから現場の職人さんまで、とにかく会い続けてきました。

建設業界に注目しているのは、決してオクトだけではない。「毎月、新しい競合企業が出てきている」と稲田氏。そんな状況下でオクトが武器にしているのは、バリューにも含めている「Reality(圧倒的解像度を持つこと)」へのこだわりだ。

オクトのメンバーは、建設業界の出身者ばかりというわけではない。業界出身者は約3割で、その他はスタートアップやメガベンチャーの出身が多い。だからこそ、顧客やユーザーへの理解度を高めることを重視しているのだ。

エンジニアであっても、顧客やユーザーからの一次情報に接する機会を確保するようにしている。新機能を開発する際には必ず、顧客から複数の開発パートナー企業を選定。ヒアリングを重ねながら、共に必要な機能を考えていく。「ひとつの機能を開発するために、30社からは話を聞かないと、汎用性が高いものはつくれない」と稲田氏は語る。

稲田既存産業のデジタルシフトを成功させるためには、開発力・セールス力をバランス良く備えている必要があると思っています。でも、現場や顧客を高い解像度で理解しようとしていないと、求められるプロダクトをつくったり導入していただいたりはできません。

経営陣から現場メンバーまで誰もが、そう痛感している。だからこそ、学習し続ける姿勢が浸透しているんです。

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建設業界への知見も人脈もゼロ。
それでもANDPADを生み出せた理由

学生起業の経験もある稲田氏は、2008年、「いずれ起業したい」という想いを胸に秘めてリクルートに新卒入社。当時、圧倒的な存在感を放っていたフリーペーパー『R25』にも触発され、「自分の手でサービスブランドを生み出したい」という想いを強く持っていた。

アパレルECをはじめ複数の新規事業をグロースさせたが、2014年に退職。かねてより親交が深かった現・取締役CTOの金近望氏と共同で、オクトを創業した。事業ドメインとして建設産業を選んだ理由を、稲田氏はこう振り返る。

稲田僕が会社を立ち上げたのは、「好きな人たちと好きなことをしていきたかったから」というシンプルな気持ちからです。でも、せっかく貴重な時間を使って取り組むなら、人生を賭けて大きな社会課題に立ち向かいたかった。そう思ってビジネスでアプローチできる日本最大の課題を探したら、建設産業に行き着いたんです。

とはいえ、建設業界にコネクションも知見もない。まずは、建設業界のなかでも身近な住宅領域から攻めることを決め、リフォーム会社のポータルサイト『みんなのリフォーム』を立ち上げる。その際、「何があっても3年は、本気で建設業界のIT化と向き合う」ことを決めた。

稲田当時は、建設業界のIT化に本気で取り組み続けているプレイヤーがほとんどいませんでした。僕たちも、ひとつの産業に3年間本気で向き合い続けて何もできなかったら、さすがに諦めがつく。

『みんなのリフォーム』を運用するうちに、リフォームを手がける建設会社からの信頼を徐々に獲得していった。すると、各社の社内システム構築も依頼されるようになる。

建設現場の実状を目の当たりにしていくうちに、スマートフォンへのシフトが進む社会動向にも後押しされ、創業の2年後にはANDPADの構想に行き着いた。当初より『みんなのリフォーム』を事業化する考えはなく、戦略的に「決め打ちしなかった」ことで、業界の課題を見つけ出せたのだ。

稲田現場監督さんの友達も増えて、その人たちの顔が浮かぶようになったからこそ、ANDPADを構想できたのだと思います。もともと自分の中に解決したい課題がなくても、ある産業の人と出会って空気を共有し、第三者として抱いた疑問について考え続ければ、解くべき問いは自然と見えてくる。

それこそが、マーケットインでビジネスを成功に導くためのベストな手段だと思っています。疑問は、向き合い続けると、意志に変わるんです。

僕は、本当に普通の人間です。少なくとも3年は本気で向き合うと決めたからこそ、業界の方々が本当に困っている問題を見つけられた。ただそれだけです。

オクトのバリューにも含まれている「Technology first(技術を信じる)」を信条に開発を進めたことも、ANDPADが伸びた大きな要因のひとつだろう。オクトは、建設業界にとっては“新参者”。人間関係を活かしてシェアを広げていくことは難しい。

だからこそ、顧客とユーザーに真摯に向き合い、テクノロジーを最大限活用してプロダクトを磨き上げることにコミットし続けた。その結果、口コミが広がり、着実に事業をグロースさせられたのだ。

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立ちはだかる“50人の壁”。
ドラスティックな組織改革で、分断を乗り越えた

創業から現在までに稲田氏が最も苦しんだのは、“50人の壁”だ。2020年2月現在は約140名が在籍するが、2019年の初頭には50名前後だった。採用を加速しはじめたタイミングで、新たに加わったメンバーと創業初期から在籍しているメンバーの間で、カルチャーの齟齬が生じてしまったのだ。

稲田顧客やユーザーの声を、なかなか聞きにいけないメンバーが増えてしまったんです。すると、創業時からお客さまに向き合ってきたメンバーと、向き合い方に差が生まれてしまいます。まだバリューもなかったですし、このままでは組織が分断されてしまう感覚がありました。当時は本当につらかったですね。

分断を防ぐべく、稲田氏は思い切った組織改革を実施。「痛みは伴ったが、組織の状態は良くなった」と振り返る。

稲田グロースフェーズのスタートアップのメンバー、とりわけマネジメント人材には、高いアンラーニング能力が求められると思っています。いくら実力と実績があっても、長くお客さまに向き合い続けてきたメンバーと比べると、現場理解の度合いは足りません。だから、今までのキャリアで積み上げてきたものを一度忘れて現場に赴き、信頼を勝ち得ていかなければいけない。

キャリアを積み重ねてきたプライドもあるので、これがけっこう難しいんですよ。業界ごとにまったく違った知見が求められるVertical SaaSにおいては、特に必要とされる能力だと思います。

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「SaaSが第一」ではなく、産業を変える気概を

顧客とユーザーの声を聞き続けての開発が奏功し、昨今では「施工管理だけでなく、他の業務もANDPAD化したい」といった要望も寄せられるようになった。今後は、原価管理をはじめ、建設業界のあらゆる業務に対応できるように機能を拡充していく。

加えて、現在サービスを提供している中小規模の建設会社だけでなく、大手企業からの要望も増えている。エンドユーザーである職人からの意見も出てくるようになった。こうした声に応えるべく、ANDPADとは別の新規事業も構想中だ。

稲田いまはかなり面白いフェーズだと思います。プロダクトづくりがしたい人も、事業づくりがしたい人も活躍できますから。

オクトのメンバーに共通するのは、テクノロジーを活用した社会課題解決への想いだ。IT化が進んでいない巨大産業を変革するダイナミズムは、他の領域では味わいにくい。蓄積された建設現場のデータを活用した、事業展開のポテンシャルの高さに惹かれるメンバーも多い。

稲田巨大産業を時間をかけてIT化し、日本にとっての大きな課題を解決していく気概を持った人に力を貸してほしいです。世の中には、政治家や非営利団体でないと解決できない課題もあれば、専門家でないと取り組みづらい問題もある。

でも、建設業界の課題は、ビジネスでアプローチできる余白が多い。こんなにワクワクすること、他にはあまりないですよね。

加えて、稲田氏は「オクトに向かないかもしれない人材像」についても語った。

稲田「とにかく、伸びているSaaS企業に関わりたい」といった興味が優先される人には、あまり向かないかもしれません。デジタルシフトって、泥臭いんですよ。

地道に現場に向き合い、解像度を高めながら課題を解決していく。そのプロセスが好きな人には、すごく向いていると思います。僕はいま、建設業界の友人や先輩が全国にたくさんできて、互いに助け合っています。

建築業許可を持っている約46万社のうち、ANDPADを使っていただけているのは約1,600社だけ。まだまだ先は長いですが、この船に乗ってくれる方は、ぜひ僕らに会いにきてほしいです。

解決したい課題がなくても、産業に入り込み、第三者として抱いた疑問について考え続けていれば、解くべき問いは自然と見えてくる──。

向き合う産業を選定したら、あとはとにかく業界に入り込み、課題の解像度を高めていく。何度も現場に赴き、ピボットも厭わない“泥臭さ”こそが、Vertical SaaSスタートアップを成功させるために重要なポイントなのだろう。

こちらの記事は2020年02月17日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

小池 真幸

編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。

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藤田 慎一郎

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