ビジョンなきスタートアップは、生き残れない時代が来る──VCが「CI」と向き合い「ビジョン」を重視する理由
VECの調査によると、2019年第三四半期の国内向けベンチャー投資金額は585.8億円。2013年の四半期調査開始以降、過去最高額を記録した。
活況のなかで、著名VCが新ファンドを組成したり、リブランディングを実施したりする事例が続いている。2019年3月には500 Startups Japanのチームが「Coral Capital」を立ち上げ、5月には投資家の天野雄介氏と堤達生氏、グリーベンチャーズによる新ファンド「STRIVE」が設立された。7月にはサムライインキュベートが佐藤可士和氏を起用し、新たなVI(ビジュアル・アイデンティティ)を導入した。
これらの事例に共通するのが、VIやCI(コーポレート・アイデンティティ)にこだわりを見せていることだ。金融機関であるVCが見せるこの変化は、「アイデンティティ」の存在が、ベンチャー投資市場におけるVCの差別化要因になってきたことを意味しているのではないか──。
その仮説を確かめるべく、CIのデザインやリブランディングに知見を持つ3名にお集まりいただいた。2018年の創業タイミングでCIデザインに注力したアプリコット・ベンチャーズ代表の白川智樹氏。2019年にCIをリデザインしたジェネシア・ベンチャーズ代表の田島聡一氏。そして、双方のCIデザインを担当したOH アイデンティティデザイナーの割石裕太氏だ。
- TEXT BY MIHO SAKIYA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY KAZUYUKI KOYAMA
起業家と一緒に、目指す世界を創り上げていく
CIは企業のあるべき姿を整理し、メッセージやデザインを通じて発信する。アイデンティティデザインを中心にデザインに取り組む割石氏は、VCがCIに力を入れている流れを肌身で感じているという。
アプリコット・ベンチャーズのCIを手掛けた2018年の春頃、リサーチを通じて「デザインやメッセージに注力しているVCがまだ少なく、個人のネームバリュー、ファンド規模の大小、投資先企業の知名度が、特に大きな差別化要因だったのではないか」と振り返る。
変化が起きたのは「ここ2年ほど」だ。アプリコット・ベンチャーズの白川氏は、「VCが起業家に選ばれる局面が増えたからではないか」と分析する。
白川現在は少数のスタートアップに投資家の人気が集中する状況です。多くのVCが「ハンズオンで支援する」「バリューアップチームの存在」といった機能を打ち出している現状ですが、それだけでは差別化の要因にも、選ばれる決め手にもなりません。
どのようなメンバーがいて、何を考え、何を大事にして投資をするのか──。そういった、機能的価値ではないことを知ってもらう必要性が増したのではないでしょうか。
投資額は着実に増えている。加えて、VCだけでなくイグジットした起業家がエンジェルとして投資するケースも増えた。有望なスタートアップは、数多の選択肢から自分たちに合う投資家を選べるようになってきている。
割石氏は、VCという事業の観点からCIの必要性を語る。
割石VCは、起業家とともに、お互いの目指す世界を創り上げていきます。特にVCは自分たちだけでは成立しないからこそ、自らのもつ未来像(ビジョン)を明確にし、外にも伝えていくことで、共感する起業家に認知され、信頼を勝ち得ていかければなりません。
事業の特性から考えても、VCは何を志して投資を行なっているのかを明確にし、伝えていくべきだと思います。
この言葉に、ジェネシア・ベンチャーズの田島氏も首を振る。
田島成功する起業家であればあるほど、VCにお金以外の付加価値を求めている。そのうちの一つが、投資の背景にある想いだと思います。
投資という行為そのものは、あくまでも手段に過ぎない。その投資を通して、起業家とともにどのような世界を実現したいのか。起業家の立場で考えると会社の一部を所有されるわけですし、事業がうまくいかない苦しい時ほど、目指す世界が一致していないとうまくいきません。
だから、VCは投資活動を通じてどのような世界を実現したいのかを伝える必要があると考えています。
人柄が表れるようなシンボルが、結果的に差別化へ
では、どのようにCIを形作っていくのか。それぞれの事例を伺っていこう。
まずはアプリコット・ベンチャーズ。白川氏がファンドを立ち上げたのは、2018年の4月。ファンドの想いやスタンスが伝わりやすくなるよう、設立時からCIには力を入れると心に決めていたという。
依頼を受けた割石氏は、まずビジョンやミッション、コアバリューの策定に手をつけた。
割石僕がCIやロゴのデザインを依頼された時、最初からシンボルやロゴタイプといったビジュアルに手をつけることはほぼありません。
まずはじっくり話を伺って、その企業やブランドのバックグラウンドを理解し、必要にあわせて、ビジョンやミッションといった言葉に落とす。
自分たちの目指す先が間違いないものになれば、それを体現するロゴも嘘のないものとなり、永く愛していただけるものになる、という考えからです。
アプリコット・ベンチャーズでも、まずは言葉の整理から始まった。割石氏は「大企業から独立する人を支援する」という白川氏の投資方針を手がかりにし、「挑戦を支える。結実につなげる。」というミッションに落とし込んだ。
白川今思っていること、これからどうしたいかをそのまま話したら、割石さんが要点を捉え、言語化してくれました。自分でも、あらためてなぜファンドを立ち上げたのか、どういう世界を実現したいのか、再確認する機会になりました。
ミッションとコアバリューを策定した割石氏は、シンボルのデザインに取り掛かる。ここで鍵となったのは、白川氏自身の柔らかな物腰と「周囲に敬意を払う姿勢」だったという。そのあたたかな雰囲気を表現するべく、色味や形状が決まっていった。
割石大企業に勤める誰かが起業を考えた時、「ここなら相談に乗ってくれそう」「起業の背中を押してくれそう」と思わせるビジュアル・ライティングを意識しました。
アプリコット(杏)のマークを中心に、三色が折り重なるロゴは、投資先の起業家、出資者、先達の起業家といったアプリコット・ベンチャーズを成り立たせる周りの存在を表現しています。
VCのロゴはクール、シャープなビジュアルイメージが多い中で、やわらかな色味と形はたしかに目立つ。「結果的に、CIが差別化にもつながった」と白川氏も振り返る。
バイアスをかけずに自社と向き合うための「外部の目」
一方のジェネシア・ベンチャーズは、リデザインだ。同社は2016年8月の創業時から、正二十面体をモチーフとしたシンボルを用いており、社内でも指針としてうまく機能していたという。
それにもかかわらずCIをリデザインしたのは、ウェブサイトのリニューアルがきっかけだった。当時のサイトは、湾岸の夜景をバックに英文のビジョンが表示されたもの。
メンバーが増えてきたタイミングで、自分たちが本当に伝えたいイメージが表現しきれていないのではないかと考え、割石氏にリニューアルを依頼した。
割石氏はサイトやロゴなどから受ける印象と、田島氏をはじめ、実際に会って話すメンバーからうける印象との間に大きなギャップを感じ、CI全体の見直しを提案した。
割石当時のサイトは、良くいえばクール、悪くいうと暗く固く「起業家から遠い存在」といった印象でした。しかし、実際にお会いすると、みなさんとても明るくフレンドリー。このギャップを埋めるためには全体から見直した方がいいと考えたんです。
ちょうど田島氏も「メンバーが増えてきたタイミングで、創業時の想いは大切にしながらも、メンバー全員の想いを乗せたビジョンやミッションを再構築したい」と考えていたこともあり、2019年の1月にプロジェクトはスタートした。
リデザインにあたり、割石氏はジェネシア・ベンチャーズのメンバーに、大切にしているワードや意識していることなどを挙げてもらった。すると「利他的」「持続的」「社会的インパクト」といった言葉が多く表れた。既存のビジョンの方向性とも合う言葉だったが、それらをより適切に伝えるための言葉の見直しから入った。
田島ジェネシア・ベンチャーズでは、採用面談の段階でどういった世界を実現したいか、深く問います。自己実現の方向性と、ビジョン実現の方向性の合致を大事にしているからです。だから、チーム内で投資方針を話していても、「これはうちっぽい」「これは自分たちらしくない」といった言葉がメンバーから自然に出てくる。こうした言葉も、内部で醸成された価値観が明確にあるからでしょう。
チームメンバーの思いを整理し、言語化した結果、当初掲げられていたビジョンは“手段”の要素があったためミッションへと移行した。そして、新たに“目的”としての「すべての人に豊かさと機会をもたらす社会を実現する」というビジョンが生まれた。
割石ビジョンの文言はもっとシンプルに、キャッチコピーのような短文にすることもできました。
ですが、あえて説明的にすることで、真剣な人と真剣に世界の実現を目指したいという、近すぎず、遠すぎず、「開かれた存在」という距離感を表現する意図で、今の言葉に落とし込みました。
シンボルも、既存の正二十面体を活かし、ブラッシュアップするかたちでリデザインされた。そもそも田島氏が正二十面体を起用したのは、頂点同士の距離がすべて等しい図形である、という理由からだった。
田島正二十面体は、それぞれの志を持つ個人が均等に集まって、つながりながらエンパワーメントしていくチームのあり方を示しています。また、私たちと投資家、起業家、LP、NPOなど……産業創造を担うさまざまなステークホルダーとのつながりも表している。
私の中でVCは、ある意味、企業活動というよりライフプロジェクトに近い。一人ではできないことを、さまざまな人の力を借りながら大きなパワーにして、目指す世界を実現していく。その旗印として、この正二十面体はしっくりきています。
リデザインにあたっては、「関係者・ステークホルダーという“点”を等しくつなぐ」という意味をより強調すべく、点と線で構成したシンボルに変更した。
田島氏は、リデザインのプロジェクトを通し「自分たちで自社を概観しようとすると、いくら意識してもバイアスがかかってしまう。それを排して客観的に見るアシストをしてもらった」と語る。
VCはもとより、あらゆるチームでCIの重要性は増していく
両者がCIの策定に取り組んだ2018年、2019年は先述のとおりベンチャー投資が活況で、市場規模の拡大、人材の流入増と、さまざまな変化が続いた時期でもあったはずだ。
それを踏まえつつ、VCを含めたスタートアップ環境の今後をどう見据えているのか。ここでも両氏は、意図せず、“ビジョン”をキーワードに挙げた。
田島氏は「ビジョンがさらに重要になる時代へ突入していく」と考える。その現れとして、「社会起業家とスタートアップがよりシームレスになっていくこと」、「大企業の動きがよりプロジェクト的になること」、「あらゆるコミュニティがより熱狂的なものになっていくこと」という3つの可能性を挙げた。
田島まず、世界的なSDGsへの意識もあり、スタートアップにはより社会的意義や社会的インパクトが、また、社会起業家にはより持続的なビジネスモデルを持つことが、それぞれ求められ、両者がかなりシームレスな状態になっていくことです。
逆に言えば、単純に儲かることだけを目的とした起業には、資金が集まらなくなっていく。創業者の信念や成し遂げたいビジョンが、ますます重要になる時代がくるだろうと考えています。
つぎに、大企業においても、デジタルトランスフォーメーション(DX)やオープンイノベーションが進む中、よりしなやかで変化に強いオペレーションや組織、プロジェクトの構築が進んでいくことです。
その時には、なぜオープンイノベーションに取り組むのか、何のためにやるのかを明確に描いた旗が必要になる。そうした組織やチームは、CIやPI(プロジェクト・アイデンティティ)のようなもので強くつながることが必要になるのではないでしょうか。
最後は、「個のエンパワーメント」が拡大していくこと。多様性が受容されゆく時代、ユーザそれぞれがコミュニティを見つけ、つながり、価値を交換し合うようになる。その中心にはやはり、人々を熱狂させ結びつけるビジョンや世界観があると思います。
白川氏もそれに同意し、VCを含めたスタートアップ環境の変化について分析した。
白川VCのファンド規模も拡大し、より大きなチャレンジを応援できるようになりました。長期的に世界を大きく変える可能性がある事業に、お金も人も集まる状況になってきている。
裏を返すと、多額の投資に値するような事業でなければ、資金調達が難しくなるケースが増えるともいえるでしょう。
「長期的に世界を大きく変える事業」の一例として、白川氏は投資先である無人コンビニ事業を手がける『600』を挙げた。
同社の事業は「自動販売機にさまざまな商品を入れて届ける」と捉えると小さく見えるが、「半径50mの商圏をメッシュ状につくろうとしている」と捉えれば、小売の新しい流通構造づくりに挑戦していると表現できるだろう。こうした大きなビジョンや長期的な視野が、今後スタートアップに求められると指摘する。
そして、「ビジョンを体現するCIもより重要度を増すだろう」と言葉を続ける。
白川産業構造を変える、社会に変革をもたらす事業には、ビジョンに共感したメンバーが欠かせません。仲間が集まったあとには、価値観をすり合わせて結束力のあるチーム作りも必要です。そのいずれにもCIは欠かせない存在ですから。
VCにおけるCIの重要性を紐解こうとした鼎談は、意図せずスタートアップを取り巻く環境全体におけるその重要性が語られ、幕を閉じた。しかし、これはVCやスタートアップを問わず、CIやビジョンの重要性が増していることを表しているともいえる。
より大きなチャレンジのためには、より明確な旗印が必要になってきているのだ。
こちらの記事は2020年03月09日に公開しており、
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北海道生まれ。人材系企業の制作部で求人広告などのライティングを経験した後、広告制作会社に転職。新聞の記事広告を専属で担当。2012年独立。現在はビジネス、教育系の記事や書籍のライティングを中心に活動。著書に『ネットの高校、はじめました。新設校「N高」の教育革命』、『Twitter カンバセーション・マーケティング』、共著に『混ぜる教育』。構成協力に『独学のススメ』(若宮正子著)、『発達障害を生きる』(NHKスペシャル取材班編)など。
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藤田 慎一郎
編集者。大学卒業後、建築設計事務所、デザインコンサル会社の編集ディレクター / PMを経て、weavingを創業。デザイン領域の情報発信支援・メディア運営・コンサルティング・コンテンツ制作を通し、デザインとビジネスの距離を近づける編集に従事する。デザインビジネスマガジン「designing」編集長。inquire所属。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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