VCが「HR」と「コミュニティ」に注力する理由。
インキュベイトファンドが「IF Talent Network」で実現するスタートアップコミュニティ
国内スタートアップの資金調達額は2009年から右肩上がりに伸び続け、2018年の資金調達総額は3,800億円を突破した。スタートアップ業界に行き渡るキャッシュの大幅な増加にともない、VCに求められる役割は、資金面の援助だけではなくなった。事業戦略や組織構築の面から投資先企業をサポートすることへと広がりつつある。
その潮流のなか、創業から総額340億円(※2019年4月時点)のファンドを組成・運用してきたインキュベイトファンド株式会社が、「VC」「投資先ベンチャー企業」「個人」をつなぐネットワークシステム「IF Talent Network」を2018年11月に公開した。VCと気軽に議論できるイベントや個別のキャリア面談を通したコミュニティ形成によって、投資先企業の採用や個人の転職を支援する試みだ。
「"挑戦者"であり続けるVC」を志向し、創業前後のシード/アーリーステージの企業へ投資を行なうインキュベイトファンドは、いかなる構想を持ちコミュニティづくりへと注力しているのだろうか。同社でゼネラルパートナーを務める和田圭祐氏、 HRマネージャーとして投資先企業の支援を行なう壁谷俊則氏、コミュニティマネージャーであり広報活動やイベント運営を通じてコミュニティ構築に挑む清水夕稀氏に話を伺った。
「アメリカでは10年前から一般化している」というVCの役割変化の様相から、転職希望者以外もIF Talent Networkに登録する理由、コミュニティ構築によってスタートアップ生態系を広げていく同社の構想まで、業界を取り巻く地殻変動がさまざまな視点から明かされた。
- TEXT BY TAKUMI OKAJIMA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
- EDIT BY MASAKI KOIKE
アンドリーセン・ホロウィッツを前例に、VCが担う役割変化
「幅広い知識や専門性が必要なスタートアップが増えるなか、多様性のある人材がスタートアップの生態系に流入していかなければならない。そのためにVCも、役割を進化させていく必要がある」
取材でIF Talent Networkが生まれた背景を掘り下げていくなかで、和田氏がこぼした言葉だ。
インキュベイトファンドは、創業期のスタートアップに対して、HR分野における全面的なバックアップを行ない、12社をIPOへ、20社をM&Aへと導いてきた。ポートフォリオには国内最大規模のゲームメディア「GameWith」を運営し、2013年の設立からわずか4年で東証マザーズに上場した株式会社GameWithをはじめ、ゲームからフィンテック、ヘルステックまで、幅広い領域の企業が名を連ねる。
近年、VCが情報発信を行ない、コミュニティ支援にコミットするケースが珍しくなくなってきた。そんななか、同社は人材紹介のネットワークを構築し、投資先企業の採用支援を強化するためのIF Talent Networkをスタートした。同サービスでは、「HR」の専任者である壁谷氏と「コミュニティ」の専任者である清水氏が中心となり、よりプロフェッショナルな採用支援を行なっていくという。
IF Talent Networkを利用することで、個人は投資先企業のサービスリリース情報や起業家・転職経験者のインタビューなどの情報に触れることができる。加えて、イベント参加やカジュアル面談によってスタートアップへの知見を得られるのみならず、VCとの接点を持つことで起業を志向する個人にとっても、良い機会が得られるのだ。
一方、IF Talent Networkに参加する出資先スタートアップ企業は、リファラル採用の機会を得られることが大きな利点となる。インキュベイトファンドが投資先企業に対して行なった調査では、82.7%の企業が創業メンバーの獲得に最も有効だった手段として「リファラル採用」を挙げている。創業期スタートアップにとって優秀な人材の確保は大きな経営課題だが、CEO以外にHRの専任者がいないことも少なくない。リファラル採用の輪が広がることは大きな支援になる。
アメリカではVCがさまざまな経営支援を行なうことは古くから知られているが、トップティアVCの一つであるアンドリーセン・ホロウィッツを筆頭に、近年その流れの加速と多様化が進む。HR面での支援はその最たる例の一つであり、「日本のVCがHR支援に乗り出している現状を見る限り、こういった流れはますます加速していくのではないか」と和田氏は話す。この状況に対して清水氏は、「ハンズオン支援は属人的な側面が大きく、一人のキャピタリストのリソースだけでは、いずれ限界が来る」と指摘する。
清水従来のVCが行なってきたHR支援は属人的な取り組みがほとんどで、パートナー自身のネットワークを通じた経営幹部採用のサポートが中心でした。しかし、個人が持つネットワークには限界があり、採用支援がどうしても手薄になってしまっていたんです。
そんななか、約10年前に業界初となるHR専任チームを設けたのが、米大手VCのアンドリーセン・ホロウィッツです。キャピタリストと同じく20名を超えるHR専任者を抱える同社は、数年前の時点で投資先企業に対して1,300人の人材紹介を行ない、そのうち130人が採用されるなど、申し分ない実績を残しています。
それに追随する形で、多くのVCがHR専任者をどんどん採用していき、アメリカでは20社ほどがHR専任者を採用している現状があるんです。
和田そもそもアンドリーセン・ホロウィッツは、既存のVCのあり方に対する強烈なアンチテーゼを打ち出して大きく躍進しました。彼らは、資金提供にとどまらない新しいVC像を業界に先駆けて発信しています。
同社はHRに限らず、マーケティングのプロフェッショナルチームを抱えており、お金以外の面でのサポートを念頭に置いた組織体制を築いています。所属するメンバーも、自分たちが支援を行なった企業の成長に寄与した、キーパーソンも多く見られます。
VCがサポートできるのは「起業家志望」だけではない
インキュベイトファンドの特徴は、HRとコミュニティの専任者を抱えていることだ。
HRマネージャーである壁谷氏は主に投資先企業のHR支援を行なっており、各企業が求める人材のマッチングに注力している。求人情報の打ち出し方から転職エージェントでのキャリア情報共有まで、実務レベルでアドバイスを行う。起業やスタートアップでのキャリアを志向する個人と面談をすることも多い。
一方、コミュニティマネージャーである清水氏は、イベント企画やSNS管理といった、あらゆるルートから舞い込む個人や企業との接点を整理する。また、インキュベイトファンドや投資先企業の情報発信を管理し、対外的な見え方をコントロールする広報業務も兼任している。
ふたりの注力によって、IF Talent Networkは2019年4月時点で個人ユーザー270名以上が登録するに至った。「登録者層は20〜30代が多く、スタートアップや大手企業の事業企画部門に所属する人が多い」と壁谷氏は話す。現状で集まっているのは、直近の転職を希望するよりも「関心あるスタートアップの動向が知りたい」「どんな事業プランを描いているのかを知りたい」という人たちだ。
壁谷多くの方から「スタートアップに興味はあっても内情を知る術がなかったため、助かっている」との声をいただいています。そうした声により答えるべく、会社概要や組織体制、サービス情報などをまとめた「採用Pitch資料」を投資先スタートアップ各社に作成いただき、求められる情報を分かりやすく提供しています。
実際にジョインする際も、個人と起業家がコミュニティ内でお互いの人柄を知っていれば、入社後のミスマッチも未然に防ぎやすいはず。事前の情報不足によるミスマッチの不安を少しでも軽減して新しいチャレンジへと臨める環境をつくっていきたいし、新しい採用カルチャーとして浸透させたい。
そういった想いもあり、「転職サイト」や「マッチングプラットフォーム」ではなく、「タレントネットワーク(Talent Network)」という名前をつけたんです。
優れた人材を求められたときに紹介できれば、起業家の負担は大きく減らせる。とはいえ、関係が深くない人を紹介することはリスクを伴う。そんなとき、「元からつながっておけるコミュニティがあれば適切にマッチングしやすい」との考えから、IF Talent Networkは生まれた。
これはインキュベイトファンドの投資哲学として「ファーストラウンド」を掲げ、創業初期の起業家の悩みに寄り添い、設立前から投資するスタイルゆえに浮かんだ構想だ。「より早い段階からサポートすることを意識してプログラムやコミュニティをつくってきた」と和田氏は話す。
和田「自分が起業家になりたい」という強い意思を持った創業者予備軍もいますが、やりがいのあるテーマを持ち、支えがいのある企業と出会えば、「ナンバー2や現場の社員としての転職はアリ」な経営幹部予備軍も一定数いる。
多くの人たちの相談に乗るなかで、「起業」や「転職」といったアクションを絞る必要もなく、広い意味で「スタートアップに関わりたい人たち」がつながれる場があれば良いと考えたんです。
転職を考えている人だけでなく、起業家予備軍や大企業経験者など、いろんな属性を持つ人にキャリアの形にこだわらずに集まってほしい。だからこそ、重視するのは採用の成立数よりも「コミュニティ内の相互理解の深度」や「ネットワークの質と量」です。
情報格差をなくせば、スタートアップ生態系は豊かになる
サービスのローンチに至った背景には、スタートアップ業界が「村社会化」している問題もある。壁谷氏が話したように、IF Talent Networkの登録者には「スタートアップの動向に興味があっても、知る手段がなかった」人たちも多く、情報の非対称性が見て取れる。
壁谷氏は「情報を可能な限り開示し、VCの考え方や現場で起こっていることを正しく伝えていきたい」と意気込む。
壁谷スタートアップに関する情報が適切なかたちで多くの方に届いていないだけで、経営者の想いや事業内容を知ることさえできれば、スタートアップの生態系に加わってくださる人の輪は今まで以上に広がると思うんです。
だから、“スタートアップ村”にたどり着いた人だけが情報を得られるのではなく、こちらから伝えていく必要があるし、垣根をなくしていきたいと思っています。
そのため、投資先企業がスムーズに情報を発信できるよう、IF Talent Networkの求人ページは各社が直接書き換えられる仕組みにしてありますし、その他イベント情報やブログ記事の掲載・企業情報のアップなども常に最新情報に更新できるようになっているんです。
対して清水氏も、「VCやスタートアップ業界について知られていないことは、多くの人にとって機会損失になる」と同意を示す。
清水注目度は上がってきているものの、社外の人々と会話していると、VCやスタートアップへの認知度はまだまだ高められると感じます。多くの産業で次々にイノベーションが起きるなか、新規市場へと飛び込む起業家たちのことを知れば、「自分も起業したい」「ジョインしたい」「自社と提携したい」と感じる人たちは多くいるはず。スタートアップ業界と世の中を橋渡しし、新たな挑戦者を生み出すための発信活動を精力的に行なっていきたいです。
最後に「コミュニティ支援の面で、いかに他社と差別化していくのか」を問うと、和田氏は「それは意識しない」と答える。
和田他社との差別化のためにコミュニティ支援を行なっているわけではなく、自分たちができる最善のベンチャー支援を模索した結果、今の形にたどり着いただけです。
例えば、資金調達を目指すシード・アーリーステージ企業向けに、2010年から毎年開催している、起業家と投資家が集まって行なう一泊二日の経営合宿「インキュベイトキャンプ」も同じなのですが、創業期のスタートアップを支援し続ける中で模索して見えてきたエコシステムの一つです。起業家との接点をつくったり相談に乗ったりする現在の活動は、約10年前の時点で原型ができていました。
それらの経験を通して得た気づきが、IF Talent Networkにも活かされていて。自分たちが起業家と一緒に悩んだ課題や提供できた価値に忠実に、採用も含めた経営支援のインフラを引き続き磨いていきたいと思います。
IF Talent Networkは、起業家に寄り添う支援を続けてきたインキュベイトファンドにとって今までの延長線上にある取り組みであり、その根幹には、単なるコミュニティ支援にとどまらず「スタートアップ生態系全体を広げていく」ことへの想いがあった。
しかし、壮大なビジョンを実現させていくためには、IF Talent Networkに参加する個人に「生態系に加わりたい」と思ってもらう必要がある。つまり、コミュニティ支援への注力に止まらず、VCとしてますます魅力的な企業へ投資していくことで、今回の試みを成功へと近づけられるのではないだろうか。
こちらの記事は2019年04月18日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
岡島 たくみ
株式会社モメンタム・ホース所属のライター・編集者。1995年生まれ、福井県出身。神戸大学経済学部経済学科→新卒で現職。スタートアップを中心としたビジネス・テクノロジー全般に関心があります。
写真
藤田 慎一郎
編集
小池 真幸
編集者・ライター(モメンタム・ホース所属)。『CAIXA』副編集長、『FastGrow』編集パートナー、グロービス・キャピタル・パートナーズ編集パートナーなど。 関心領域:イノベーション論、メディア論、情報社会論、アカデミズム論、政治思想、社会思想などを行き来。
1986年生まれ、東京都武蔵野市出身。日本大学芸術学部文芸学科卒。 「ライフハッカー[日本版]」副編集長、「北欧、暮らしの道具店」を経て、2016年よりフリーランスに転向。 ライター/エディターとして、執筆、編集、企画、メディア運営、モデレーター、音声配信など活動中。
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