「日本酒を世界酒に」
酒造領域にイノベーションを起こす
BCG出身起業家 WAKAZE稲川
「フランスに酒蔵を造りたい」。
そう語る稲川琢磨は株式会社WAKAZEを経営する若きリーダーだ。
洋食に合う日本酒という新機軸の商品を考案し、現在世界中の販路開拓に奔走している彼。元BCGという異色の経歴を持つ。
なぜ経営コンサルタントから醸造家になったのか。話を聞いた。
量をこなせば質は後からついてくる
最初はボストンコンサルティング・グループ(BCG)に入社されていますね。
稲川大学院を卒業した時点では特にやりたいことがなくて、修行の場としてBCGを選びました。入社すると面白い人たちがいっぱいいて、大手メーカー出身の人だけではなく、医者という経歴を持った人もいてすごく多様でした。
その中でチームが固定されるわけではなく、プロジェクトによっていろんな人と働けたのが楽しかったですね。
ただ最初はすごく苦労しました。僕は決められた事をその通りにやっていくのが苦手なんです。まず分析してからアウトプットを出すという決まった流れに疑問を持ってしまう。目的意識が強すぎて、典型的な扱いづらい部下。だから最初は評価が低くて苦労しました。
稲川そんな中、会社内の評価を巻き返すきっかけとなる女性上司に出会ったんです。彼女は気合と根性の人で、とにかく量にこだわって、質は後からついてくると言っていました。
徹夜してでも何してでもアウトプットを出す姿をみて、僕は多分こうしないとこの会社で生き残っていけないなと思いました。するとその上司に一度使ってもらえて、突然パフォーマンスが上がったんです。その後も連続でその人のプロジェクトに入ってとても高い評価を頂けました。
どんな事を上司から学んだのですか?
稲川まず口を動かす前に手を動かせとか、とにかく行動すること、そして何事にも手を抜かないプロフェッショナル意識など、働いていく上でのイロハを学びました。
ただすごく嬉しかったのは、「そんなにセンスはないかもしれないけど、頑張ればできる」って言われたことです。自分の本質にすごく向き合って見てくれていたので、本当に彼女の下で働けて良かった。
あとその時100本インタビューをやり始めたんですよ。本当に短い2ヶ月程の期間でやるんです。まさに量から質を生み出すことで、エキスパートにインタビューするとその業界の構造が深く見えてきます。
例えば、食品業界でのプロジェクトであったのが、大手A社はB社という卸を一切使わない。その理由が昔起きた軋轢。という生々しい業界構造があらわになり、合理的な経営判断ができていない企業を見つけることもありました。
ただ数字を追いかけるのではなくて、定性的な部分含めてインタビューして、自分たちの肌感に落とし込んでいくことは大事。起業した今でも、似た業界で成功しているスタートアップの社長に時間を頂き、ひたすら勉強してます。
BCGで働く中、なぜ日本酒で起業しようと思われたのですか?
稲川学生の頃から持っていた思いがあったんです。父親がカメラの部品会社を経営していたこともあって、元々日本のモノ作りがすごく苦しい事を知っていました。
それにフランスの大学に留学していた時、37か国からきた生徒達と学ぶことですごく多様性を感じたんです。その中で日本人としてのアイデンティティーを再確認したんですね。素晴らしい日本の物作りを世界に伝えていきたいと思い始めました。
そんな中、BCGで働いて1年目くらいでよく寿司屋に行っていて、飲んだ日本酒のおいしさに驚きました。僕は20歳でフランスに留学しているので、お酒はワインから飲み始めたんです。だから日本酒がどんなものか全く知りませんでした。
それですぐに自分で造りたいと考え始めて、フランスで蔵元を作ったら面白いんじゃないかとか、アイディアを考え、いろんな人に言っていました。
そしたらたまたまP&Gで働いていた人が共感してくれて、東京大学農学部の同級生2人を連れてきて一緒にやり始めてくれたんです。
幸運なことにその中の1人の家が蔵元。すぐに新しい日本酒の企画を始めました。そうやってWAKAZEが立ち上がりました。
稲川この頃はまだBCGで働き始めた1年目の終わり。平日はコンサルをやり、週末をWAKAZEに充てていました。だんだん本気になってきて、自分の中でWAKAZEの面白さが増し、その翌年、ちょうど2年たった時にBCGを卒業しました。そして独立、去年1月に株式会社WAKAZEを登記しました。
起業後にも役に立った100本インタビューの経験
起業してから困難は?
稲川最初の商品が失敗でした。ベンチャーは既存の企業がやっていることと全く違うことをやらなければいけないんです。しかし処女作は既存製品のラベルを貼り替えて売り出したようなお酒だったんです。
僕らはエッジがきいている、飲んだ瞬間に圧倒的な違いがわかるものじゃないとダメなんです。その作りこみが足りなかったのがその時の反省点でした。
そこから悩みましたね。どうやったら差別化された良い日本酒を作れるのか。毎日考えていました。
そして思い至ったのが食事に合う日本酒です。
なぜかというと、まずBtoCは限界がある。無数にある小売店に営業するほどの人材もいないですし、お客さん自ら手に取ってもらうのも難しい。
それでBtoB、つまり飲食店でしっかりと売れる商品を造ることを考えました。飲食店で採用して頂ければ、ある程度品質が保障され、消費者にも魅力が伝わりやすい。そう思ったんです。
レストランで採用されるお酒は食事とのペアリングが大事。なので20人程の一流ソムリエ1人1人にヒアリングして、どういった食事にどんなお酒が合うのか。僕たちの考えている仮説は本当に正しいのか。そういった情報を集めて試行錯誤していました。
そして出来上がったのが今の商品、「ORBIA(オルビア)」。洋食に合う日本酒です。あとうれしいことにヒアリングした9割の方々が顧客になってくれたんです。
稲川現在ではレストランだけではなく、東京や神奈川、山形にある地酒屋に加えて、百貨店やお土産屋などの小売店での取り扱いも増えています。オンラインショップも整備しました。
経営を学んだのもインタビューからですか?
稲川インタビューで得た事も多いですが、情報収集源として本もとてもオススメですよ。特に実例が書かれた本は役に立ちます。
例えばスコットランドでBrewDogというクラフトビール会社を起業した社長が書いた本である『ビジネス・フォー・パンクス』(ジェームズ・ワット、日経BP社)。
お酒の業界で起業した人はめちゃくちゃ苦労していて、その起業した人たちが過去どうやって歩んできたのかわかるんです。
こういった本は実例だからこそ共感できる。インサイトがたくさんあるんです。
ノウハウ本とかは意味がないから読みません。結局身にならないというか、自分の例になぞらえて考えられないんです。
一方実例に基づいたストーリーだと、自分にもこういう瞬間あったなと思いながら学べる。自分がどんな人間になりたいかがわかるんです。
香港のペニンシュラホテルや東京でミシュランの星を持つレストランとも取り引きされていますね。
稲川やはり息が長く、海外でも知名度を持ったブランドにしたいので、高級レストランとの取り引きや、海外への輸出は当初から注力していました。その甲斐もあって、シンガポールやフランスにはすでに輸出していて、タイやアメリカにも輸出開始する準備を進めています。
そもそも日本酒の未来は国内にないと思っています。なぜなら、アルコール離れがすごいのに加えて、人口が減っていますよね。一方海外に目を向けると、まだまだ市場を開拓できる余地が大いにある。
フランスワインの輸出高は約1兆円もあるんですが、日本酒の海外市場って155億円程なんです。
この状態に僕はチャンスを感じています。海外で日本酒の存在感はないに等しいですが、それは今まで海外市場を見据えた銘柄が作られてこなかったからです。
僕たちは洋食に合う日本酒という海外マーケットに向けた商品を造ったので、それこそ売上比率も7割海外にしたいと考えています。
また、海外市場に目を向ける理由がもう一つあって、それが日本で酒蔵を持つことは買収する以外不可能ということです。実は日本酒の醸造免許は新規で取得できないことになっていて、新しく自社の酒蔵を作ることは海外でしかできません。
現在は賛同して頂いた蔵元さんご協力いただき、委託醸造という形で自社ブランドのORBIAを造っています。やはり将来的に酒蔵を保有したいという理由でも、海外市場に目を向けています。
稲川具体的な場所としては、自身が留学した経験を持つフランスを考えています。なぜ海外の中でもフランスなのかというと、「世界の食文化の中心はフランスだから」という理由もありますが、なんといってもフランスが好きだから。それに限ります。
最後に、これまでのキャリアで大切にしてきたことは何ですか?
稲川誰にでも共通することだと思うんですけど、失敗の数をどれだけ積めるかってことはすごく大切です。失敗だと思わないこと、本当にそこに尽きると思いますね。
自慢するのは成功の数じゃなくて、そこにたどり着くまでの道のりだと思うし、最初からうまくいくことはほとんどない。
成功しているベンチャーは40代50代が立ち上げてるとよく聞きますが、それは経験があるからこそだし、それだけ試行錯誤しているから筋のいい施策が打てるということです。
逆に20代でもとびぬける人ってそれだけ試行錯誤してるんですよね。人間ってやりやすかったり、褒められたりする場所にいたいじゃないですか。でも成長するためにはその感覚が気持ち悪いって思わないといけない。
だから1日1日自分が楽なところにいないか確認して、今日何の挑戦をしたか振り返ることが大事です。
稲川WAKAZEはイノベーティブという言葉を最も大切にしてるんです。それはどんなことでも革新的なことはできると考えているから。
プロダクトの開発だけじゃなく、販売方法、マーケティングのプロモーション、いくらでもイノベーティブなことはできると思います。
だれかがこう言ったから、こうすべきだよねとか言うんじゃなくて、自分なりに頭で考えて、全く新しい価値を生み出していく。だからフランスに酒蔵を造る。成し遂げて見せます。
こちらの記事は2017年10月19日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
次の記事
連載未来を創るFastGrower
14記事 | 最終更新 2018.07.17おすすめの関連記事
「国策」と「スタートアップ」は密な関係──ユナイテッド・PoliPoliが示す、ソーシャルビジネス成功に必須の“知られざるグロース術”
- ユナイテッド株式会社 代表取締役社長 兼 執行役員
このPdMがすごい!【第2弾】──時代をつくるエースPdMと、エースを束ねるトップ層のマネジメントに迫る
「PMFまでの苦しい時に、資金と希望を与えてくれた」──ジェネシア・ベンチャーズ × KAMEREO、Tensor Energy、Malmeの3対談にみる、“シード期支援のリアル”
- 株式会社ジェネシア・ベンチャーズ
隠れテック企業「出前館」。第2の柱は32歳執行役員から──LINEヤフーとの新機軸「クイックコマース」に続く、第3の新規事業は誰の手に?
- 株式会社出前館 執行役員 戦略事業開発本部 本部長
「令和の西郷 隆盛」、宇宙を拓く──Space BD代表・永崎氏が語る、“一生青春”の経営哲学
- Space BD 株式会社 代表取締役社長
あのRAKSULで「セールス」の存在感が急騰!──既存の顧客セグメントから拡張し、数兆円規模の法人市場の攻略へ
【独占取材】メルカリの0→1事業家・石川佑樹氏が、汎用型AIロボットで起業した理由とは──新会社Jizai立ち上げの想いを聞く
- 株式会社Jizai 代表取締役CEO
「オープンイノベーションに絶望したあなたへ」──協業に泣いた起業家が、起業家を救う?UNIDGEに学ぶ、大企業との共創の秘訣
- 株式会社ユニッジ Co-CEO 協業事業開発 / 社内新規事業専門家 連続社内起業家