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【事例】理念で飯は食えるのか?──5,000人を超えるグローバル企業・サトーグループに学ぶ、組織を一枚岩にする「WHY」の重要性

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インタビュイー
羽生 光孝
  • サトーホールディングス株式会社 企業理念推進部 

1977年 サトー(現:サトーホールディングス)に入社。サトーひと筋47年目の営業畑出身ベテラン社員。2代目社長 藤田 東久夫氏の「企業理念を浸透してくれ。」の遺言から、当時の企業理念室を立ち上げ、国内・海外に企業理念の浸透活動を行った第一人者。

小竹 美穂
  • サトーホールディングス株式会社 企業理念推進部 部長 

1999年 入社。技術畑出身で、現場に重きを置く、パワフルなムードメーカー。「現場への理解度が高く、想いの強いリーダー」として、羽生氏に抜擢され、今でも企業理念の浸透活動を続けている。

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大企業に組織開発コンサルティングを提供しているin3では、昨今の不確実な経済・社会情勢においても、その先の成長を目指して積極的に動き出す変革現場のプロジェクトを多く手がけている。その中から3つの象徴的な事例を、連載でお届けする。

1作目のテルモ事例記事に続く本2作目は、サトーホールディングスの理念浸透に迫る。世界バーコードプリンタのシェアトップクラスを誇るグローバル企業の同社。連結従業員は5,000人を超え、世界90の国・地域で事業を展開している。

サトーグループの一員として大切にする考え方、行動の仕方をまとめた「サトーのこころ」を約13言語に翻訳。『会社を良くするための創意・くふう・気付いたことの提案や考えとその対策の報告』を社員が127文字で毎日社長に提案する「三行提報」などユニークで他社が真似するのが難しい文化を保有している。

もともと企業理念やクレド(行動指針)を重視する社風で、創業者が代表を務めていた50年以上前から、経営理念を掲げる経営、今で言う「パーパス経営」を行ってきた。

ところが2000年代以降、経営者が代替わりしていき、組織の規模がグローバルに急拡大した。その中で地域の文化の違い、あるいは入社年度の世代の違いにより、企業理念の浸透度合いに差が生じてしまっていた。コミュニケーションコストがかかり、ビジネスにも影響を及ぼす。その課題を看過できなくなっていた。

本来のサトーが持っていた、魂のこもった企業理念をもう一度、組織の隅々にまで浸透させる必要がある。そんな背景のもと立ち上げられたのが、今回の主テーマである企業理念推進室(現:企業理念推進部)だ。

今一度、原点回帰とばかりにその課題に立ち向かった結果、今や現場の社員が自ら「サトーの存在意義」を語るまでになった。その軌跡と裏側に迫る。

  • TEXT BY YUICHI YAMAGISHI
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
  • EDIT BY TAKUYA OHAMA
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企業理念推進室発足。
浸透度合いにギャップがある凸凹コンビで始動

「企業理念をもう一度、サトーに定着させてくれ」──。

2011年、2代目社長だった藤田 東久夫氏は、この遺言をサトーのCEOに託した。

90年代までは、創業代表の佐藤 陽氏と、その薫陶を直に受け2代目を受け継いだ藤田 東久夫氏が、まさに「生ける経営理念」の如くサトーグループの成長を強力に牽引した。

しかし一方で、2000年以降はM&Aなどによって事業を急拡大・グローバル化させるに伴い、サトーの理念は隅々まで浸透しきらずに、一部では形骸化し、時にはM&Aによる他社の悪しき文化が垣間見える様になってさえいた。

実際、2000年以降に入社した社員からは「ただ理念を唱和しているだけだった」と痛烈な声も。

サトーの前身となる佐藤竹工機械製作所の設立は1951年。もともと竹製組立箱の製造から始まり、「発明家」でもあった創業者の佐藤 陽氏は、常に新しいビジネスを打ち立てていった。60年代にハンドラベラーを売り出し、世界へ進出する原動力に。ハンドラベラーとはコンビニやスーパーで使われている、商品の値段や消費期限をラベルに印字し、貼り付ける機器だ。

97年には東証一部(現:プライム)上場を果たし、現在のサトーは自動認識ソリューションで国内シェアNo.1企業に。「自動認識技術」とは、バーコードやRFID、画像認識などを通じて自動で情報を認識・入出力する技術を指し、モノや人に情報を紐付け、さまざまな業務アプリケーションを現場で支えるのが「自動認識ソリューション」だ。集めた情報を活用し、顧客課題の解決を支援するビジネスモデルである。

2016年に企業理念推進室(現:企業理念推進部)が立ち上がり、ほぼ同時期にin3が支援を開始。企業理念推進室とは文字通り、理念を推進するミッションを背負ったチームだ。

推進役のメンバーに選ばれたのは、1977年入社でサトーひと筋47年目の羽生 光孝氏と、1999年入社の小竹 美穂氏。営業畑出身のベテラン・羽生氏と、技術畑出身の中堅・小竹氏は、まさに刑事ドラマのバディさながらの凸凹コンビである。

羽生氏は、企業理念推進室が立ち上がった経緯を次のように振り返る。

羽生私は創業代表・佐藤の時代からサトーに在籍していますから、佐藤の言動や態度がそのまま経営理念であり、彼の発する言葉が現在にもつながるクレドそのものでした。

一方の小竹氏は、「正直、企業理念を受け継いだ感じがそこまでなかった」と振り返る。

小竹私はこれまでサトーの技術職として、ひたすらお客さまに向き合ってきただけです。理念を唱和することはありましたが、サトーに在籍してきた20年間で理念を意識して仕事をしていたわけではありませんでした。

羽生経営理念が当たり前のように存在していたのは、“佐藤イズム”を直接注入されたぼくらの世代までです。2000年代以降に社長が代替わりしていきましたが、経営理念は浸透しているものだとばかりにみんな信じていました。

1990年代、日本経済がバブルの崩壊に見舞われながらも、サトーは東証上場を果たすことが出来ました。しかし、この間に海外市場は競合他社の躍進を許してしまいました。私たちの中では「失われた10年」と呼んでいます。2011年に2代目社長の藤田が亡くなりましたが、当時サトーの社長に着任した松山に、遺言で次のように伝えたそうです。

「企業理念をもう一度定着させて欲しい。そうでなければサトーは今後、ミッションに基づいた経営を行えなくなる」と。藤田の想いを受け、松山は営業畑出身の私に企業理念室の発足を命じました。「国内外で現場の実践実務に精通し、企業理念の想いが強いあなたにお願いしたい」と言われ、すぐに私は相棒探しを始めました。そして、技術畑出身の小竹を企業理念推進室の中心メンバーに抜擢しました。

グローバル化をさらに推進するためにも、企業理念や価値観の浸透は不可欠だった。2012年、松山社長時代にクレドが制定され、16年に企業理念推進室が立ち上げられた。

羽生2001年から、藤田は失われた10年間を取り戻すべく、海外事業強化策に舵を切りました。M&A(合併と買収)を盛んに行って、事業規模は拡大していきました。ところが、売上は成長するものの、異なる文化をまとめるノウハウがまだ無かったんです。現地のマネジャー任せにして大赤字を出しているグループ会社もありました。

そこで2008年に、当時の社長から命を受けて、役員として事業を安定化させるために現地に乗り込んだんです。すると、日本のサトーとは企業文化や価値観がまったく異なり、ベクトルが合わない。仲間たちの協力を得て、数年かけて黒字化に成功しました。

サトーの存在意義や価値観を共有しないと組織運営は上手くいかない。そのことを身をもって体験してきました。その経験を買われて、理念推進室の室長を任されました。

理念を知るものと知らざるもの、その二人から企業理念推進室は始まった。

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目的と課題感は一致するも、進め方が合わない。
解決したのはサトーの「歴史を振り返り・将来を考えるワークショップ」

企業理念推進室で具体的にどんな支援や取り組みを行うべきか。サトーのビジョンやミッション、つまりサトーの存在意義を、どうやって世界にまたがる現場の隅々にまで浸透させるか。M&Aでもともとは異なる企業同士・文化だったところをどうやって融合するのか。世代間や立場の違いによる理念浸透のギャップをどうやって埋めるか。

羽生氏と小竹氏の議論は白熱した。自由闊達さゆえに、意見が衝突することもあった。しかし、むしろそれが良かった。なぜなら、そのズレこそが課題の根っこにある部分と同じだったからだ。

羽生目指すべき目標の認識に、お互いのズレは最初からなかったんです。ところが、同じ目標に向かおうとしているにも関わらず、見ている場所がそもそも違いました。

私は日本の高度経済成長期を経験していますから、ビジネスをつくり上げていく成功体験の感覚が強く残っているんです。視点も視座も、経営寄りです。

小竹羽生に対して私は現場経験が長いので、現場で支えてくれている、経営上の数字には現れにくい力や、本来発揮されるはずのポテンシャルが気になっていました。

私が海外の現場へいくと、理念に対する現地メンバーからの質問に何も答えられないことがもどかしく、悔しい思いをしました。自分は何も分かっていない、その上、言葉が通じずに嫌われる。きっと、海外に赴任していた本社の他のメンバーも同じ思いをしていたはずです。

小竹氏は、「通じ合えなかった、理解し合えなかった」という経験を元に行動を始めた。まずは現地のメンバーがサトーを知るために、サトーが大切にしてきたことについて、歴史を通じて理解を深め、将来について考えるワークショップ(以下、歴史ワークショップ)をin3と共に開発・展開。その上で、分からなかったことをハンドブックにまとめれば、メンバーに伝わるし、実践できるのではないかと考えた。

そこで小竹氏は、まず歴史ワークショップの検討に入った。

ワークショップの様子(提供:サトーホールディングス)

ところが当初、羽生氏はそのワークショップを作ることに肯定的ではなかった。

羽生反対したというより、最初はイメージが沸かなかったんですね。課題感や目的は一致していたものの、どういった手段で達成するのか。なかなか合意に至りませんでした。

小竹3カ月もの間、in3さんにも相談しながら、羽生を説得し続けました。

歴史ワークショップの企画が完成すると、すぐに海外へ展開。サトーを好きになってくれる人が一気に増えた。その後参加者からの質問や疑問をまとめたものがハンドブックだ。

羽生ハンドブックと歴史ワークショップを作ってみたら、小竹のやりたかったことに納得しましたね。これをきっかけに、わたしもたくさんのアイデアが出てきましたから。

企業理念推進室の二人の間にあるギャップそのものこそが課題を象徴し、課題を浮き彫りにする原動力そのものになっていた。

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理念にフォーカスした対話を目指す1on1、
『チャレンジ行動プロセッサー』を導入

羽生氏と小竹氏は、理念を浸透させるために、まずはワークショップを実施することを決めた。2017年、2018年、2019年と三度、世界を回った。

どのようなワークショップの内容にするのか。ファーストステップでは、「サトーという企業は何のために存在するのか」、その存在意義を言語化し、共通の価値観やクレドを改めて確認した。

次に、言語化された理念を定着させていく過程に移る。ワークショップのファシリテーションを行うために二人は海外へ飛んだが、基本的には別行動だ。

これは2代目社長・藤田の教えを守ってのことだった。

羽生出張がある際、「複数名で一緒に行動してはダメだ」と藤田は言うんです。なぜなら、各自が一人で出向いた方が緊張感が高まるからです。人数が増えると目的意識が薄まってしまうからだと。

海外出張の効果は「人数の2乗分の1」という法則を藤田は説いていました。1人でいくと100%の効果が発揮される。ところが、2人でいくと、2人の2乗で4分の1、つまり25%の効果だと。大人数でいけば良いわけではない、フライトと日にちは分けて別行動しなさい、というのが教えでした。

もちろん、現地で合流することもある。そんなときは、二人のチームワークの良さが息ピッタリに発揮された。

チャレンジ行動プロセッサ実施の様子(提供:サトーホールディングス)

小竹数十年在籍している元役員の羽生が本社から来たとなると、現場メンバーはやはり気構えて緊張してしまいますよね。

羽生それで、小竹は早めに現地入りして、現地メンバーと気さくに話をして打ち解けてくれて。社員と食事したりなんかして、雰囲気をほぐしておいてくれるんです。

歴史ワークショップは、サトーの歴史を振り返る中で、企業のアイデンティティについての認知と共感を図るためのオリジナルのグループワークショップのほか、もう1つ推進室で推し進めたのは、「チャレンジ行動プロセッサー(以下、プロセッサー)」だ。プロセッサーとは、現場の上司と部下が1on1でコミュニケーションを図るためのオリジナル対話ツールだ。

サトーには、メンバーたちの良い行動を拾い上げ、讃えるという狙いで社内表彰制度がもともと存在していた。企業理念推進部はこの表彰制度の対象をグローバルに広げ、名前も「クレドアワード」にあらためた。in3の提案により、単に良い行動ではなく、クレドをどれだけ体現したかという選考基準を設けた。同時に、アワードへのエントリーの前に、個々がクレドを体現した行動をとれていたかを振り返ることができるようプロセッサーが開発された。

プロセッサーが現場に浸透していく過程で、上司と部下のコミュニケーションは実際に高まり、理念を通じた部下の行動を上司が承認できるようになった。

小竹社員は、この方向に進んで良いんだと思うことで、自信を持って行動を推し進めることにつながります。行動が、理念の体現になっているのかどうかを意識すること、振り返ることができるようになるための役割を、企業理念推進室が推し進めました。

羽生チームで抱えている問題にぶつかったときに、「人まねをしても競争優位なんて作れないよ?どうやって戦うんだ」って議論をするときのためにクレドが必要。「俺の意見では〜。私の感覚では〜。自分の体験では〜。」と意見を述べても時代によって社会環境は変化するので、その時の行動は余り参考になりません。

しかし、行動の原動力としてのクレドはいつの時代も不変であり、共通の価値感や行動規範として大変有効であることが、改めてわかってきました。行動の理由付けの根拠となるものとして、クレドを常に意識することは必要です。

理念やクレドをただ伝えるのではなく、自分ごと化し、共通言語にするための取り組みが行われた。

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世界中でWHYの説明が不要になった。
「気づけた人」の一歩は大きい

多様なバックボーンを持つ社員たちが集まっているという前提の中で、価値観をすり合わせ、同じ方向を向くのに必要なのが「WHY(なぜ)」だ。なぜ、その行動やタスク、プロジェクトを行う必要があるのか。その理由付けと納得感が必要になる。

上意下達やツーカーの仲は通用しない。WHYはモチベーションの源泉であり、パフォーマンスに影響を与える。

羽生M&Aによってサトーに入った社員は異なる文化を持っていますから、頭ごなしに「過去を忘れてサトーの理念を学べ」と言っても衝突するだけです。「今までの良い文化は残して、サトーと合体して新しい文化を作ろう」と伝えると、皆が素直に共感してくれました。「サトーにはいい文化がいっぱいありますね」と肯定的に捉えてくれるようになったんです。

実際の「三行提報」(提供:サトーホールディングス)

海外事業でマネジャーを務めるある社員からは、こんなコメントもあった。

「理念を浸透させる活動がなければ今のサトーはなかった。企業理念の浸透以降、事業を推進する上で必要な協力依頼をする際に、各国の現場メンバーから、以前はしばしば求められたWHYの説明が、ほとんど不要になりました」

こんな例もある。サトーには、自部門のメンバーを対象に企業理念の浸透活動を行う企業理念推進リーダー(SATO Values Leader)がグローバルで100名余活躍している。ある時、インドネシアのSATO Values Leaderが、コロナ禍に伴う日本人責任者の帰国で、自分がチームをまとめる立場になった。突然のことで、やり方が分からない。どうしよう、と悩んだときに、企業理念に向き合った。それを自分の言葉でチームメンバーに向けて言い続けた結果、まとまった。そのときに彼は、企業理念の重要性が身にしみて理解できたという。

その経験以降、彼の視座は高まり、コミュニケーションの仕方や、メンバーを褒めることの大事さを学ぶなど、すべての姿勢が見違えるようにガラッと変わった。

理念の浸透を始めてから、現場のメンバーが自ら「サトーがなぜやるのか」「ワンサトー(1つのサトー)」と語るようになった。

羽生「より豊かで持続可能な世界社会の発展に貢献すること」と、今ではどの企業でも言っていることをサトーでは半世紀も前から言ってきました。50年以上も前から、パーパスを伝えているのです。だからこそ、理念が浸透して自ら考えて動いてくれるようになるだけで良かったんです。その国の事業が持つそれぞれの課題解決を実行するだけで、お客さまから「サトーさんありがとう」と言われることがその証拠です。

小竹本質に気づけた人の一歩は大きいんです。気づけるチャンスが今までなかっただけです。興味を持って主体的にやり始めたことであれば、没頭し、自ら調べ始めるんだと思います。その素質をみなが持っています。私も、人から言われてやるのは大嫌いな性格なので(笑)、よく分かります。

WHYとはまさに行動理由そのもの。クレドによって行動指針が示され、浸透したことで世界中のメンバーとのコミュニケーションはよりスムーズになった。

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「行動」が「文化」に変わるまで、サトーグループ5,000人超のメンバーに向けて、伝え続ける

ビルディングピープルがビルディングビジネスを後押しするという考え方(人を育てビジネスを築くという考え方)はサトーにもともとあった。だから、企業理念推進室はそれを言語化し、風通しを良くしただけの活動にも見える。しかし、シンプルなのにこれをやれている企業はあまりに少ない。

羽生「一致団結したほうが、売り上げも利益も出る」と頭ではわかっていました。でも最近やっとそれが肌で感じられるようになってきましたね。

理念の理解が深い人、あるいは理解しているつもりのメンバーは「なんでそんなことも分からないの?」と、まるでそれが一般常識かのように仕事を進めてきました。

小竹でも、そもそも文化が異なる。年齢も世代も人種も国も言語も育ってきた会社も違う。その前提の上に立ち、「価値観も文化も違うからこそクレドに沿って行動しましょう」ということなんです。

そもそも理念とは、教えるものではなく、気づいてもらうものです。クレドも然り。しかし、その理解の浸透を促すための行動を続けることはかんたんではありません。

私も最初は、理念を知りませんでした。でも徐々に気づいていきました。教えるのではなく気づいてもらうためには、メンバーを引っ張りださなきゃいけない。引っ張り出すために、ワークショップを行う必要がありました。伝えたというより、一人ひとりが行動で示してくれた。そのことが、この取組の成果です。

一方で、全てが解決したと考えているわけではない。

小竹どの企業も独自の企業文化があると思いますが、サトーの場合は、藤田の著書「サトーのこころ」第五章にある「サトーのエスプリ」に書かれた考え方。ここに書かれている項目がサトーの文化そのものなんです。

サトーの企業理念浸透がうまくいっているとしたら、それは過去の貯金のおかげなのかもしれません。今はまだ、羽生のように創業者の想いに直に触れた世代が残っています。いつかはこの世代の社員は会社から去る。そこから先、どうするか。なにもしなければ、「理念で飯が食えるか」と目先のビジネスを追い、会社の存在意義を忘れてしまう。そんな未来もあり得ると思います。

羽生例え話ですが、日本代表のサッカーも野球も、選手の能力の平均値だけを見たら、必ずしも他国より優れているわけではない。でもチームワークの力で想像を超える活躍を見せてくれたのではないでしょうか。

これと同様のことをやるためのものが、理念活動やクレドの普及です。始めてみた頃は奇跡の道のように思えるかもしれません。しかし繰り返していくと、それが当たり前の実力になっていきます。だからこそ、私たちのような地道な活動が必要なのです。

「繰り返し伝える」というクレドの実践で、羽生氏、小竹氏の両氏も気づきを得てきた。

小竹毎年同じことを言って、同じことを伝えています。翌年にも自分たちの活動記録を見て、お互いに気づきあって、今があるんだと思います。企業理念推進部は同じことを繰り返してきました。当社には社員が毎日会社に対する提案を3行程度にまとめて提出する「三行提報」という仕組みがあるのですが、企業理念に対する社内からのポジティブなコメントが年々増えています。これも繰り返しの賜物かもしれません。

どんなに良い理念でも、伝わっていなければ意味がない。

文化は大抵の場合、言語化すらまずされていない。しかしサトーはもともと、「サトーのこころ」で言語化されている。言語化された文化が根っこにあり、脈々と受け継がれている。サトーほどの大きな企業で、理念とビジネスモデルが合致していて、その文化のつながりを感じられるケースはあまりない。

どうすれば伝わるか。サトーグループの5,000人を超える従業員の行動が文化に変わり、さらなる事業成長が実現され続けるまで、企業理念推進部は伝え続ける。

こちらの記事は2023年05月30日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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執筆

山岸 裕一

写真

藤田 慎一郎

編集

大浜 拓也

株式会社スモールクリエイター代表。2010年立教大学在学中にWeb制作、メディア事業にて起業し、キャリア・エンタメ系クライアントを中心に業務支援を行う。2017年からは併行して人材紹介会社の創業メンバーとしてIT企業の採用支援に従事。現在はIT・人材・エンタメをキーワードにクライアントWebメディアのプロデュースや制作運営を担っている。ロック好きでギター歴20年。

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