“トレードオン”は、意外と難しくない──
一人ひとりが新たなチャレンジを続ける『STUDIO ZERO』3名のキャリア実例に、「WANT TO」の重要さを学ぶ
競争の厳しいスタートアップ界。経営者もメンバーも、常に変化が求められる中、キャリアについて悩みを抱えるタイミングが多くあるはず。
そんな中、よくあるトレードオフ構造にハマってしまうことなく、経営者・事業家として自由かつ本質的なキャリア開発を実践するロールモデルが存在する。上場スタートアップの代表格であるプレイドにおいて2021年に立ち上がった事業開発支援組織『STUDIO ZERO』の面々がまさに、「本質的なキャリア開発」を体現している。
そこで今回、代表の仁科奏氏、CX Directorの藤井陽平氏・三木良平氏の計3名をお招き。2024年2月に開催したFastGrow Conferenceにおいて<経営者を目指す20代が身につけたい「トレードオン」思考>と題したセッションを実施した。仁科氏はプレイドの中心メンバーとして躍動しながら一時は別のスタートアップに移って企業経営を経験。藤井氏は大手広告代理店の経験を活かしてプレイドでの新規事業にフルコミット。そして三木氏は大企業/ベンチャーを行き来しながら新しい挑戦を継続。
そんな3名が担う仕事の詳細を聞きつつ、そのキャリアの軌跡と思想から、二者択一ではなく常にWin-Winを狙う考え方を会得したい。知見や刺激にあふれたセッションから、後半で話された「トレードオン思考」に関するキャリアの話題について、アジェンダの流れのみ入れ替えつつ、ほぼそのまま記録した。
- TEXT BY KAORI NAKAMURA
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
トレードオン思考で重要なのは、「思い切って手放せる」こと
初めに藤井氏が、新卒時代まで振り返りつつ、そのキャリア志向について語っていく。
藤井今日はセッションのテーマに20代というキーワードを入れていて、学生や20代、あるいは30代前半で、どういう意思決定、どういう考え方をしたのかに興味を持った方がいらっしゃると思います。
その前提として、“トレードオン思考”の話を先にします。トレードオフという言葉は言い換えると二者択一。一方でトレードオンとは、二律創生や二律両立とも言い、この中間にある考え方あるいはこの両方のメリットを採用するという考え方を指します。
藤井今日、キャリアの話をする中で、今までの人生の選択を考えた時に、Aがいいかな、Bがいいかな、と悩んだ経験がある方が多いはずです。どちらにしようかと考えて、どちらかを選ぶという行為が多いと思いますが、私はどちらもやりたくて、双方を取ってきたんです。今まで自分が選択してきたのは、AとB、どちらも活かせるものは何かという選択の仕方をしてきた、そんな話をしていきたいと思います。
僕は新卒で博報堂に入社しました。広告会社を選んだ理由は「事業を創出していく会社はあるが、中でも広告会社は、世の中に事業アイデアをストーリーテリングで伝え、顧客に提案する能力が長けている」という思いがあったからでした。同時に、将来事業もやりたいし、自分が主体に何か新しいものを世に生み出したい、という気持ちもありました。
最初の部署は、ブランディングを専門とする組織でした。入社当初「君の言っていることは正しそうだけど、面白くないね」と言われていましたね(笑)。面白さ、それは世の中にとって一般的な型にハマった正解ではなくて、生活者に響く生活提案をどれだけ発揮できるか。その思想を学んでいくのが私のキャリアの最初の挑戦でした。
藤井一方で、やはり自分で事業に携わりたいという気持ちは捨てきれなかった。 自分で事業をつくりたいし、もっと学習量も増やしたい。このニつのわがままを叶えられるのが、社内の新規事業でした。新卒2年目の時に、社内新規事業開発コンテストを通じて、会社を立ち上げます。そこで、0→1の組織・事業をつくることが次の挑戦でした。ありがたいことに、キャリアの中で早いタイミングで自分の挑戦を実装する機会を得られたのです。
その後31歳でプレイドに転職したのですが、 自分の中でも大きな決断でした。それは自分のアイデンティティを手放す、ということ。今振り返っても苦渋であり、良い決断だったと思っています。社内で起業して、ある程度自分でできるという経験と自信があったのですが、ふとした時に「自分は井の中の蛙なんじゃないか」という気持ちを抱くこともありました。 今まで培ってきた領域やスキルを手放して、次のチャレンジをしないと、30代としての成長ができず、踊り場で停滞するのではないかという気持ちがありました。
手放すという意識を、勇気を持って選んだのですが、この感覚はもしかしたら誰しもが共通して経験する気がします。小学校は6年間で終わりますよね。中学校に進級すると、小学校という自由な環境から、中学校・高校という規則の強い環境に身を置き、気持ち的にも一新する転換期があると思います。小学校の6年、中高の6年と、6年というのは自身の切り替わりのサイクルなのかもしれない。
藤井社会に出て自分が経験した先に、どう次に応用していくか、そう考えるタイミングが20代後半〜30代前半だと思います。みんな転職するべきという話でなくて、このタイミングに自分の得意なものを手放し、アンラーニングしていく挑戦のタイミングがあるんです。 トレードオン思考の問いになるのですが、自分が培ってきたことの何を続けて、同時に何を手放すのか?このいい塩梅を探し、考えることが大事なのかもしれないです。
続いて三木氏も、新卒時代のエピソードを含め、キャリアの捉え方について語った。
三木私も京セラドキュメントソリューションズという大企業に新卒で入りました。BtoBの企画営業等に携わる中で、皆さんもそうだと思うんですけど、2年目くらいに成果が出始めると思うんですよね。その中で、会社のネームバリューのような看板がない状態で自分自身のポテンシャルを最大限発揮してみたいと考えるようになりました。そして26歳で転職しました。
三木2社目のベンチャー企業のカルチャーは、出社時間も自由だし、出社初日にスーツで行ったらみんなに変な目で見られる、全く別の環境になりました。一方で、大企業の時に培ったような事業へのコミット力というのはこういうベンチャーに行っても、ちゃんと機能するなと思ったのが正直な感想でした。
マーケットも伸びていたこともあり、事業もうまく成長していく中でさまざまな経験値を積むことができ、27~28歳ぐらいで一部の事業組織を統括するようなことも経験させてもらいました。そんな中、会社が上場して社員数も増えて企業としては成長していたんですけど、更に事業に向き合うチャレンジをしたいと思って、転職することを決めてプレイドへ転職しました。
プレイドでもさまざまなミッションに向き合ってきた中で、3年ほど働いた上で実はプレイドを一度辞めています。その時に辞めた理由は、プレイドの環境が「整い過ぎている」と思ったから。
自分のポテンシャルを最大限活かしてくれるんですけど、自分自身のキャリアに勝負をかけるんだったらもっとハードな環境がいいだろう、と。そして次の企業で働いている時に、自分で会社をやろうと思ったんですよね。ガバナンスを自分でつくったり、価値を作り上げるところから考えて行動してみたい。そんな思いから起業の準備をしている中で、仁科やプレイド取締役の高柳と色々会話する機会があり、結論プレイドに復帰することにしました。
自分自身の今の状態や環境を考えると、プレイドのカルチャーや人が構成する環境というのは、これから自分が何をやるにしても非常に大きい魅力だったし、私が知る以上ではこれほどにいい環境はなかったです。
仁科氏のキャリアについても確認していこう。三木氏と同様に、一度プレイドから離れ、また戻ってきたという経歴を持つ。
仁科僕は、40~50歳ぐらいで「日本に新しいインフラをつくろう」って勝手に決めています。そこに向けて必要な要件を満たすところが今までのキャリアです。プレイドに入った後にMBAを取ったのも、いちスタートアップの営業責任持っていても、所詮数十億円の売り上げを数年でつくっても別にインフラと呼ばれるものにはならないんですよね。
ですので、世の中のもっとすごい人たちの叡智が結集されている論文を一気に数百本以上読んで、自分のすぐしたいことに向かうための近道を手に入れようと思いました。プレイドでは『KARTE』の営業という領域においてナンバーワンであり続けたし、価値も出し続けた感触があったので、変に残り続けて慢心になる前に「これはもうやめた方がいいな」と。そういう人間は自分が気づかないうちに組織のお荷物になっちゃいますから。
過去に読んだ本などによると、組織が持続可能的に発展をしていくにはリーダーは建設的に入れ替えをしなきゃいけないとのこと。サクセッションプランと言うんですけど、それを人に言われるのか、自分でやるのか。僕は後者がかっこいいなと思ったんで、そこでキャリアプランの選択においてプレイドから外に出なきゃいけない、と決めました。
当時26歳か27歳ぐらい。そのまま残ってプレイドでビジネス全体を統括するCOOのポジションを目指すというアイデアも自分の頭をよぎりましたが、将来新しいインフラを作ろうと思った場合にビジネスサイドだけの経験で良いのだろうかと不安に思いました。
その時気付いてしまったのが、コーポレートの役員経験がないこと。すなわち、営業はすぐできるんだけども、ファイナンスがわからない。組織設計できない。これでは、将来新しいインフラを生み出すような企業経営を全くできないなと。
仁科そこで、懇意にしているヘッドハンターの方に相談したところ、PR TableのCFOポジションをご紹介いただけたので、内定が出た直後に弊社代表にすぐ卒業報告に行きました。ただし、当時プレイドのビジネスメンバー全員に報告する際には、プレイドのことが大好きだったけど自分が実現したいミッションから逆算した意思決定を追い求めさせてもらいたい、ということを伝えながら、もうワンワン泣きましたね(笑)。
そしてPR Tableへ移ったら、すぐにコロナで大変だったんですけどすごい成長があったし、結果を出せなかったら自分の評判が全部消える、みたいな経験を27歳ぐらいから29歳ぐらいまでに経験できました。なんとか消えなくてよかったな、とサバイブした感覚がありました。
そんな中、プレイドの創業者である倉橋から上場後のプレイドの在り方をブラッシュアップしたいと相談を受けました。壁打ちを進める中で、彼が抱えている課題は自分でスタートアップを起業・上場することよりもはるかに難しいイシューだと感じました。
これは新しいインフラをつくるには必要なハードシングスで、自分で起業するよりもそちらのほうがハードだろうと感じられたので、プレイドに戻りました。そっちの方が僕の人生ミッション的に適切かどうかで判断をしました。プレイドが好きだから出戻りたい、という感情的な思考は当時全くなかったですね。
ファーストキャリアと同じくらい大切な“ゼロキャリア”
トレードオン思考の理解を深めていくため、まず前提として3名のユニークなキャリアを振り返った。ここから、会場の質問にも絡めて、それぞれの考えが披露され、ディスカッションが進んでいく。
仁科ここまで、それぞれのキャリアについて話してもらいました。では、ここで会場からの質問にも絡めながら、深い議論をしていこうと思います。まずは「社会人としてスタートダッシュとなる20代、何が一番大事ですか」という質問。藤井さん、どうですか?
藤井明確に答えられるものがありますね。ゼロキャリアという言葉をよく使います。 ここにいる皆さんは、ファーストキャリアとして会社に入り、そこで自分がやりたいと願ったキャリアの柱を身につけますよね。一方で、もう一つ別の柱を持つということの大切さがあると思うのです。ファーストキャリアの前に、自分の拠り所になる、これが自分の“好き”である、得意である、という経験を見つけることが重要だと思うのです。
これは30代で自分がキャリアをピボットしたいと思った時に、拠り所としてのゼロキャリアがあると非常に道筋が見えやすい。あるいはファーストキャリアの中でも好きや得意の経験は活かせますよね。自分が仕事として突き進むものと別の軸を持つというのは、極めて大事なキャリア戦略だと考えています。
仁科面白いですね。ちょっとテック的に言うと、自分にとってのOSを磨きつつ、どういうアプリケーションを載せるのか、みたいな話ですよね。
三木言い切っちゃうと、私は特定のスキルを身につけるという意味での自己成長できるかというところを軸に置かない方がいいと思うんです。
これは最優先としておかない方がいいという話で、要は自己成長できるかって観点でキャリアを選んでしまうと、自分基点のコミュニケーションになってしまうと思うんです。自己成長って結局は今自分ができないことや、正解がない問いに対して思考して意思決定して行動していく中で起こる現象だと思うので、そういう環境にコミットせざるを得ない環境に身を置くことが大事だと考えています。
そういう環境というのは、組織であれ事業であれその環境が目指している長期的なビジョンやミッションに対してワクワクできるか、という観点で考えるのが1番いいんじゃないかなとは思いますね。
仁科面白い。深くコミットしろみたいな話が面白いと思いました。
「WANT TO」と「CAN」のキャリア論
藤井「キャリアにおいてプレイド社に戻った理由はWANT TOを満たすため、プレイド社を抜けたことはCANを増やすため、という大枠の認識があるのですが、ここにキャリア設計のヒントがあるように感覚的に思いご質問です」という質問はすごくいいですね。
藤井CANを増やすために、転職したり居場所を変える行為には、消費期限があります。例えば、何かできるようになりたいと考え、会社を選ぶ。すると会得したかったスキルはある程度は1年ぐらいで身に付く。そうなると、目的が達成されてしまい、そこでモチベーションが止まり、辞めるか次を探す選択肢になる。CANを元にして意思決定するのは危険だなとは思います。
大事なのはWANT TO。何を解くかということですね。我々はよく“解く”と表現しますが、何を解くか、を前提で考えた方が自分のキャリアを長く捉えられる。逆にCANで捉えるとすぐ終わる。スキルが身についているだけで、何か解いている状態にはならないので、あまり世の中に貢献してないですよね。何を解きたいか、解けるようになるか。これ前提で考えていくということが大事で、 CANで考えない方がいいかなと思います。
仁科うちの会社ではよく「スキルは誤差」と言っています。別にこれはデザイナーやエンジニアの専門職のスキルのことを否定しているわけではなくて、AI全盛期のため今までの仕事のスキルがもう通用しなくなる時代がやってくる可能性も高いので、CANはそんなに競合優位性にならないんです。お金をちょっと積めばCANだけしたい方はすぐ採用できるんですよ。でも、それって自分の一部分をただ切り売りしているだけなので、業務委託などでも代替可能なんですよね。
だから、みなさんそれぞれがWANT TOを見出し、キャリアを考えていくのが大事だと思います。
STUDIO ZEROについて気になったら
こちらの記事は2024年04月09日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
執筆
中村 かおり
写真
藤田 慎一郎
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