「環境選び」で妥協しない──STUDIO ZERO上田氏・新井氏らから学ぶ、大きな変革を最短距離で生み出すキャリアの歩み方

登壇者
仁科 奏

早稲田大学大学院経営管理研究科(MBA)修了。NTTドコモにて営業企画職、Salesforceにて営業職とカスタマーサクセス職を経験後、プレイドに参画し、営業をリードしながら事業成長に貢献。その後PR Tableに執行役員CFOで入社し、CPOなどを兼務しながら事業成長を実現。再度プレイドに復帰し、事業創造・事業共創を行うSTUDIO ZERO事業を立ち上げ、管掌している。

上田 淳志

佐川急便株式会社にて現場から本社管理職を経験し、大手企業との事業共創により環境負荷低減など次世代サスティナビリティな取組実績を有している。また、SGホールディングス内事業会社を横断したプロジェクトチーム「GOAL」の立ち上げメンバーとして、物流の最適解を提供する新規プロジェクトに10年間事務局を担当し、年間数百億円規模の事業に拡大。全社横断のボトムアップ型新規事業創造プロジェクトの審査員兼伴走役を担当。新規事業開発、営業改革、組織設計、大規模プロジェクトマネジメントなどを得意とする。

新井 政裕

山田コンサルティンググループでの企業再生業務、ミスミでの事業・商品開発業務などを経て、カインズにて事業戦略の策定・実行、オムニチャネル化の実現に従事。ミスミでは中国廉価品市場の立ち上げ、国内マーケットプレイス事業の再立ち上げに成功。カインズでは新業態の構築、既存業態の客注強化に尽力。「泥臭く現場主義」をモットーとしつつも、飛躍的な発想も得意とする。早稲田大学大学院経営管理研究科修了(MBA)。

解きたい社会課題に挑戦するには、どのようなキャリアを歩めばいいのだろうか。そのヒントを、自分のイシューに向き合えている事業家たちのキャリア選択から得ることができるだろう。

日本を代表する大企業である佐川急便、カインズ、ミスミで新規事業立ち上げや事業改革を担い、現在はプレイドの事業開発組織『STUDIO ZERO』での挑戦に身を投じている二人の事業家が、どのような挫折を乗り越え、キャリアを歩んできたのか。その詳細を、2024年8月に開催したFastGrow Conferenceの場で詳しく聞いた。

大きな社会変革を最短距離で生み出すためのヒントを、『STUDIO ZERO』の代表を務める仁科奏氏が、上田淳志氏、新井政裕氏から引き出したこのセッション。ダイジェスト版として気軽に味わい、学びや刺激を得てほしい。

(イベントの模様を抜粋・編集した記事です)

  • TEXT BY WAKANA UOKA
  • PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
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上田氏の「バーテンダー×ドライバー×事業家」という掛け算キャリアとは

セッション冒頭の事業紹介を経て、まずは上田氏が新卒からのキャリアを振り返った。今や上場ベンチャーで新規事業を担う立場だが、キャリアのスタートは「バーテンダー」だったという。どのような成り行きがあったのだろうか?

上田私は今年45歳になるんですが、約25年前の就活時に思ったのは「俺はバーテンダーになる」でした。ホテル専門学校に入り、当時住んでいた福岡のハイアットグループが経営するホテルに勤めることになりました。

その後、夢が叶って20代でバーテンダーになれたものの、「お酒を作る側から飲む側になりたい」と思うようになっていったんですね。いろいろな高級時計や高級車の話はできるのですが、自分で乗ったり持ったりするのは難しい環境だと感じたので。ハイアットに来ているお客様を見て、「ROLEXを手に入れる側の人生のほうがいいな、そうなりたい」と意気込んだのですが、あまり深く考えていなかったので、佐川急便に入ろうと思いました。

そしてそのときの目的は「日本一の佐川急便のドライバーに俺はなる」。入ってみて面白く感じたのは、佐川急便って誰でもできることを誰もができないぐらいがんばると出世するということでした。

配達という仕事自体は決して難しいことではないのですが、「どれぐらい短時間にたくさん配達できるのか」で差がつく。ここで学んだのは、当たり前のことを愚直に、そしてSTUDIO ZERO内でも頻繁に出てくるキーワードとしての「爆速で実行すること」によって、やっぱり結果ってついてくるんだなと。30代はこれを実感した時期でした。

上田氏、イベント中の様子

今の姿からは全く想像できないような社会人初期フェーズを過ごしていた上田氏。そんな中で急に、大企業・佐川急便の東京本社での勤務が始まり、新たな人生が幕を開ける。

上田その後、35歳くらいのときに、東京本社のポジションを得られることになりました。売上が1兆円を超える佐川急便の東京本社で、いろいろな意思決定がなされていくのを見るなか、物流の大切さ、EC事業の伸びによりラストワンマイルを担う大切さを痛感する日々でした。

大企業でできることとできないことを考える瞬間が自分のなかで出てきまして、そこでふと思ったのが、45歳でもまだまだたくさんの挫折と学びを経験したいなと。その中で出会ったのがSTUDIO ZEROでした。

ちょうどその時期に『LIFE SHIFT』という本に出会ったことも大きかったです。人生100年なんだ、60歳で定年退職する人生じゃないんだなと。この本にも書かれていますが、人生では成功は約束されていないが、成長は約束されているから、勉強できる環境、学び合える環境に身を置きたいと考えたんです。

最近はSTUDIO ZEROのメンバーと人生の話をすることが多くて、「悔いがなかったなと思える日々の生き方」が自分のポジショニングや行動原理に繋がっていると思っています。

イベント配信時の様子。上田氏のキャリアを振り返ったスライド

上田今振り返ると、20代や30代でさまざまなチャレンジをさせてもらえる環境に身を置けて良かったなと思いますね。「現状維持って、衰退だな」という感覚はずっとあって、常に前に前にと生きてきた。今こうして話せているのも、チャレンジがあったからこそだなと。

特に20代の「お酒を作る側から飲む側になる」のは大きな挑戦でした。一方で、佐川急便で結果を残せたのは、バーテンダーをしていたからだと思っているんですよ。バーテンダー時代にお客さんの心を汲み取れるような訓練を積んだわけです。今の言葉でいうユーザー目線や生活者目線を当たり前に考えながら仕事ができるようになったのかなと。

一つのキャリアを突き詰める形ももちろんあると思いますが、やはり違うポジションに立ち位置を変えていくといろいろ気付くことがあります。それまでやってきたことも決してゼロにならないので、常に掛け算をしながら、今40代として新たなチャレンジができていると思いますね。

仁科掛け算思考は大切ですよね。私もドコモからセールスフォースに行って、次にプレイドと、当時の自分からするとどんどん聞いたことのない、周りもみんな知らない会社に行く感じだったんですよね。

そのとき、やはりアンラーニングをしなければならない部分は多分にあるんですが、今までの自分の経験を活かせる部分もたくさんある。このことに気付けないと、転職してから沼にハマってなかなか這い上がれない。一方で気付くことができれば、学びながらも少し自分に自信があるから貪欲に学習できる。こうした意識を持ちながらチャレンジしていくのが結構大事な気がしますよね。

上田本当にそうですね。やっぱり若いときは会社の看板に頼っていた自分もいるんですが、今は自分を前面に出していきたいなと思っています。人生100年、100歳のときに何かの看板を背負っている自分の姿はあまり想像できないんですよね。1人の自分として、そのときのパートナーとどのような人生を歩んでいるのか、これが非常に重要だなと感じています。

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常に努力するのは当然。努力をする“場所”を、柔軟に考え、変えていくことこそが重要

バーテンダーから佐川急便のドライバー・本社勤務を経てSTUDIO ZEROへ。大きなキャリア転換を繰り返しながら成長してきた上田氏だが、その過程にあった挫折についても深堀りされていく。

イベント配信時の様子。上田氏のキャリア変遷を振り返ったスライド

上田まずはバーテンダー時代ですが、当時は朝10時出勤で退勤が翌朝2時という今の時代からはあり得ない働き方を当たり前にしていまして、手取りが十数万円でした。ただ、給与に関しても当時はまったくストレスは感じなかったです。

なぜかというと、修行してお金がもらえるなんてありがたいと思っていたから。でも「あのときにこれだけがんばったから」と、さまざまなことに前向きに取り組むための経験になっている感覚は強く、今の自分の原動力でもあると思っています。ただし、「これからも努力はするが、その場所を変える必要があるな」ということを徐々に多く考えるようになっていきましたね。

投資する時間は変わらなくても、その場所を変えるということの重要性をより強く意識するようになったということです。自分のなかで1番パフォーマンスが上がるところはどこなんだろうというのを、常に漠然と考えていました。

次のステップが佐川急便です。管理職、そして上場企業へと会社の成長を運よく本社で見られ、「ガバナンスってこうやって強化されていくんだ」と変化を痛感していました。このときに思っていたのは、「誰と一緒に同じ方向に向かうのか」が非常に重要だということ。佐川急便が急激に変化していくのを目の当たりにする中で、そろそろ努力する場所を変える必要があるなというのがSTUIDO ZEROへのジョインのきっかけでした。

STUDIO ZEROに入ってみてさっそく面白いなと感じたのがオンボーディング。入社時に担当者の安定感がすごかったんですよ。「オンボーディングのプロがいるんだな、この先輩についていこう」と思いました。でも「私、入社したの1カ月前です」と言われまして。

しかも、「次は上田さんがオンボーディング担当ですよ」とその1カ月後に言われるという(笑)。これが面白いなと思ったんですよね。

STUDIO ZEROには何でも自分事としてやっているメンバーしかいないと感じ、これもやはり働く環境によって全然違うんだろうなと。私も入社2カ月後にオンボーディング担当になり、みんなが爆速だからその風に一緒に乗れた。これは環境に起因しているなと思います。

仁科STUDIO ZEROは入社した方にオンボーディング担当が付き、複数の先輩社員たちが入社した方と1on1などでフォローをしていく形をとっていて、オンボーディングプログラム全体の責任者をリレー形式でどんどん新しいメンバーにやってもらうようにしています。その理由は、オンボーディングを形骸化させないためです。受ける側の立場から考えるとは年月を追うごとに情報量が増えていってしまい収集がつかなくなったり、オンボーディングコンテンツが秘伝のたれみたいに濃くなるばかりになってしまったりして、入社時期によっては適切な形ではなくなる危険性があると思うんですよね。

そのため、常に1番ピュアな状態でオンボーディングを経験した張本人が、不要なものを捨てて必要なものを付け加えてアップデートしていくという形をとることにしたんです。そうすると、純度や鮮度の高いオンボーディングコンテンツであり続けられます。本セッションの目的とは脱線しますが、このオンボーディング手法はおすすめなのでぜひ真似ていただければと思います(笑)。(オンボーディングプログラムについて聞いた記事はこちら

ちなみにプレイドの創業者はエントロピーという言葉をよく使うんですが、これは熱力学の第二法則にある概念のことで、物事は始めた瞬間に濁る、すなわち同じ状態には戻れないということ。あらゆる仕事が同じで、何かを始めた瞬間から、始める前の「まっさらな状態」に戻ることができなくなってしまうことを認識しておく必要があると思っています。だからこそ、何かを始めたからには、勇気を持って過去のものを捨て去る役割が必要だと考えており、このようなオンボーディング役割のバトンを渡していく取り組みをしています。こうしたことが、STUDIO ZEROが心掛けているアプローチなんです。

上田ちなみにここまで「オンボーディングの手厚さ」の話をしてきましたが、ここまでやっておきながら興味深いエピソードを1つご紹介すると、オンボーディングコンテンツを整理していた際に見つけた仁科さんのメモが1つだけあります。そこに「手厚くし過ぎないで」という注意書きが残っていたんですよね(笑)。やりすぎてはダメで、そこのバランスを考えさせる。1カ月目は新人の立場だったのが、2カ月目で教える側になり、そこですごく考えさせられるんですよね。それがすごく面白いなと。

仁科STUDIO ZEROの場合はある程度決まったことができるだけの人は求めていなくて、野心があって能動的にイシューを見つけて解きにいこうとしている方を積極的に集めているんですよ。

個人的な仮説なのですが、そういう方ってオンボーディングコンテンツがあまりに整理されすぎているとちょっと飽きると思うんですよね。「ここまで体系化されているなら、別に自分がいなくてもいいじゃん」というように少々モチベーションが下がる可能性があるなと。ZEROに集まっているメンバーは自ら面白い仕事を生み出せる方々なので、ある程度の余白を残しておきたいなと思って、先ほどのようなコメントを社内メモで書き残していました。

ここも企業によって、メンバーのクオリティやミッションドリブンの度合いに応じてその組織独自のカスタマイズした上でオンボーディングプログラムを作っていくと、入社した方々の立ち上がり速度が速くなっていくと思います。

上田そういう環境を好む人達が集まるってなかなかないなと思うんですが、仁科さんはどのように考えて集められているんですか?

仁科うまく表現するのが難しいのですが、「1つの考え方に固執し過ぎていない方々」を求めている感じがありますね。自分の答えをただ押し付ければいいというような人は、マッチしないかなと思っています。「すでに十分強みは持っているけれども、これだけが答えじゃないかもしれない、だからいろいろな知見を学習して新たな別解をつくっていきたいという人」を増やしていこうとしています。

そのためには、いろいろな事業展開が必要になったり、組織の多様なケイパビリティが必要になったりするので、経営していくのは大変なのですが、ある種のこだわりを持って取り組んでいる部分と言えます。

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子を持つことで感じる、「自分ごと」から「社会ごと」への視座拡張

ここからはもう1名の登壇者・新井氏に、新卒時代からのハードなキャリアを振り返ってもらった。上田氏同様に、新井氏もユニークなキャリアストーリーを披露した。

新井私は昭和60年生まれの39歳です。就活時に思っていたのは、「好きなものを売るのは怖い」でした。車やバイクが好きなんですが、それらを仕事で売っていてもし嫌いになってしまったら、自分の趣味がなくなってしまうんじゃないかと思っていたんですね。

形にとらわれるのも嫌で、無形のものを売ろうと考え、1番厳しくも面白そうだと思ったのがコンサルティングでした。また変な話、20代で1番稼げるとも考えて入らせてもらったという感じでした。ということで、20代はとにかく厳しい世界にいました。

私がここまで生きてきた中で思うのが、挫折感っていうのはやはり人をすごく伸ばすなということです。コンサル時代はまさにそんな日々でしたね。くじけたり修羅場にあったり、何か悔しいと思うことが多かったから、強くなれた。逆にそうしたことがないと、人は安穏と暮らしてしまう。まさに今、STUDIO ZEROに入ってからも日々悔しいと思っています。

新井氏。イベント中の様子

新井話を戻しまして、20代は山田コンサルティンググループで、非常に厳しく育てられました。請け負っていたのは企業再生コンサルティングで、生きるか死ぬかみたいな瀬戸際の会社を助けなければならないという難しい仕事でした。あるとき、「よし、再生計画もできた、弁護士さんと一緒にメインバンクに相談に行って資金周りもなんとかなった、一安心だ」というところまで順調に進んだのに、最後の最後に支援先の経営者さん自身がプライドを捨てられなくて実行ができず、結果として破産してしまったということがあったんです。

「俺は一体、何をやっていたんだ」と悔しい思いをして、提案だけではやはりつらい、自分で事業を回したいと思い、事業会社への転職を考え、ミスミに入ることになりました。

今あまり大きな声では言えませんが、当時は夜遅くまで働くこともあり、たくさん働く中で多くのことを学ばせてもらいましたね。プロ経営者への憧れもあって、モチベーション高くさまざまなことに取り組みました。しかし、体はひとつしかありません。ある朝、起きたら右耳が聞こえなくなっていました。そのときはすぐに治ったのですが、また2年後ぐらいに人と話していた際に突然パーンと破裂音が聞こえたと思ったら、高音がほぼ聞こえない状態になりました。

この経験から、戻らないものもあるから、守るべきところは守りながら攻める方向にシフトしていかなければならないなと考えるようになりました。

その後、ホームセンターを運営するカインズに転職します。ほぼ同時に子どもが生まれて自分ごとよりも社会ごとへの意識が高くなるのを感じました。子どもが大人になったときにどんな社会ができるのかというのを考え、自分の能力を活かして社会課題を変えていきたくなり、そんな仕事をやっていけそうだと感じてSTUDIO ZEROに参画したんです。

50代になったら、今度はその社会の育成に携われたらなと考えています。

イベント配信時の様子。新井氏のキャリアを振り返ったスライド

仁科なかなかハードですね。先ほど難聴のお話がありましたが、ミスミさんを選んだことに当時後悔はなかったのですか?

新井なかったですね。やはり20代までは「人生の時間の前借り」のようなものだと思っていまして、20代でどれだけの経験を貯金しておくのか、みたいな部分はすごくありました。当時モノタロウさんが出てきて、そこに対抗するためにミスミがAmazonのようなものをつくろうとしていて、毎日かなりつらかったんですが、それはそれで自分の限界を知れたので。27〜28歳ぐらいのときのことですね。30歳手前でかなりの重責を担えたといいますか、多くの打席に立たせてもらいました。

仁科すごいな、面白いです。その後、40歳の手前で子どもが生まれて世界観がガラッと変わる。ここにはかなり同意で、私にも2人息子がいるのですが、事業を立ち上げて儲かるようにする中で、「儲かり方」への意識が強まった感覚があります。なんと言うか、「しょうもないことをして儲かるような働き方は絶対に嫌だ」と考えるようになりました。

ビジネスマンは全員商人なので、利益をつくるのは義務だと思うんです。その前提条件を押さえたうえで、やっている内容の良し悪しの判断は、法律に触れない場合、自分の審美眼でしかないわけです。その審美眼として、今やっているものが社会的に利があると見えている人生はすごく美しいというか、かっこいいなと思うんですよね。子どもが生まれてから、あらゆる事業が自分の信じているものにまっすぐかどうか、まっすぐじゃないものは全部捨てようみたいなことをかなり思ったので、新井さんのコメントにはかなり強い共感を覚えました。

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新しいものを提示するだけでは、社会も産業も変わらない

難聴になるほど仕事に打ち込んできた新井氏だが、そのキャリアの過程では挫折もあったと語る。上田氏のパートと同様に、ディスカッションのような形で振り返ってもらった。

新井まずは山田コンサル時代ですね。地方企業の再生案件をやっていまして、デューデリジェンスや再生計画の立案に従事していました。このときの代表的な挫折は、先ほどもお話しした破産してしまった社長さんの件です。

我々コンサルタントはビジネスのあるべき論や正論を出すわけで、経営者の同意も取っているわけですが、一方で経営者、場合によっては“地方の名士”の目線が必要になる場面も多く、自分の考えとのギャップを感じる機会によくぶつかります。例えば、当時のお客様の社長に対しての「このセルシオを売り払って軽トラ1台にして、切り抜けましょう」と車の売却を提案したときに、売却先も決まっていたタイミングになって「やっぱりこれは売れねえ」としがみつかれてしまいまして。やはり、コンサルタントでは経営経験を積むアプローチに限界があるなと思いました。

一方、直近のカインズでは、ミスミでのEC構築成功経験を買われて、プロ向けのEC事業を構築しました。カインズはホームセンターなので、店舗にはお客様がたくさん来てくださるんですが、オンラインショップを使ってくださる方はなかなか増やせませんでした。「鳴り物入りで入ったのに全然ダメじゃん」というようなことも言われました。

やはり社内には祖業への重みがあるんですよね。小売のリアル店舗でやってきたというプライドがある。そこをきちんと理解したうえで融合させていかないと、社内の理解も不十分になってしまう。

特に、「ものを通じてお客様に豊かさを提供している」という意識から、オンラインで手触り感を伝えずに売るのは信義に反するというような感覚もあります。「ECで売るんだ」だけだと、ただの外部から来た人間の新しい意見になってしまって、従来の価値提供とはすぐに繋がらないわけです。

だから、「ECで売るだけではなく、小売店のところでECをカタログとして使ってもらいましょう」とか、「こうすれば、店舗も楽になります」だとか伝えながら、ギャップを何とか埋めていった感じです。

イベント配信時の様子。新井氏のキャリアを振り返ったスライド

仁科ギャップを埋めていったというこの話は、産業変革や企業変革、社会変革など何かを変える上での一歩として必須のものですよね。新しいテクノロジーがあるから使おうとか、まだ使ってないこういう武器があるからこれを使おうというアプローチって、既存の方からは反発が起こりやすいものなんですよ。

本当に構造を変えようと思うのであれば、それをどのように既存のオペレーションやルール、そして人の感情の部分に組み込んでいくのかが重要。既存の岩盤みたいな分厚い壁とそのまま直接戦うのではなく、乗りこなしていくとか、溶け込んでいくとか、そういうアプローチをしなければ変革は絶対に起きない。この考え方を我々は大事にしています。おそらくインパクトスタートアップというテーマでやられている経営者の皆さんは日々考えているテーマなのではないかなと思います。

これから大きな変革を起こすことを目的として起業したい方やそのような事業・組織を率いたい方に、何かしらのTipsをお伝えするとしたら、先ほどの新井さんのお話を参考にして、「新しいものを使ってください、とただ訴えているだけで終わっていないか?構造を本当に変えるようなアプローチを行なっているのか?と内省してみる」ことをお勧めします。

上田佐川急便時代も、「運ぶこと」にプラスアルファで何かをしてみませんかという話がよくあったんですよ。例えば、高齢者の在宅確認などですね。でも、「祖業がおろそかになるんじゃないか」という反応が多かれ少なかれ見られるのが実態です。新しいことにチャレンジしたいとは思うのですが、祖業を揺るがすなという想いは大企業には往々にしてあると思います。そこのバランスに悩んだ時期もありましたね。

仁科 これはスタートアップにもある話ですよね。目の前の事業やプロダクトに対するこだわりが強くなりすぎると、新しい意欲的なチャレンジはしにくい。一方で、創業者の標榜したミッションがあり、それを本当に達成したいというリーダーシップが極めて強い場合なら、祖業を大事にしながらも、異分子みたいなものを新たに取り扱えるんだと思うんです。その異分子がプレイドの場合のSTUDIO ZEROなわけですが。

カインズのエピソードから少し派生させると、複数回のピボットを経て成功した事業を持つスタートアップがいたとして、その会社が新規事業を始めようとしたところ、投資家からの不安や懸念の声を受けてやめてしまうというケースって実は多いんです。

でも、そこで大きな野心を持った創業者であれば「投資家の皆さんはそう言うけど、我々はこうしたい」と意思を持ち、財務的な視点も持った上で小さく、とにかく小さく始めて、今は大きくやれているというケースも見聞きする。創業者がステークホルダーとコミュニケーションを取った上でバシッと切らせないといいますか、「そういう意見もあるよね」と聞き入れた上で折衷案でやらせてくれという話ができると、新しい事業ができる幅をつくれると思います。

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利害のない環境だからこそ、できることがある

このように聞いていく中で、「なぜこの2人は業界大手企業からプレイドへの転職を決めたのか?」が気になる読者もいることだろう。次に触れるのはまさにそんなテーマ。「STUDIO ZEROへの転職の転機」に話題は移っていく。

上田100年生きるんだと考えるようになり、自分のイシューである「物流業界の課題を解きたいという思い」を仁科さんに相談させてもらったのが転機です。仁科さんには「物流の相談は来たことがないけど、面白そうですね。来たことがないんでやってみますか」と言われまして。自分の価値を高める環境だなと感じました。

転職を考えたときの選択肢は3つあり、1つ目は残留。佐川急便が嫌で辞めたわけではないのですが、イシューを解くために離れようと思ったため、選ばなかった選択肢ですね。

2つ目が競合他社への転職です。この選択肢でもイシューは解けるかなと思ったのですが、お世話になった会社の競合になりたくないと率直に思ったんですよね。また、物流業界の課題が解けるのかどうかについての正解となる道も見いだせなかったです。

そこで選んだのが3つ目、STUDIO ZEROへの転職です。ここで変化があったのが、それまで消費者という言い回しを使っていたのが、生活者という言葉に置き換わっていったこと。消費者はメーカーがつくったものをただ消費しているだけの人ですが、今はユーザーが選べるので、生活者から選ばれるようにならなければいけないと考えるようになりました。ユーザー目線からつくり上げる物流を、このプレイドの思想の中でこそ構築できる可能性があると思いましたね。

あとは、中立的なポジションを取れるSTUDIO ZEROだからこそできることがあるとも感じました。この2~3カ月で『.Logi』という事業を立ち上げさせてもらって挑戦しているんですが、このワクワク感は残留していたらなかったなと思います。

やはり挑戦し続けることは非常に重要だったなと。起業も少し頭をよぎりはしましたが、当時の私は1人でできることはたかが知れていると思ったのと、誰かと壁打ちをしながら意見を昇華させたいという想いが強くて、その最適解がSTUDIO ZEROだったと思っています。

上田氏がプレイド(STUDIO ZERO)への転職を決めた際の選択肢の整理について

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ZEROがキャリアのゴールになるとは限らない

新井私の転機はコロナ禍です。小売業が難しくなった時期なのですが、巣ごもり需要があったことでカインズは売上が上がったんですね。しかし、将来の成長に向けての課題はたくさんありました。

一方で、競合他社である別のホームセンター企業に転職するのはさすがにないなと思っていました。ではミスミでやっていたようなEC業界に戻ろうかとも思えない。どの環境に身を置くことで社会課題解決に携われるのか、わからなくなっていました。

そこで仁科さんと出会い、STUDIO ZEROが社会課題を解決していくところも側面として持ち合わせていることを聞き、心に刺さりました。また、コンサルティング業界時代に経験した挫折感へのリベンジにもなりそうだと感じました。どれだけ成果を出せるのか、価値を出せるのかチャレンジできるなというところ、今一度広く世界を見よう、挑戦してみたいと思ってジョインしました。

新井氏がプレイド(STUDIO ZERO)への転職を決めた際の選択肢の整理について

仁科お二人とも相当なケイパビリティとスキルがあるので、そもそも今から競合他社に行く必要もないし、もう少し非連続なチャレンジをしてみたいというところでSTUDIO ZEROを選んでいただいた形ですね。こうした意思決定をしているメンバーは結構多い気がします。

上田「なぜSTUDIO ZEROがこれをやるのか?」という視点で常に問い続けながら変革に取り組んでいますよね。売り上げや利益の追求はもちろんですが、それ以上に「この業界のこの変革を、STUDIO ZEROがやることでどのように加速させるべきなのか」みたいな。仁科さんの考えがみんなに自然と浸透している気がします。あとは、STUDIO ZEROが最後のゴールじゃないと思っている人も多いですよね。ここにいる時点で、次どうするんだと無意識で考えている、考えさせてくれる組織だなと思います。

仁科(上田さん・新井さんに対して)面談時に「上手くご自身のWillのためにSTUDIO ZEROを使ってほしい」とお伝えしたかと思いますが、企業と個人の関係はフェアで対等なので、同じ企業にずっとい続けるのはもうあり得ないと思うんですよ。10年いてくれというコミュニケーションはしていませんし、そういう必要もないのかなと。1つの企業で人材を囲むより、離れてしまってもアライアンスを組むようなスタンスがこれからの組織運営において大事な気がしますね。

新井STUDIO ZEROでは、オフィスから離れた場所で行われるオフサイトミーティングが定期的に行われていますが、企業と社員がアライアンス関係を持ち続けるためには重要な取り組みだと思います。これまで経験してきた環境では社内での競争が結構激しくて、必ずしも前向きではないコミュニケーションもあった。それに比べると、例えばSTUDIO ZEROを卒業しても、STUDIO ZEROを経験したこと自体が緩やかなネットワークになるんだろうなと感じています。

仁科アルムナイみたいなものに今さまざまな企業が取り組んでいるように、形式ばったコミュニティの存在も大事だと思いつつ、一方で同じ釜の飯を食べた経験を組織全体で共有し続けることが強固なアライアンス関係を企業と社員が持ち続ける上で非常に重要だと思っているんですよね。経営側としては外に出てほしくない気持ちがある一方、企業という組織体や雇用形態、ルールも変わっていくべきだと思うので。経営者が健やかに過ごすためにも、企業と社員の関係性はそういうものだという前提を経営者も持つ必要があるのかなと思います。

こちらの記事は2024年09月09日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。

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藤田 慎一郎

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