連載事業家の条件
「アプリは贅沢」な時代だからこそ、活用したい“アプリマーケ”術──受託からSaaS企業へ超転換したランチェスター田代に聞く
世界を変える事業家の条件とは何だろうか──。
この問いの答えを探すべく、連載「事業家の条件」が立ち上がった。数々の急成長スタートアップに投資してきたXTech Ventures代表パートナー・手嶋浩己氏が、注目する事業家たちをゲストに招き、投資家の目から「イノベーションを生み出せる事業家の条件」を探っていく。
今回のテーマは、アプリだ。いまやウェブサービスにはなくてはならない存在となったネイティブアプリ。日本で注目を集め始めたのは、iPhoneが上陸した2008年ごろから。アプリ活用のこれまでと今についてお話を伺うべくお招きしたのは、モバイルアプリプラットフォーム『MGRe(メグリ)』を展開するランチェスターの代表取締役である田代健太郎氏。2007年に同社を創業した田代氏は、受託開発事業を通してアプリ活用の変遷を見つめ続けてきた。
アプリ黎明期、モバイルサービスを展開するインタースパイア(現・ユナイテッド)を副社長として牽引していた手嶋氏と田代氏による対談は、アプリの歴史から事業を伸ばすためのアプリ活用術にまで及んだ。
そして、「至難の業」と手嶋氏が語る、受託開発事業からSaaSへのピボットを、ランチェスターはいかにして成し遂げたのだろうか。その軌跡に迫った。
- TEXT BY RYOTARO WASHIO
- PHOTO BY SHINICHIRO FUJITA
創業から13年。
遂に打ち破った「受託開発企業のジレンマ」とは
ランチェスターは昨今のSaaSブームに乗じて現れた、新進気鋭の企業の1社──というわけではない。創業は2007年6月まで遡る。当初手掛けていたのは、受託開発事業だった。現在の主要事業である『MGRe』をリリースしたのは、2020年6月。同社は13年もの月日を経て、受託開発会社からBtoB SaaSを提供する事業会社へと生まれ変わったのだ。
この“転身”は意図したものだったのだろうか。そう問うと、田代氏は「紆余曲折があった」と明かしてくれた。
田代そもそも、受託開発ビジネスをやろうと思って起業したわけではないんです。当初は自社サービスを開発するつもりでした。一緒に会社を起こしたのは、起業前に所属していた受託開発業を展開していた会社の仲間たち。彼らの技術力があれば、自社サービスをつくることは難しいことではないと思っていました。
しかし、当時の僕たちはサービスのつくり方も、ファイナンスの知見もなかった。自己資金で会社をつづけていくためには、とにかくお金を稼がなくてはいけないと、受託開発事業を始めたんです。
受託開発事業は創業から1~2年で軌道に乗りましたが、サービスをつくりたいという想いはずっと持ち続けていました。「受託開発をやるために会社をつくったわけじゃないんだけどな……」と、会社を去ることも考えながら働いていましたね(笑)。
田代氏の発言を受けて、手嶋氏が「受託開発会社が事業会社へとピボットする例が少ない理由はここにある」と重ねた。
手嶋事業会社に転身したいと考えている受託会社はとても多い。マッチングアプリの『Pairs』を展開しているエウレカなど華麗な転身を遂げた会社もありますが、そういった成功例が少ないのは、田代さんが言ったジレンマが存在するからなんです。
というのも、受託開発会社に投資したいと考える投資家はいないんです。なぜならば、受託開発は成長が鈍化しやすいビジネスモデルだから。受託開発ビジネスを構成する要素は「稼働率」「稼働人数」「稼働単価」ですが、稼働率は100%が上限ですし、高いスキルを持ったエンジニアを立て続けに採用することも難しい。当然、単価を際限無く上げていくことも困難でしょう。受託開発業には、比較的早く成長の限界が訪れることになるため、投資家たちは資金を投じたがらないんです。
そのため、受託開発企業は自己資金で事業を続けざるを得ません。会社経営を続けるためには受託開発でお金を稼がなくてはなりませんが、受託開発を続けている限りは投資を受けられず、自社事業を開発するための資金的な余裕も生まれない……といったスパイラルに陥ることになる。
ランチェスターはそんなスパイラルから見事に抜け出すことに成功した稀有な会社だと言えます。チャレンジと失敗を繰り返しながら、遂に「受託会社のジレンマ」を打ち破ったんです。
“宝探し”から始まった、アプリの時代
ランチェスターの軌跡を理解するためには、スマートフォンアプリの歴史を知る必要があるだろう。2008年のiPhone上陸と共に幕を開けた「アプリの時代」。ランチェスターはアプリの歴史の始まりと共に誕生した会社なのだ。
2006年、モバイルサービスを展開するインタースパイア(現・ユナイテッド)に副社長として参画し、ウェブサービスに生じた新たな変化の最前線にいた手嶋氏は当時をこう振り返る。
手嶋“宝探し”をしているような状態でした。ガラケーサービス、スマートフォン向けのブラウザサービス、そしてiOS、アンドロイドアプリが混在し、何にべットするべきなのか、全てのプレイヤーが模索していましたね。
そうした中で、新たなサービスの形態であるアプリを開発すれば目立つし、世界中でダウンロードされる可能性もあるということで「とりあえずアプリをつくろう」という流れができた。とにかくアプリを開発し、多額のプロモーション費用をかけてダウンロード数を増やそうと画策する企業が多かったように思います。
2012年創業のスマートニュースやGunosy、翌年に誕生したメルカリは、そんな初期の戦いにおける数少ない勝者ですよね。しかし、ほとんどのプレイヤーはダウンロード数こそ稼げたものの、ビジネスとしては軌道に乗せれらず撤退していきました。
田代僕たちは創業当初、大企業を対象にした受託開発ビジネスを展開していました。その際、オーダーとして多かったのが、新規事業のファーストステップとしてアプリを開発したいというもの。事業としての方向性が定まっていない中で「とりあえずアプリをつくりたい」と。
でも、これはなかなかうまくいかないんです。なぜならば、事業戦略の変化に応じてアプリを何度も改修しなければならなくなるため、とにかくお金がかかる。「とりあえずアプリをつくろう」という風潮は、こういった理由もあり次第に消えていったように思います。
事業成長のサポートに徹してこそ、アプリはその真価を発揮する
そうして、iPhoneの上陸と共に始まった“アプリブーム”は一旦の落ち着きを見せる。特に、資金力が乏しいスタートアップにおいては、開発に多額のコストがかかるアプリは「二の次」とし、ブラウザサービスを強化することを優先する傾向が生じた。
手嶋アプリをつくればユーザー数が伸びるわけではないと、みんな気づき始めたんですよね。基本的に、アプリって贅沢品なんです。既存のユーザーを対象としたサービスとして開発するのであれば良いかもしれませんが、ユーザーを増やすための施策としてはコストが掛かりすぎる。
アプリを開発するためのコストを割くことが経営にとって負担になるのであれば、まずはブラウザサービスの開発に力を入れ、事業を伸ばすことに集中した方が良いんです。
スタートアップにとってアプリは贅沢品である──そんな状況にもやがて変化が生じる。きっかけは、アプリプラットフォーム『Yappli』の登場だ。
手嶋『Yappli』はアプリ開発や維持のコストを大きく下げることによって、アプリの役割すらも大きく変化させました。『Yappli』以前、ウェブサービスにとってアプリとは「多額のコストが掛かるものの事業への貢献度は低い、一部のユーザーの利便性を上げるもの」でしかなかった。
しかし、開発・維持のコストが下がったことによって「一部のユーザーに有効活用してもらえれば、投資額が回収でき、事業の成長にも貢献しうるもの」になった。アプリ自体を使っているユーザー数は少なくとも、一部のユーザーのニーズを徹底的に満たすことによって事業を強力に後押しする役割を担うようになったんです。
田代『メルカリ』などはアプリがサービスの主体となっていますが、これはかなり特異な例。基本的にアプリとは一部のユーザーにとっては、ブラウザサービスよりも使いやすく、サービスへのアクセスを容易にする役割を担う補助的なものなんです。
サービスの“本流”としてではなく、あくまでもサポートを目的に開発してこそ、アプリはその真価を発揮するのだと考えています。
伸びる事業のヒントは、“足元”にある
アプリ活用を巡るさまざまなプレイヤーの暗闘を、受託開発企業の経営者として最前線で見守ってきた田代氏。「ジレンマを抱えながら」受託開発事業を運営していたことは先述の通り。では、いかにしてそのジレンマを克服したのだろうか。
経営の舵を大きく切ったのは2013年のこと。外部からコンサルタントも招き、会社の経営方針の見直すプロジェクトを立ち上げた。プロジェクトで決定されたのは「5年以内に自社サービスを立ち上げられなければ、会社を解散する」こと。
この決定の余波は小さくなかった。自社サービスの開発に踏み出すということは、受託開発事業で得た利益をサービス開発への投資に回すことを意味する。給与額のアップなど、利益の分配を期待していた社員は、ランチェスターを去ることになった。約半数の社員が、この時期に退職したという。それでも田代氏はこの方針を曲げることはなかった。不退転の覚悟を持って、自社サービスを生み出すことを決めたのだ。
受託開発事業に一切関わらず、自社サービスの開発に専念するメンバーも招き入れた。試行錯誤を繰り返したが、一向に手応えのあるサービスは生まれなかった。
大きな転機が訪れたのは、2017年のこと。ランチェスターの未来を指し示す光は、意外にも受託開発事業の中にあったのだという。
田代あの無印良品の『MUJI passport』の開発を受託したことが大きなきっかけになりました。このアプリは、店舗でのショッピングによって獲得したマイルを管理したり、ショッピングに使えるクーポンを発行したりするものです。すなわち、アプリ上で何かを購入してもらうというより、店舗へ足を向けてもらうことをサポートする役割を担っている。
『MUJI passport』を開発した後に、店舗型のビジネスを展開している複数の企業から同様の依頼があったんです。つまり、実店舗での購入を促進するマーケティングツールとしてアプリを利用したいと。多くの企業が、同じ課題を抱えているのだと気付いたんです。
手嶋受託開発事業と自社サービスを、完全に分けて考えてしまっていたために、なかなか手応えのある事業ブランが生まれてこなかったのでしょうね。
自社サービスを生み出すために、リーンスタートアップなどを実践し身近な課題って何だろうと考え始める。そして、『MUJI passport』を受託したことで、多くの顧客が抱えていた課題に気付き、自社事業の開発と受託開発で得た知見が融合していった。完全に二分していた思考が一体になったとき、事業の種が生まれたわけです。
結局、自分たちの得意領域で勝負すべきなんですよね。toCも検討したと言っていましたが、toCは向いていなかったんじゃないですか?
田代仰る通りだと思います(笑)。受託開発事業を10年以上やってきた僕たちは、結局のところtoBビジネスが向いていたのだと思います。toCにチャレンジしてみてうまくいかず、諦めがついた。やりたいことができないということを受け入れるのは簡単なことではありませんが、結局は自分たちの得意とする分野で勝負した方が圧倒的にうまくいくんだと気付きましたね。
事業成長を実現するアプリの本質は、バックエンドにあり
こうして2017年11月、アプリ開発からマーケティング活動を支援するモバイルアプリプラットフォーム『EAP』の提供を開始。「5年以内に自社サービスを生み出す」という、2013年に打ち立てた構想を見事に現実のものとしたのだ。そして、『EAP』は2020年6月に大幅にアップグレードされ、『MGRe』へと名称を変更した。
『MGRe』はアプリの開発から運用をサポートする機能を備えているが、最大の特徴は顧客のアプリマーケティングを強力に支援する点にある。プッシュ通知やニュース、クーポンの発信などを管理画面上から簡単に行うことができるだけではなく、ダッシュボード機能を備え、データに基づいた集客施策の改善を可能にしているのだ。
田代店舗での販売、EC、アプリがすべて連動していることが重要なポイントなんです。すべての販売データやマーケティング施策のデータを統合し、管理して連動させることがマーケティングツールとしてのアプリの役割だと思っています。
すべてのデータや施策を統合するために重要になるのが、基幹システムとの連携です。基幹システムが保有しているデータをいかにつなぎ合わせ、分析し、事業に活用できる状態にしなければなりません。最も重要で労力が掛かる基幹システムとの連携を、いかにコストを下げて実現するかにこだわりを持ってプロダクトを開発しました。
具体的にはユーザーIDを活用して、店舗、EC、アプリの連携を可能にしています。『MGRe』を導入していただいているアプリをダウンロードしたタイミングで、ユーザーにはIDが発行される仕組みになっている。このIDにはECサイトの会員IDやポイントカードのIDが紐付けられるようになっており、『MGRe』導入以前、システム上では同一のユーザーだと認識されていなかったユーザーが、アプリを介して特定の個人として認識されるようになるんです。
田代そうすることで、ユーザーがどのような施策に反応し、どこでどういった商品を購入したのかが明らかになる。『MGRe』はこうして、顧客の事業を後押しするマーケティング活動を実現しているんです。
「受託開発事業を展開していた10数年があったからこそ、今がある」と田代氏は重ねた。持ち前の開発力を武器に躍進を遂げたランチェスターは2020年11月、シリーズAラウンドにおいて、グローバル・ブレイン、ニッセイ・キャピタル、XTech Venturesを引受先とする総額3億円の第三者割当増資を実施。事業拡大を更に加速させていく。
田代社員全員の目線を合わせて、次のステージに挑んでいきたいと思っています。シリーズB、C、そしてIPOに至るためには、僕だけが目線を上げても意味がない。最近ではメンバーたちに「僕たちは一段ステージを上がったんだ。ここからさらに上を目指していかなければならない」と言い聞かせています。
課題はビジネスサイドの組織化です。現在はビジネスサイドも僕が見ているので、そこを任せられる人材を確保したい。あとは、管理部門の責任者ですね。
手嶋ベースとなるビジネスモデルは確立できましたが、まだまだ組織は盤石とは言えないと思います。まずは上からしっかりと固めていってほしいですね。それができれば、IPO、そしてさらなる成長が実現できると確信していますよ。
こちらの記事は2021年03月09日に公開しており、
記載されている情報が現在と異なる場合がございます。
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執筆
鷲尾 諒太郎
1990年生、富山県出身。早稲田大学文化構想学部卒。新卒で株式会社リクルートジョブズに入社し、新卒採用などを担当。株式会社Loco Partnersを経て、フリーランスとして独立。複数の企業の採用支援などを行いながら、ライター・編集者としても活動。興味範囲は音楽や映画などのカルチャーや思想・哲学など。趣味ははしご酒と銭湯巡り。
写真
藤田 慎一郎
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